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奪われた花嫁


 一定の間隔で、身体が揺れる。どこか懐かしくて泣き出したくなるような、いつまでも浸っていたくなるような心地。


「気がついたか。身体の調子はどうだ」


 その声に目を開いて、自分が(タケル)に背負われていることに気がついた。あの心地好い揺れは、彼の歩みによるものだったらしい。


「悪いな。本当はあの場でゆっくり休ませてやりたかったんだが、そうも行かない状況になってしまってな。――ああ、まだ身体が辛いだろう。居心地は悪いかもしれないが、しばらく俺の背中で我慢してくれ」


 少し身じろいだだけで目眩を覚えたため、千鶴は大人しくもう一度猛に自分の身を預けなおす。心苦しさはあるが、先を急ぐというのであれば遠慮は却って迷惑になるという判断だ。

 周囲の状況に観察しながら、千鶴は注意深く言葉を探す。


「……何か、あったのですか」

「ああ。先ほどの倒木、どうやらただの偶然ではなかったようだ。大人が両の腕を回しても届かないほど太いあの幹にな……ぐるりと何重にもわたって、蛇の巻きついたような跡がついていた」

「……っ!」

「間違いなく、大蛇(おろち)の仕業だろう。千鶴が俺たちと共にここを離れようとしていると、気がつかれたようだ」



 猛の言葉を聞きながらも、一行は立ち止まることなく黙々と足を動かし続けている。その表情は一様に固い。

 そんな空気を吹き飛ばすように、猛はいつも以上に軽い調子で続ける。


「心配するな。あの規模のヌシであれば、山を三つほど越えれば力も及ばなくなる。俺たちの足であれば造作もないことだ。日が沈む前にここを抜けられる」


 ――本当にそうだろうか。猛の自信に満ちた言葉を聞いてもなお、千鶴は不安を拭えずにそっと自問した。

 先ほどから感じる、腕のアザの焼けつくような熱。そこからは、彼女を絶対に(のが)すまいとする大蛇の執着が恐ろしいほどに伝わってくる。ひたひたと迫り来る執念深い追跡者の影を感じる。


 しかし、それを口にすることはしなかった。

 これは予知ではない、ただの個人的な感覚だ。根拠などない。不用意なことを言って、周囲にまで不安を伝播させたくはなかった。


 後ろ向きになりがちな思考を振り払って、千鶴は猛の首に腕を回す。彼女の身体をかつぐその背中は大きくて力強く、千鶴の心に安心をもたらしてくれる。

 ほっと息をついて、千鶴は自分に言い聞かせるように言葉を吐き出した。


「ええ、猛さま。一刻も早くこの地から立ち去ることとしましょう。――あなたの里へ着けるように」


○   ○   ○   ○   ○   ○   ○


 千鶴の不安とは裏腹に、その後の行程は無難に進んで行った。


 ひとつ、ふたつと山を越え、みっつめの山の中腹に差し掛かった時点で太陽はまだわずかに傾きはじめたばかり。この調子であれば、予定よりも随分早く大蛇から逃げ切れることだろう。

 一行の間にも静かな安堵が広がっていく。そのタイミングで隼人が休憩を言い出したことも、無理のないことであった。


「そりゃ兄貴はこれくらいの道のり、なんてことないんだろうけどさー。そこまで無理を押し通すこともないんじゃない? 皆口には出さないけど、結構疲れが出てきてるよ? 追っ手の気配もないし、もう少しで抜けられるんだし……最後のひと頑張りのためにも、少しぐらい英気を養わせてよ」


 ほかの鬼たちも隼人の提案に頷く。

 彼らの頑強な身体をもってしても、やはりここまでの行軍はかなり辛いものがあったらしい。放心したように地面に座り込む者や、勢いよく水を飲みはじめる者が現れる。


「……ああ。隼人の言うことも、尤もだな。よく提案してくれた、ありがとう」


 だというのに、ここまでずっと千鶴を背負って歩いてきたはずの猛は汗ひとつ掻いていなかった。

 涼しい顔で千鶴を背中から下ろすと、周囲に異状がないかと鋭い視線で周囲を睥睨(へいげい)する。彼は休憩の間も気を緩めるつもりはないらしい。


 その姿に頼もしさと申し訳なさを感じながら、千鶴も地面に腰を下ろした。背負われていただけだというのに身体のあちこちが痛む、己の脆弱(ぜいじゃく)さが情けない。



「千鶴(ねえ)も、お疲れさま。今、お水を用意するから」

「ありがとう、隼人。本当、足手まといにしかならない自分が嫌になるわ」

「何言ってるんだよ! オレ、千鶴(ねえ)のおかげで命が助かったんだよ? 足手まといなワケ、ないじゃん!」


 その事故も元はといえば千鶴が居たことが原因なのだが、隼人は気にした様子もなく無邪気に返す。


「苦手なことは得意なヤツに任せれば良いんだよ。兄貴は俺たちとは比べ物にならないくらい身体が強いんだからさ、千鶴(ねえ)を運ぶことくらいどうってことないって。大丈夫!」

「よくわかっているじゃないか、隼人。その通りだ、千鶴は気にせず俺に背負われていてくれ」


 あっけらかんと言い放つ隼人に苦笑していたら、当の猛まで現れてそう頷いた。

 二人とも心からそう言ってくれているがわかるから、反応に困ってしまう。誤魔化すように、千鶴は受け取った水碗へと目を落とした。



 水面がさざめき、周囲の景色を映し出す。何気なく覗き込めば、かつてより随分と生気に満ちた自分の姿が目に入った。口元にはうっすらと微笑みまで浮かべていて、その変化に自分でも驚きを覚える。

 そうして水面(みなも)に映るもう一人の自分と視線を合わせた、その瞬間だった。


『――見つけたぞ』


 頭の中に直接声が響くと同時に、水面がグニャリと歪んだ。右腕の蛇のアザが突如として熱を持ち、千鶴を強く締め上げる。

 ぶわりと黒い霧が立ち昇った。悲鳴を上げる暇もない。まるで意志を持つかのように霧は千鶴の身体を絡め取り、一瞬のうちに闇の中へ引き摺り込んでいく。


「千鶴!」


 霧に阻まれた視界の向こうで、必死の形相で猛が手を伸ばすのが見える。助けを求める指先が、わずかにその手に触れる。

 だが、間に合わなかった。千鶴の握り返そうとした手が、虚しく空を掻く。視界が闇に沈んでいく。冷たくぬめつく感触が彼女の全身を覆い、息さえも奪う。


「猛さま、」


 ――最後になんとか吐き出した言葉は声にならず、むなしく闇の中へと消えていった。



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