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不吉な巫女の覚悟(2)


 ――そんなもの思いに沈んでいた千鶴の胸に、ふと(くら)い影のようなものが(よぎ)った。その冷たい感覚に身を震わせる余裕もなく、反射的に顔を上げる。今までも何度か体験したことのある、死の歩み寄る気配。


 間を置かずして、目の奥から頭にかけて(きり)で突き刺されたような痛みに貫かれる。それは立っていられないほどの強い痛みで――そしてすぐ先に待ち受ける災いと、千鶴の短い幸福な時間の終焉(しゅうえん)を告げていた。

 そのことに気づきながらも、痛みを(こら)えて千鶴は必死に周囲を見回す。その視界に、先頭を進む隼人(はやと)の姿がハッと飛び込んできた。


「止まって! 隼人、進んじゃダメ!!」


 これまで出したことがないような大きな声が喉を裂く。間に合わないとわかっているのに、彼を制止しようと身体が動く。


「? 千鶴(ねえ)?」


 切羽(せっぱ)詰まった彼女の悲鳴に、隼人が不思議そうに振り向いた。その歩みがわずかに止まる。

 ――その、瞬間だった。

 なんの前触れもなく、その彼の右肩を(かす)めるように横の大木が倒れた。下にあるものを全て薙ぎ倒すような、圧倒的な質量で。


 ドォオオン、と山全体に響き渡る轟音が空へとこだまする。離れたところに佇む千鶴の髪が、その風圧で大きく浮き上がる。


「うぇぇええ!? び、びっくりしたぁ……」


 土煙の向こうで隼人の能天気な声が聞こえて、千鶴は深く息を吸った。まだ心臓はドキドキと暴れ回っているし、目を抉るような鋭利な痛みも和らぐ様子はない。それでも。


 ――間に合って、良かった。


 あれだけ大きな木が頭上に倒れてきたら、いくら力自慢の鬼たちといえど無傷では済まなかったことだろう。気の良い彼らが無事であることに安堵する。それがたとえ……。




「何が起きた、って……千鶴、大丈夫か!?」

「千鶴(ねえ)、それ、どうしたの!?」


 千鶴の様子に気がついた猛と隼人の声が重なった。二人の驚きの声に、千鶴は力ない微笑みでこたえる。


 中から破裂しそうなほどに、頭が痛い。頬にぬるりと生温かい液体が流れていくのを感じる。

 鏡なんて見なくても、自分が今どうなっているかはわかりきっていた。災いを告げる時に自分の身に起こることは、いつも同じだ――真っ赤に染まった白目と、流れ落ちる血の涙。


 災いに(おびや)かされたこのタイミングで現れるこの姿は、周囲にとってさぞ恐ろしいもののように見えることだろう。


『ヒッ、なんと不吉な……寄るな、さっさとあっちへ行け!」

『お前がこの惨状を招いたのか! この恩知らずが!!』

『こっちに来ないで! 私の家族に穢れが移るじゃない!』


 かつて村人から掛けられた言葉を思い出し、千鶴はそっと手を握りしめる。

 せめてこの予知の力がもっと強ければ、災いを防ぐこともできたのかもしれない。だが、自分にできるのは直前の災害を警告することだけ。

 そんな中途半端な予知は千鶴の身体を(むしば)むだけでなく、却って周囲に「不幸を呼び起こす忌まわしい女」という印象を植え付けてしまった。目から血を流しながら凶事を口にする彼女を誰もが疎み、倦厭(けんえん)した。


 悲しいけれど、仕方のないこと。

 もし彼らと同じ立場にあったら、自分だって災いを告げる者に恐怖することだろう。理解を超えた存在を拒む、生命として当然の反応――それはきっと、誰だってそうだ。


(そんなこと、わかっていた。それでも……皆が無事で本当に良かった)


 どうせ失われるとわかっていた温もりだ。最初から諦めていれば、哀しみもない。

 だからこの胸の痛みだって、気にしてはいけないのだ。ただの予知の反動でしかないのだから――。


 足元をふらつかせながら自分に言い聞かせていたその身体が、ふいに浮遊感に襲われた。それと同時に、何よりも安心できる温もりと香りに包まれる。それはまるで、今際(いまわ)(きわ)に見る幸せな夢のような心地。




「おいっ、誰か冷たい水を持ってこい! 早く! 酷い熱だ……!」


 頭上から聞こえる猛の焦る声に目を開いて、千鶴はそれが夢でないことに気がついた。はっと上を向けば、千鶴を抱き上げた猛と目が合う。どれだけ目を凝らしても、その瞳に忌避(きひ)の感情はない。


「なんてことだ、こんなに熱が高いのに、手足は冷え切っている……くそっ、手持ちの薬でなんとかなるだろうか……」


 千鶴の身体をしっかりと抱き締めたまま、猛が千鶴の額に手を触れる。そのひんやりとした温度が気持ち良い。

 無意識のうちに千鶴はその手に頬を寄せていて、そこでハッと理性を取り戻した。


「捨て置いてくださって大丈夫、です……」


 優しく血の跡を拭う彼の手を押し留め、千鶴は過分な心遣いに首を振る。

 本当は彼の腕から抜け出して立ち上がりたかったところだが、いくら力を込めてもガッシリとしたその腕はびくともしないのでそこは諦めた。

 千鶴をしっかりと抱き留めたまま熱を測ったり脈を確かめたりできるのだから、四つ腕とは便利なものだ。


「予知の反動で、大したことではありません、から……。お急ぎのところ申し訳ないですが、少しだけ身体を休ませてもらえればそれで十分、です……」

「そんな弱りきった様子で、何を言う」

「こんな不吉な女に触ったら、猛さままで悪く、言われてしまいます……形ばかりの妻なのですから、無理なんて、しないで……」

「馬鹿なことを!」


 彼女の遠慮は、何故か猛の激昂(げっこう)を招いたらしい。千鶴を支える両の腕の力が強くなる。


「アンタのその不調は、災いを予見した所為だろう。おかげで仲間が助けられたっていうのに、放って置けるわけがない」


 それに、と続けながら、猛は千鶴を抱き締める腕をさらに強める。まるで腕の中の存在が消えてしまうのを恐れるかのように。


「それに、俺は個人的にも千鶴が心配でならない。自分の命を削ることになんの頓着(とんちゃく)も見せず、欲を見せるより先に何もかもを諦めるアンタは、あっさりと生を手放してしまいそうで……俺は、千鶴を現世に引き止める(しるべ)になりたいと思っている。形だけの夫婦ではなく千鶴の心の拠り所に、喜びを分け合う存在になりたいと」

「どう、して……」


 頭では理解できなくとも、身体はこの腕の中を安息の地と見なしていた。ずるずると眠気の(ふち)に引き摺り込まれていく。

 ゆっくりと目を閉じる千鶴の最後に見たものは、猛のどこまでも真っ直ぐな眼差しだった。




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