8.そして日々は巡る。
遅なりました。
最終話となります。
シャナンの耳には、遠くタリシュカでのハンター家の動きが、かすかな風の囁きのように届いていた。
ヴァレリアがタリシュカで商人ギルドとの交渉を始め、染料と毛織物の交易網を再構築している、とか。彼女の忠実な密偵ジルが、裏社会のコネクションを駆使して新たな情報網を築いている、とか。
風は、よくそよぐ。
彼女は必ず、この地に戻ってくるだろう。五年後か、十年後か。……それとも、もっと早くか。ただその時、打ち倒す敵だと思っていたキルシャローとの関係がどうなっているかは分からない。
その頃には、狭かった彼女の世界も文字通り広く、大きくなっているのだろうから。
春めく季節となり、早咲きの薔薇たちが綻びはじめた。そろそろシャナンは、自身の社交活動を終えて領地へと戻るつもりでいる。
季節は、確実に巡っていた。
今宵、シャナンが纏うのは、夜空を思わせる深い藍色で、銀の刺繍が星屑のように輝くベルラインが美しいドレスだ。しかし、このような深い色を着るのもこれが最後となるだろう。
季節は、巡る。
そして、シャナンをめぐる人々も。
クラレンスとの婚約が白紙に戻ったことで、幾つかの家門からリード家に釣書が届けられた。その中にブライア家のものもあり、苦笑が漏れたことは仕方がない。
まるで賞杯か何かのように勘違いでもしているのかと辟易しながらすべて丁重にお断りした。
今のところは。
シャナンに自らを売り込もうと夜会などでダンスを申し込まれることもあるが、それらはサラリと受け流した。少しばかり、政治や経済の話をすると大半の男たちは口を閉ざす。まだまだ女性の地位は、そういった方面では低いのだ。ある程度までは許容するが、自分が答えられない話になると途端に口を閉ざす。だったらはじめから挑戦しなければいいのに。
自分だけは他と違うと思っているのなら、自らが失敗したクラレンスより優れていると思う点を数えればいいのにとシャナンは思う。
クラレンスはあれでいて、優秀な男であった。
まぁ……同じくらいポンコツでもあったのだけれど。
パヴィ伯は、シャナンの好きにさせている。
夫人は婚姻を急がせようとしたようだが、経済的足固めを優先したいというシャナンの主張を知る伯爵が執り成してくれた。
彼の目にもシャナンと同じ風景が映っているのだろう。手堅い投資に切り替えて、守りに入り始めている。まだ暫くは、ポーレは平和かと思うが、ゆっくりと変革のときが迫っているのも確かだ。
封建主義を解体し、絶対主義に移行した国々は軒並み打倒され議会による統治へ転換した。大きな波は過ぎ去ったが、まだその波は完全に消え去ったわけではない。
ポーレもいつか、飲み込まれるだろう。
ただ救いがあるとすれば、ポーレは封建的で重商主義な国であったこと。
四聖連合王国のようにうまく移行できれば、立憲君主制として貴族たちは残れるだろうし、共和制となっても名誉称号として貴族であった証明は残る。
シャナンが生まれる少し前までは、貢納の大半は労役と生産物であった。それが徐々に変化し、今では現物より金銭へと変わっている。
変わりゆく世界の潮目を見、うまく波に乗らなければ、たかが一家門。小さな小舟は容易く海の藻屑と消えるだろう。
「レディ・シャナン」
知った声に振り返る。
「子爵。お久しぶりですわ」
微笑みの中に親しき者に向ける華やかさを添えて、シャナンは穏やかな笑みを浮かべて近づいてくるカオール子爵を待った。
「些か立て込んでおりましてな」
地方領主たちが社交のシーズンだからといって、政治が止まるわけではない。中央の貴族たちは常に慌ただしく仕事をしている。
「北海の海賊が、幾つか沈められたようですわね」
案の定というべきか。
ポーレからイエンに向かう航路に出没した海賊たちは果敢にキルシャローの船団に挑むものの、あっさりと船腹に穴を空けられ沈められたらしい。
キルシャロー商船団。商船と騙るが貨物船の周りを囲む護衛船の武力は、護衛と同時に撃退を行える軍用船の域に達している護衛船団だ。あれは通商破壊行為をされる側ではなく、する側だとキルシャローの船をみたことがある人間は皆口を揃えて言った。
「ええ、まったく。仕事ばかり増やされますよ」
辟易とした物言いのくせに顔は輝いている。
この方も食えない御仁だと、シャナンは扇子を半分ほど広げ、そっと口元を隠す。
海賊行為を国家が合法的に許可する他国船拿捕免許状……私掠免許を有した船をキルシャローは沈め、更に通商破壊行為に対して国家的に支援しているのなら、その尻拭いもするものだと相手国に慰謝料を請求した。
そして今後も変わらずキルシャロー商船団及びポーレの船に対して私掠行為を行うようなら、徹底抗戦し、尽く沈めてみせるとまで宣言したのだ。
とんだ開戦予告である。
国家が宣戦布告するなら分かるが、一侯爵がすべき発言ではない。だが、それがキルシャローなのだ。
「ご自愛くださいませ」
「ありがとうございます」
ちょっとした茶番だが、そういった距離感というのも処世術なのだろう。
「ところで」
一旦、言葉を切るとシャナンは会場を見回した。会場には、ポーレの有力者たちが集まっている。
今、自身の傍らにいるカオール子爵を始め、公の場に出てくることが稀なマルケス子爵、ロデリック・オークレイやエドモンド・ブライアの姿は見えないが、スタンリー・ブライアの姿はあった。彼の姿があるということはトーマス・オークレイもいるだろう。
マンスフィールド侯爵夫妻の姿も見えた。相変わらず夫婦仲は良好のようだ。
クラレンスの姿もあった。
以前に比べれば、彼を囲む人の輪は小さくなったし、顔ぶれに入れ替わりがあったように思われる。彼なりに思うところがあったのだろう。
そして一番の注目株は、若き女伯爵モルガン・クリソス・クレールマラン・ド・モンテドール。
ポーレの東側に隣接するイエン帝国の貴族だ。モンテドール伯は、北方の鉱山を支配し、最近発見された鉱脈で財を成しつつあると聞く。金色の髪に澄んだ氷を思わせる青い瞳をした彼女は、ヴァレリアとはまた違った野心と知性を兼ね備えた人物にシャナンの目には映った。
「今宵の夜会は、豪華な顔ぶれですわね」
「確かに」
子爵も彼女が何を言いたいのか察しているのだろう。会場を見渡し、一人の女性を捉えて視線を止める。
「一番は、彼女でしょうな」
モルガン・クレールマランを見つめる子爵の瞳には、何処か面白がるような色に混じり独特の冷ややかさがあった。
「モンテドール女伯は、鉄道開発に興味を示していらっしゃると聞き及んでおりますけれど……」
ちらりとカオール子爵を見遣るシャナンに、彼は肯定するように顎を動かす。
「ええ、今回の長期外遊も鉄道開発に着手した国を回っているようです。是非とも我が国にも出資していただきたいものですな」
そうして普段の品格と洗練された振る舞いを兼ね備えた貴人らしくないニヤリとした笑いを口許に浮かべた。
「それに彼女の動き次第では、ポーレの経済に新しき風が吹き込まれるやもしれません」
「まぁ」
シャナンの瞳が、かすかに輝く。
金額次第とはよく言ったものだ。
「そうなれば、素敵ですわね」
鉄道開発の計画を進め、国務院での影響力を更に強めたカオール子爵にとって、モルガンは絶好の獲物なのだろう。
「実は、そろそろパヴィ領に戻ろうと思っておりましたの」
「それは、また……たしかに、シーズンも終わりに近づきましたからな」
「ええ、でも」
会場の一角で、貴族たちと談笑するモルガンの姿を遠くから見つめ、シャナンは唇に微かな笑みを浮かべる。
「まだまだ席を立つのは早かったようですわ」
新しい役者が舞台に上がろうとしているのに、席を立つのは失礼ですもの。
シャナンの言葉に、子爵は一瞬目を細めた。
「どうやら、お引き止めする必要はなくなったようですね」
彼は口角をわずかに上げ、シャナンとともに騒がしくなり始めた周囲の貴族たちを、まるで見物席から眺めるように見渡す。
「これからはじまる筋書きのない演目。見逃す手はありません」
「ええ、本当に」
一夜にして大陸屈指の富を生み出す土地の領主となった夢物語の主人公のような彼女。
迎えるのは大団円か、あるいは破滅の幕が下りるのか。
新たな登場人物を加え、既に舞台は動き出している。
疑似餌と釣糸を繋ぐ見えない糸。
多くの罠が仕掛けられた社交界という大海をどう泳ぎ渡るのか。
……――――とても。
「楽しみだわ」
彼女の瞳は、まるで遠くの星を見上げるように、冷たく、しかしどこまでも美しく輝いていた。
モヤァ……とした終わり方になってしまい申し訳ないです。
想定外の方向に広がりすぎてしまって、これ畳むの無理じゃね? みたいな。
傷が広がりきる前に折りたたむぞ! となった結果がこれで御座います。無惨……
長くお時間いただきありがとうございました。
あまり呟かないけど旧Twitterとかやっております。
感想に書くほどではないけど、ちょっと聞いてみたいな。くらいのことがあれば、そちらにどうぞ。
あ。
あけましておめでとうございます。




