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螺旋のハリス  作者: 櫻井


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6.退く女と根を張る女


 ホーソーン家とリード家の間に生じた見えない亀裂は、貴族たちの好奇心を刺激しつつも、すでに関心は次のスキャンダルへと移りつつある。だが、ヴァレリアの計画は、取り残されることなく貴族社会の冷酷な力学に押し潰されようとしていた。


 クラレンスが引き起こしたスキャンダルがハンター家の名に暗い影を落とし、ポーレでの交易計画を根底から揺さぶった。

 余力があるうちはいい。だが、事態は好転することなく悪化する一方で、ヴァレリアに疲弊が募る。

 ゆっくりと殺されていく感覚を、彼女は初めて味わった。


 ハンター家の再興、毛織物と染料の交易の拡大、ブライア家の市場からの締め出し。すべてが、彼女の手からこぼれ落ちようとしている。

 この流れはもう、止められないだろう。


 部屋の中心に立ち、暖炉の火を見つめるヴァレリアの瞳は、炎の煌めきに滑るような光を宿す。しかし、人形の瞳に嵌められた硝子玉のように、そこには何の感情も見いだせなかった。


 立ち竦んだように動かないヴァレリアの片眉がピクリと跳ねる。


「ジル、準備はできたの?」


 ヴァレリアの声に招かれるように扉が開き、一人の男が姿を現す。貴族の館で働くにしては少しばかり草臥れた装いだが、裏方仕事に徹するなら気にならないだろう。特に、元海賊ならば逆に洒落た部類だ。


「はい。ヴァレリア様、荷物はすべてまとめました。明日の船でタリシュカに帰れます」

「そう」


 ジルと呼ばれた男は、粗野な外見とは裏腹に、強かに頭と口が回り、いつの間にかスルリと傍らに滑り込んでいる。そんな男だった。今はヴァレリアを盛り立てるべく、彼女の手足となって裏方仕事に徹している。


「王都の情報屋にも、口止めを済ませました」


 彼は、ヴァレリアの傍らに控えると手にした紙を差し出した。黙って紙を受け取ったヴァレリアは、二つ折りになっていたそれを片手で開き静かに目を落とす。


 ――――キルシャローが仲立ちに入り、マルケス子爵がホーソーン家との穀物供給契約をさらに強化しようとしている。


 ポーレでの最後の情報だ。


 ヴァレリアの指が紙を強く握り、片端に皺を作った。以前なら激昂し、紙を握り潰すか暖炉に投げ入れていただろう。だが今は、もうそんな時は過ぎ去っている。


「ありがとう、ジル」


 聡明でいて豪快。そんな評判だったクラレンスは、シャナン・マーゴ・リードと関係を解消してから精彩を欠いていた。元が悪かったわけではない。ただ、シャナンのクラレンスの扱いが格段に上手かったということなのだろう。迅速果断。彼女の目は、何を何処まで捉えているのか。


「マルケスは、安定を選び。ホーソーンは、鷹に肩を掴まれた」


 暖炉の前に歩み寄る。より強く、炎の熱をその身に感じた。


「ポーレの貴族社会は、私が思ってたよりずっと厄介だったということね。……クラレンスの元婚約者に追い詰められた気がするわ」


 実際は、どうだかわからないけど。

 そう、口の中で続ける。


 すべての始まりはクラレンスの愚行だ。

 そして、それを誘発させたのは自分。だが、紐解いていけば彼女に行き着く気がするのだ。


 直接、手を下していないのに。

 直接、手を下していないからこそ。


 要らぬ醜聞に塗れまいと派手に動き回るのが定石だと思っていたが、リード家は不気味なほど静かだった。静観の構えこそが、正義であり真実があるというように。

 そして実際、正解であった。

 リード家の積み上げられた歴史、シャナン・リードという人間が持つイメージ。

 不貞など、不誠実な行いはすべきではないと彼なりの誠実さで対処を間違えた温室育ちのクラレンス。


「ご令嬢については、証拠がありません」


 ジルは、考えを偏らせることなく冷静に告げた。彼なりの情報網でシャナン・リードについて調べ上げたが、まるで陽炎を追うように見えている(・・・・・)のに掴めないのだ。


「彼女は、貴族社会の動きをただ眺めてるだけです。すべてが淘汰され、和ぐのを待ってるかのように」

「和ぐのを待つ、ね」

「ええ。彼女は何処か陽炎だ。今回、ご令嬢に関する噂は多く出た。けれど、それらのほとんどは善性。リード家が仕掛けたわけでも、彼女が直接働きかけたわけでもない」


 自然に(・・・)立ち上り、広がり、やがて楚々と立ち消えていく。


 その流れを手を加えるわけでもなくただ眺めているだけに、ジルには思えた。


「致し方ありません」


 ジルの言葉に、ヴァレリアは苦々しく笑う。彼女の瞳には、シャナンの穏やかな微笑みが焼き付いていた。あの夜会の場で、シャナンはクラレンスのそばに静かに立ち、まるで王都の喧騒を他人事のように見つめていた。その姿が、ヴァレリアの心に深憂という影を落とす。


「今は、退くわ」

「ポーレを離れるのは、正しい選択です」


 ジルの声に宿る丹心に、ヴァレリアは少しだけ心安らぎ細く息を吐いた。


「タリシュカに戻れば、商人ギルドとの交渉を再開できます。ハンター家の染料は、大陸東部でも需要があります。ポーレでの失敗は、一時的な後退に過ぎません」


 ……一時的な後退。

 そう。これは、計画の立て直しによる戦略的撤退。ポーレの貴族たちが歯牙にもかけない小さな港町から反撃を開始する準備なのだ。


「そうね、ジル」


 瞼を伏せ、深く息を吸い込み、緩く長く吐き出す。次に目を開けたヴァレリアの瞳には気持ちを新たにした光が宿っていた。彼女は机に戻るとペンを取り、広げたままであったクラレンス宛の手紙に最後の署名を加える。


「これで、クラレンスとはおしまい。もう二度と、あの男には関わらないわ」

「その手紙、すぐに届けさせます」


 手紙を受け取ったジルは一礼し、扉へと向かう。だが、途中で足を止めるとヴァレリアを振り返った。


「ヴァレリア様。タリシュカでの再起、私も全力で支えます。どんな手段を使っても、ハンター家の名を取り戻しましょう」

「……」


 咄嗟に言葉は出なかった。

 ただ、胸が詰まる。


「……ええ。頼りにしてるわ、ジル」


 ジルが部屋を後にすると、ヴァレリアは一人、再び暖炉の火を見つめた。もう暫くすれば、トリーが食事(サパー)を運んでくるだろう。


 炎の揺らめきに、まだ何も見いだせない。

 しかし、いつか。


「空を飛べないヤマネコでも、鷹の雛なら殺せるわ」


 敗北を認めない野心は燃え尽きず、種火となってヴァレリアの中で息づく。








 屋敷の庭をゆっくりと歩くシャナンの黒髪に、午後の日差しが淡い金色の光を投げかける。深い緑の瞳が、見頃となったヘレボルスを映し、彼女は緩く口角を引き上げた。


 ポーレのシーズンズは、秋の豊穣を得てから寒さに田畑が眠り、やがて雪解けて春の花が咲いた頃に終わる。勿論、その限りではないと土地を移動しながら遊興に耽る貴族たちもいるがそれもよく引き伸ばして夏までだ。


 ヘレボルスは十二月頃から咲き始め、二月に盛りを迎え、四月には終わる。


 まるでポーレの社交界のようだといつの頃からか思うようになった。


 氷の薔薇とも呼ばれるヘレボルスに手を伸ばし、その花弁の縁を指でなぞる。寒さに指が悴みそうで、マフの中に手を戻した。


 防寒着として羽織るのは、厚手の絹織物のローブとその上からリボン飾りのついたレースのローブ。高級品である絹織物が手に入りやすくなったのは良いことだと思う。


「レディ・シャナン、そろそろお時間かと」


 懐中時計で時間を確認した侍女のサマンサが、令嬢の思索を邪魔しないよう慎重に声を掛けてきた。


「あら、もうそんな時間?」

「はい」


 今宵、シャナンはカオール子爵の夜会に参加する予定となっている。そろそろ屋敷に戻りその準備に掛からなければならないのだろう。


「そう。なら、戻るわ」


 夜会は、最初の約束から随分と日が経ってしまった鉄道事業についての親睦会だ。

 通常の女主人が取り仕切る人脈の形成や社会的地位の向上を目的とした晩餐会と違い、出席者が全員出資者というビジネスの話に偏ったものになる。シャナンも出資者の一人として、父に同行することになっていた。


 お父様が先を見越し、わたくしの分まで株式を購入してくれていて助かったわ。


 鉄道会社の一部を所有し、利益配当を得る権利を得た。これは一つ目の足掛かりに過ぎない。

 これからは一人の、女性実業家として表舞台に立つつもりでいる。


 貴族女性としては、婚姻は当然の生き方であるが、少しばかり猶予をいただいても構わないだろう。


 まだまだ荒れる。


 そうシャナンは予測していた。


 安定を愛する貴族社会だが、野心を持って切り込まないと生きていけないのも貴族社会だ。


 ヴァレリアは、染料500バレルで三万金貨、毛織物1000ロールで二万金貨の儲けと概算し、マルケス子爵の心を揺さぶった。悪くはない数字だ。魅力的ともとれる。だが、ホーソーンの穀物が止まると港の収益が二割減る。

 今までと、これから。

 天秤にかけて、子爵は過去の実績を取った。


 そして現在、穀物供給の強化を進めている。


 風を滑るように鷹は飛ぶ。その爪を突き立てられないよう子爵は上手く立ち回った。


「今、どんな気持ちなのでしょうね」

「レディ?」


 シャナンの呟きをうまく拾えなかったのだろう、主を窺うサマンサにシャナンはうっすらと笑みを浮かべただけで何も言わず、ブルーアイスの樹氷のように美しい枝に顔に近づけ爽やかな香りに目を細めた。


「いい香りだわ」


 シャナンが何も言わないということは、そういうことだ。サマンサは口を閉じ、彼女に付き従う。


「庭師に言って、ブルーアイスとユーカリでリースを作らせて。部屋に届けるように」

「畏まりました、レディ」


 一礼し、落ち着いた声で答えるその様子に、シャナンは満足気に微笑み、部屋に戻るため再び歩き出した。







ここでストック尽きたので

二、三日お休みいただくかもです。

内政とかはやる気がないので、あと一、二話で終わると思います。


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