5.蠢動する男たち
悪代官と廻船問屋回です。
目が滑る気がします。ごめんなさい。
新興貴族であるブライア家の現在の当主であるエドモンド・ブライアは、黒髪に白髪が混じり始めた五十代前半の男だ。堂々とした体格と、それにあった大きな足音。鋭い灰色の目が対峙したものに圧を与えるが、笑えば険が消え、途端に南部の気のいいおっさんに早変わりする。
野心家で現実的。
下劣さは無いが、野卑は含む。交易での成功に執念を燃やし、オークレイ家の荷揚げ権を活用し、ポーレ南部の毛織物市場を統括しつつある鬼才。
そんな人物を、烏合の衆と埋もれ消える前に引き揚げたのが、ロデリック・アレイスター・オークレイ・ド・キルシャロー。
侯爵位を背景に絶大な影響力を保持し、ポーレ南部の港湾地区を経済的にも政治的にも支配する中心貴族。ゆくゆくはポーレの交易網を掌握しようと目論み、そのやり口は、無情無血。彼の名を直接呼ぶことを憚った人々は、彼をキルシャローの鷹……または、冷血の鷹と揶揄する。
ポーレ王都の外れにオークレイ家の別邸、黒檀館があった。運河を背にして建つ石造りの館の窓から漏れる灯りが水面に揺れる。
静か過ぎる夜は、無駄な企みを描きやすいようだ。思いつきにほくそ笑み、満足して眠りにつく。善であれ、悪であれ。そんな人間が何処かにいるだろう、そう思える静かな夜だった。
重く閉ざされた書斎の扉の内側、密議と言うにはうっそりと、シガーミーティングというには少しばかり重い空気が支配する空間に、ロデリック・オークレイとエドモンド・ヨナス・ブライアはいた。
暖炉の火が小さな音を立てて爆ぜ、香ばしい松の煙と古いワインの匂いが絶妙に絡み合い漂う。
書斎机の上に開封されたまま置き去りにされた手紙の送り主は、キャサリン・ルイーザ・レプトン。キルシャローの鷹に送られた密書だ。
「ヴァレリア・クイン・ハンターのタリシュカへの帰路が決まったようだ」
ロデリックの言葉に、革の椅子に腰掛けていたエドモンドは背もたれから背を離した。
「漸くですか。はは、思ったより粘られたが、後継者殿の予測より早かったですな」
少しばかり食い気味に、前のめりになって話す。エドモンドは雑で豪快な男だが、頭の回転はロデリックでさえ一目置くほどの速さを誇る。今回の一件も思うところはあったようだが、ロデリックの長男でオークレイ家の次期当主であるトーマスの考えを尊重してくれていた。
「アレは、まだ経験が足りん。つい自分ならで考えたのだろう。いまだ野心の強さが諦めの悪さと繋がっている」
エドモンドとは対照的にゆったりとした仕草で背凭れに背を埋めたロデリックは、腕を置いた肘掛けの縁をトントンと指先で叩く。
「いやいや。うちの理想主義に、よく現実を見せてくださってますよ。夢見がちな倅には、いい指標となってもらっております」
エドモンドは、自分の息子と比べてトーマスはよくやっていると執り成す。
スタンリー・ブライアは、エドモンドの長男でブライア家の後継者だ。歳は二十三。
トーマスは二十五なので、年齢の釣り合いも取れている。末永く付き合うには、いい関係となるだろう。ただ、エドモンドに懸念があるとすれば、スタンリーが若さゆえの理想主義を掲げているところか。ブライア家の成長に尽力する姿勢は有り難いが、オークレイ家の支配に反発しているところがあるのも、もう少しうまく隠せと言いたくなる。利用されていることで、利用している。このあたりがいい落としどころなのだ。
爪を挫いて牙を剥く。それは、ずっと先の子に任せればいい。金はバトンだ。未来の我が子のさらにずっと先まで繋げていかねばならない。始まりがここなら、定盤な礎を築くべきなのだ。己のプライドなど腹の足しにすらなりはしない。
「しかし、侯爵。流れは変わった。次は内陸の絹が、港を求めて這い出してくるでしょう。公爵夫人からの手紙には、そのことも含まれていたのでは?」
ロデリックはテーブルに置かれたワイングラスを手に取るとゆっくりと回した。
「薬草で財を成した家か。森の奥で薬を煮るだけでは飽き足らず、今度は蚕を飼う。面白いことだ」
喉の奥で笑うロデリックに、エドモンドは眉を寄せた。
「面白いですって? 絹は、遠い東の国から船で運ばれる舶来の贅沢品だ。その高嶺の花をキャサリンの生家は、内陸で紡ぎ、自国内に洪水のように流通させる気ときた。輸出など二の次、国内の貴族どもを絹の虜にし、富を独占するつもりだ」
エドモンドが座る椅子が僅かに軋む。その音が、彼の中の緊張を増幅させた。
「あの女の蚕は、ただの虫じゃない。黄金の糸を吐き出す、貪欲な怪物のようなもの。国を絹で満たしたとしたら、ウチはどうなります」
「ブライアの毛織物は、値崩れするだろうな」
ロデリックが静かに告げ、二人の間に沈黙が落ちる。
エドモンドが思いつくことなど、ロデリックが思い至らないわけがない。では、どうするのだ。そこをエドモンドは聞きたかった。
「考えを、お聞かせ願いたい」
食い入るようにロデリックの横顔を見つめるエドモンドの顔に暖炉の火が影を作る。
「まぁ、そうだな」
ギラつく視線も意に介さず、ロデリックは一口ワインを含んだ後、グラスをテーブルに置いた。
「ハルツェンやレプトンが何処を狙うかだ」
侯爵の言葉に、怪訝そうにエドモンドは眉を上げる。
「何処を狙う?」
そこでエドモンドはハッとした顔になり、外連味が抜けた表情でロデリックを見つめ直した。
「積荷権……、等級証明書ですか!」
エドモンドの思いつきが当たったのだろう。灰色の瞳が細められ、炎の光がその中に嵐を映す。キャサリンの顔を思い浮かべたのか、侯爵の唇が微かに歪んだ。
「なるほど、確かに……。ああ、そうか。確かにそうだ」
合点がいったエドモンドは、一人何度も繰り返し頷く。
このポーレという国は、物流がなかなかに面倒くさい。
ポーレは、ファイベルズ大陸の北西部に位置する海に面した複数の島と本土の一部で構成される国だ。国土の55%が海抜0メートル以下の低地で、干拓地が広がる。北部は湿地と運河網、南部の島々は緩やかな丘陵地。
首都は、巨大な運河と水門に完全に運河で囲まれた島状都市なので、内陸から陸路で来た荷物も最後は必ず、外港から内港行きの最終運河船に積み替えられ運河水門を通って首都に入る。
陸で作ろうが、国内販売が目的だろうが、船に載らなければ始まらないのだ。
マンスフィールド公爵夫人が、マルケス子爵に接触を図ったのも子爵の外港からスターホールへと荷物を運ぶ最終運搬船の優先荷揚げ枠が欲しかったのだろう。
そして、等級認定。
キルシャロー侯爵であるオークレイ家は、マルケス子爵領を除くポーレ南部に限定した“荷揚げ権の総配分権”を持っている。
ポーレでの荷揚げ権とは、金になる特許権+通行手形+税関免除の三つが合体したものだ。
船が港に着いた瞬間から、どこの倉庫に、どの順番で、いくらの税を払って、もしくは払わなくて、荷物を陸に揚げるか。を決めるのが荷揚げ権である。これがなければ、船は港の外に停めたまま、荷物を揚げることはできない。
ではなぜ、その様な危険な権力をキルシャロー侯爵が持っているか。単純に言えば、百年以上前に王家を脅して奪い取ったから。
当時、ポーレ南部は王家直轄の六大自由港が独立して運営されていた。荷揚げ権も各港の領主が個別に保有していたのだが、南部六港のうち五港が記録的な大嵐により壊滅的被害を受ける。この時、なんとか難を逃れたのがマルケス子爵の港だ。とはいえ、他と比べて軽度であり、壊滅的か復旧の余地ありかの差でしかない。
復旧資金は王家にはなく、港は機能停止へと陥った。それを私財と私設船団を投入し、わずか三ヶ月で被害を受けた港を仮復旧させたのがロデリックの曽祖父であり、当時のキルシャロー侯爵だったセドリックである。
この時、余力のあったマルケスは自らも私財を投入しセドリックの介入を最小限に留めた。これがその後に活きてくる。
キルシャロー侯爵は、南部全港の復旧資金はオークレイ家が無利子で肩代わりする。その担保として、今後百年間、南部全港の荷揚げ権の総配分権をオークレイ家に委ねること。と、王家に密約を結ばせようとした。
しかし、ここで物言いをつけたのが当時のマルケス子爵だ。マルケスも私財を投入している。しかも、マルケスの港についてはキルシャローよりもマルケスの負担額が多い。それなのにキルシャローだけが荷揚げ権を持つのはおかしいと。
結果、マルケス子爵の港は鷹の爪から逃れた。そこにどのような金銭の流れや交渉があったのかは分からない。けれど、今でもマルケス子爵の港は独立した自由港として開かれている。
キルシャローが持つ総配分権について密約には、百年後に王家へ返還という但し書きが入っていたが、当時の国家予算の約三倍強という返済不能な額だったため、実質的に永久委任となった。
マルケスも似たようなものだろう。ただ王家直轄の旧権利書を保有するマルケスは、少しばかり形態が異なるかもしれない。
ポーレ南部の港は、キルシャローとマルケスに二分されているが六港に寄港する船の数に大きな隔たりはない。すべてに、程良く。
理由は簡単で、指定港に持ち込んで検査、保管、取引しなければならないという積荷権を持つ品目があるからだ。国際的な信用を高めるため、公的な機関が発行する等級証明書や品質刻印は、国家レベルの品質保証として機能している。
絹、香辛料、タバコなどの等級証明、最高等級であるとの証明書は、キルシャロー配下のテムスアムルダ港とルロムダッテ港、そしてマルケスのヴァル・ロッサ港の公的検査所でしか出なかった。
ポーレでは絹に三段階の等級があり、第一級は高値で取引され、かつ輸出も出来る。第二級以下となると、国内限定で価格は第一級の三分の一ほどに落ち込んだ。
貴族が身につけたがる最高等級、第一級絹の認定は、王立絹織物検査所でしか発給されず、三港以外の主要港や都市でも勿論異なる目的や権威を持つ品質検査は行われていたが、他の港では永遠に第二級止まりなのだ。
内陸で絹を生産し、陸路でまず国内流通、その後輸出と考えれば、表面的には荷揚げ権は関係ないように見える。しかし、ポーレの現実では国内流通の最終段階で必ず等級証明書という荷揚げ権が絡む。という、非常に陰険な構造になっていた。
大口商人は、港の枠を持っている者しか相手にしない『港の枠=信用=金になる』という構造がそのまま成立しているからだ。
儲けたいと思った瞬間から、荷揚げ権は絶対に避けられない。
「しかし、マルケスは……」
これは、とんでもない儲けの話だ。
マルケスを黙らせる算段が、あるというのか。ならば、それは何だ。
エドモンドは、ぐるりと思考を回す。
あの手紙には何が書かれていたのだろう。
そこで初めて、ロデリックは彼に顔を向けた。
獲物を狙う鷹の目に、エドモンドの背筋をゾワゾワと何かが這い上がってくる。
ロデリックの思惑を、言い当てるような真似をすればよくないことが起きる。そう頭の隅で警鐘が鳴った。ここは何も言わず、一歩下がろう。エドモンドは自身の勘を頼ることにした。攻め時を間違えない彼の商才が、知らず彼自身を救った瞬間だった。
「ブライアの毛織物は値崩れしない。絹と並べて売れば、両方が高級品になるだろう」
「……」
二人の間に、沈黙が横たわる。
「……貴方は、恐ろしい男だ」
やがて開いた口からこぼれたのは、そこには何の感情もない。ただの平たい、見たままを口にするような言葉。けれど、そんなエドモンドからの言葉を受け、ロデリックは薄く笑った。
「ハルツェンへの条件は?」
「ブライアの毛織物と同じ荷揚げ権を与える。代わりに、ハルツェンの薬草ルートを、オークレイの船団にでも優先的に回してもらおうか」
エドモンドは思わず息を飲んだ。
今まで鷹の目を逃れ、ハルツェンが握ってきた財を、オークレイが吸い上げる。その宣言にほかならなかったからだ。
顔色を悪くするエドモンドに、ロデリックは今度こそ声を立てて笑う。
「冗談だ。そこまで欲はかかんよ」
ワイングラスのプレートに指をかけたまま、テーブルの上を滑らせるように小さな円を描く。ユラユラとボウルの中で赤い液体が揺れた。
「いや、ハルツェンの薬を船に載せることは変わりがないがな」
「……」
ロデリックに転がされ、ボウルの中で緩く渦を巻く赤いワインをエドモンドはただ眺める。
この男の止め方を、いつか知る人間が現れるのだろうか。
だが、そんなエドモンドの思惑を裏切るようにロデリックは続けた。
「シヨンの重石が消えた今、目の上の瘤が消えたとベルーシャを勢いづかせるわけにはいかんのだよ」
ぐっ、と喉の奥が詰まった。否、心の臓が掴まれたのかもしれない。冷たい汗がどっと噴き出し皮膚を濡らす。暖かな室内にいるのに全身が薄ら寒かった。
かつて、財貨の女主人と呼ばれた女傑がいた。彼女が伴侶に選んだのが、彼女を伴侶にと望み、その願いを叶えられたのが、シヨン公クリストファー・スローン。そのクリストファーが天の宮城へと旅立って二年が経つ。
ベルーシャの繁栄を阻む遠因となったのが財貨の女主人だと言われている。そしてその夫もまた天へと昇った。
クリストファーの後を継いだのが、トリロレン・エイモス・ジェノア・バーンズ。夫妻が執念で見つけ出したスローン家の縁戚で、彼を後継に据えるために法まで改定した。イディーランド生まれということで四聖連合王国との繋がりが深く、シヨンに招かれる前はイエンにも暮らしていたという。
世界は常に動き続けている。
ベルーシャが再び交易を支配しようと手を広げることは目に見えていた。
だが、この隙はベルーシャ以外にも好機であるのだ。
「舵は、常に我々が握る。潮は、常に我々が決める」
ポーレを、王国を押し上げるために。
鷹の翼が乗せて飛ぶのは、果たして誰の欲なのだろう。
暖炉の火が、壁に掛けられていたオークレイの紋章である銀の錨と金の鷹を赤く染めた。
二人のグラスが、静かに触れ合う。
霧の運河の向こうで、ポーレの新たな均衡が、静かに動き始めていた。
荷揚げ権について。
自分もよくわからなくて困惑しながらなのでうまく伝わらなかったら申し訳ない。
モデルにした国が何処かわかれば、有識者の方々が感想欄で補ってくださるかもですが、国については秘密と。
一見、荒唐無稽に思える絹の等級主義。しかし、現実は小説より奇なりで実際にオカルトの領域では?という縛りで←満月に向かって財布を振るみたいな。百年近く採用されていたと知って、身分制度コワ〜となりました(小並
あと、
タナイストかタナイステか悩んだんですけど
タナイステだと副首相だし……
相続者〜タナイストってタイトルで書籍が出版されていたのでタナイストで




