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螺旋のハリス  作者: 櫻井


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3.めぐる意図、つむぐ企図

 王都スターホールの王立公園近く、王宮にもほど近い場所にマンスフィールド公爵邸はあった。邸宅の大広間は、贅を尽くすという言葉に相応しいシャンデリアが輝き、その光の下で舞うのは色とりどりの(ドレス)蜂鳥(テールコート)



 典型的な夜会の片隅から、貴族たちの笑顔と囁きを静かに観察している目があった。グラスを傾け、笑顔の裏で策略を巡らせる者たちに向けられた思慮深い森の奥に似た深い緑の瞳。しかし、自分の獲物に夢中な彼らは、誰もその視線に気が付かない。


 シャナンは、手にしたグラスを円を描くように左右に揺らした。淡く甘い琥珀色の液体の中で立ち上がっていた微かな泡がサラサラと弾ける。


 知恵の木の枝葉は存分に風に揺れ、王都の動きを余すことなく彼女に伝えていた。

 クラレンスの愛が、ヴァレリア・クイン・ハンターの未来を狂わせ、マルケス子爵の慎重な判断を呼び起こしたこと。


 オークレイ家が支援し、経済的影響力を拡大してきたブライア家がリード家に接触を図ろうとしていること。


 ここまでは、彼女の予測した通りの展開だ。

 だが、それだけにしては流れが速すぎる。


 ゆっくりとシャナンの瞳が動き、視線の先に一人の女性を捉えた。


 マンスフィールド公爵レディ・マンスフィールド夫人。


 キャサリン・ルイーザ・レプトン。生家のハルツェン家は薬事を得意とし、小麦より薬草畑が主力。子爵家の小銭商いと蔑まれても手を緩めず、商会の手を広げ薬商いで財を築いた今は豪商。


 ギリギリまで情報を集めた甲斐があり、なんとなくだがマンスフィールド夫人が描こうとしていた絵が見えてきた。


 ハルツェン家の主力は薬事業。当然、薬草畑の傍らに桑の木が生えていてもおかしくない。

 汎ゆるものを有効に。


 桑畑を拡げ、養蚕に本格的に乗り出したのだろう。蚕が繭糸を吐く前に死んだとしてもその幼体は薬になる。蚕糞も薬だ。繭を取って死んだ蚕は、飼料にも、魚の餌にもなる。栄養価が高い事から、滋養目的の地元料理として人が口にすることだってある。残念ながら、貴族の食卓に上がることはないが、お茶としてなら飲むことはあった。蚕沙は胃痛にいいらしい。


 ―――さて。


 と、シャナンは手にした扇を軽く振った。


 意識を切り替える。


 ハルツェン家は養蚕から絹織物に進出する計画だったとして、マンスフィールド夫人の役割は調整役といったところだろう。

 もしかしたら、マンスフィールド領で新たな織物工場を作る計画だったのかもしれない。ベルベットの絹織物は一日に数十センチしか織れない高級品だ。


 国内流通、国外からの輸入品。新たな産業として立ち上げるのに、すぐに立ち行かなくなるようでは話にならない。さぞや根回しに手間と時間がかかった事だろう。


 そうして地均しが終わりかけた頃、ヴァレリア・クイン・ハンターが現れた。


 つまりは、運悪く競合したのだ。


 マンスフィールド夫人が尽力し、整え終わった土壌に、美と情熱の狩人が種袋を携えて乗り込んで来た。


 下調べが足りなかったわけではないだろう。夫人が水面下でうまく動きすぎたのだ。シャナンですら、この様な事態になるまで気が付かなかった。


 誰が悪いわけではない。ただ、時が悪かった。運でもいい。巡り合わせのタイミングが悪かった。

 これはもう、致命的としか言いようがないけれど。


 せめてレヴァントが持つ港で満足すればよかったのだ。せっかく、クラレンスがホーソーンとリードの関係を壊してまでヴァレリアを選んだというのに。


 ――――苦しい立場は、マルケスでしょうね。


 マンスフィールド夫人がどの港に目をつけていたのかは知らないが、ポーレ最大の港湾都市を有するのはマルケス子爵。


 シャナンは、サラリと視線を動かした。


 バートン卿が赤ら顔で貴族女性と笑う姿、カエドラント大使がマンスフィールド夫人と話す姿、そして、遠くでミニス男爵が見慣れない紳士たちと何やら密談めいた会話に耽っている姿。

 それだけではない。

 会場を俯瞰するように冷徹な目で見れば、まさに魔窟。


 ――――今宵のこれは、なんの集まりだったかしら?


 少しだけ、胸が高鳴る。

 今まではクラレンスを押し上げるだけに注力していた関係図も、今は他人事と、ただただ眺めるだけの他山の石だ。


「レディ・シャナン、今宵も美しいですね」


 円味があるバリトンにシャナンの思考が途切れた。

 身体ごと声のした方向へと向き直る。カオール子爵が、穏やかな笑みを浮かべて近づいてきた。


「過分なお言葉、感謝します」


 シャナンはグラスを軽く傾け、微笑みを返す。

 無垢とするには知恵があり、女傑とするには穏やかで控えめな木漏れ日が似合う才女。世が評価する無害の仮面をするりと被った彼女は子爵からの声かけに動じることなく、彼を傍らに迎え入れた。


「今宵は、随分と賑やかですな」

「ええ。侯爵夫人の人脈の豊かさには、驚かされるばかりです」


 ちらりと視線を動かすシャナンにつられ、カオール子爵もそちらに視線を向ける。遠くでこちらを盗み見る年嵩の淑女達と目が合った。


「なるほど。些か年嵩なかわいい小鳥たちが、何か新しい噂を探しているようですな」


 そそくさと扇で顔を隠したり顔を背けたりした小鳥たちは、シャナンたちの視線から逃れようと、我先にとその場から立ち去る。

 引き際は一流だが、想像力も一流に思える彼女たちが明日からどんな噂を囀るのかとシャナンは半ば呆れた笑みを唇の端に浮かべた。


「一時、レヴァント伯爵の話題で持ち切りだった名残でしょう。ホーソーン家とリード家の婚約解消、ヴァレリア嬢の動向……キルシャローの鷹。まったく王都は、噂に事欠かない」


 カオール子爵は、くすりと笑い。シャナンも微笑みを深くして小さく頷く。


「噂は、風のようなもの。どこから始まり、どこに吹いていくのか」

「そして、噂は勝手に育つもの。誰かが手を下さずとも、ね」


 互いの言葉の奥を察し、笑い合う。


「子爵は、どう思われます? この騒ぎの行く末を」


 子爵は、グラスを口に運び、考え込むように目を伏せた。


「レヴァント伯領からの穀物供給は、マルケス子爵領にとって欠かせません。レヴァント伯爵の軽率な行動が、いくつかの契約ごとに影響を与えている。ヴァレリア嬢がマルケスとの交渉を進めようとしたようですが……どうやら、門前払いだったとか」

「あら……」


 シャナンの瞳が、わずかに開き、細められた。さも今知ったかのような反応だが、彼女の情報網は、すでにマルケスがヴァレリアの提案を拒絶したことを伝えている。ホーソーン家との穀物供給契約を優先するマルケスの判断は、貴族社会の力学そのものだ。


「マルケス子爵は、慎重な方ですものね。リスクを冒すより、安定を選ぶ」

「その通り」


 カオール子爵は深く頷き、穏やかな雰囲気を崩さないシャナンに探るような視線を送る。


「しかし、レディ・シャナン。あなたも当事者の一人だ。あなたの目を通せば、この騒動の行く末はどう映るのです?」

「わたくし、……ですか」


 カオール子爵の探るような視線を穏やかに受け流したシャナンの唇に、冷たい笑みが浮かんだ。


「そうですね、正直……」


 一旦、言葉を切ったシャナンは少しばかり遠くへと視線を投げる。


「どうとでもなれ、と」


 クラレンスと婚約していた一年と少々。シャナン自身、色々研ぎ澄ますことができた時間だとは思っている。しかし、ただそれだけだ。

 クラレンスの傍らでなければ見ることができなかった光景かと問われると、さてどうだろうかと首を傾げる程度のことでしかない。


「これまた手厳しい」

「ふふ。動機が動機ですから、円満解消とは言い難いと思われるかと思いますが、そうでも御座いませんのよ」


 寧ろ、あと半年も遅かったら婚姻の日取りなどが決められてこの程度の騒ぎ(うわさ)では収まらなかっただろう。


「わたくしを請うて下さいました前レヴァント伯爵からは、病身を押しての謝罪を受けておりますし。わたくしも自身の力不足をお詫び致しましたの。そこで区切りがついていると思っております。リード家とホーソーン家の間には、特に成約があったわけではございませんから」


 ……レヴァント伯爵は、少し勘違いをされていたようですが。


 彼女の声は、まるで水面に落ちる一滴のようだった。涼やかで、けれど芯がある。


「それはつまり、……パヴィ伯も夫人も同じ考えであると?」


 年頃の娘が、突然の関係解消で放り出された。その報復措置は取らないのかと……これも噂の一つであろう関心事を確認したいのだろう。カオール子爵に対し、煙に巻こうと思えばいくらでも曖昧な返事はできる。

 だがシャナンは、明確に関係を切り分けることで、これから起こるであろう大きな波のうねりとリード家は無関係であると暗に伝えることにした。


「この王都の舞台は、勝手に動き出しますから」

「……なるほど」


 一瞬でシャナンの意図を冷たく分析したらしきカオール子爵は、一人何度も頷く。


「後日、パヴィ伯に晩餐会へお招きしたいとお手紙を差し上げたいと思います。是非ともご参加願いたいと」

「まぁ、光栄なこと。勿論、伝えておきますわ」

「よしなに」



 ◇



 カオール子爵が去った後、シャナンは再び夜会の喧騒を眺めた。


 クラレンスは、今宵もどこかでヴァレリアへの傾倒を公言し、貴族たちの冷ややかな視線を集めている事だろう。

 それが、彼の立場を危うくしていると気が付かずに。


「……あれは」


 マンスフィールド夫人を囲む人々に目を留めたシャナンの瞳が、わずかに細まる。


 彼女を取り囲む獅子たちの中に、キルシャロー侯(キルシャローの鷹)爵、ロデリック・オークレイを見つけたからだ。彼の一歩退いた傍らにブライア家の関係者もいる。名も知らぬ相手だが、ブライア家の紋章である中央に金色の羊が描かれた深緑色の楕円形のシールドの刺繍を施したガウンを纏っているのだから間違いようがない。


 ヴァレリアが市場を奪いたいブライア家。そのブライア家を強力に支援するオークレイ家。


 ポーレ王国の侯爵家として、マンスフィールド侯爵と並び、交易と社交界を率いる支配者キルシャロー侯爵。双方ともに譲らない権力者ではあるが、社交のマンスフィールド、交易のキルシャローとも言われている。


 マンスフィールド夫人の糸は、随分広く遠い所まで伸ばされていたようだ。


「早く、お逃げなさい。手遅れになる前に……」


 誰に聞かせるでもない忠告。


 人の思惑は、まるで夜の海のようだ。潮の流れが変わっても気づきにくく、毒を持つ生き物が目を覚まし動き出す。


 シャナンは、夜の海には近づかない。彼女は、自らの意思で舞台を降りた。だから、誰かを手助けすることはないし、何かを囁くこともない。遠い場所から、ただ波の高さを気づかせない残酷な海を眺めるだけ。




 ◇




 一方、ヴァレリアの借り物の屋敷では、主たる彼女が苛立ちを抑えきれずにいた。


 マルケスからの手紙を待って、書斎をひたすらに歩き回る。


「ヴァレリア様、マルケス子爵からの返信です」


 書斎の扉が控えめにノックされ、侍女のトリーが静かに入ってきた。彼女の手には封書が載せられたトレイがある。


「やっと来たのね!」


 彼女は封書をほぼ奪うように手に取り、蝋封を乱暴に破った。だが、数行読んだところで手紙を持つ手が震え始める。


「なぜ?!」


 これで三度目の拒絶だった。

 ヴァレリアはクラレンスを利用し、マルケス子爵との交渉の橋渡し役としたが、彼のスキャンダルがその足場を揺さぶり、今ではマルケスから冷淡な拒絶を受けている。


「クラレンスとは交際の意思がないと、はっきり書いた。ブライア家のシェアを奪う計画も、数字を揃えて具体的に提示したというのに、なぜマルケスは受け入れないの」


 今にも髪を掻き乱しかねない主人を前に、トリーはジルから伝え聞いた内容を冷静に口にした。


「ジルが、マルケスがホーソーン家との関係を優先する背景には、貴族社会での政治的バランスがあると言っていました。レヴァント伯爵の近況が、ヴァレリア様の名と結びつけられてしまったことは方便。子爵が恐れているのは、この騒動にキルシャローが目をつけたことだと」


 ジルは、ヴァレリアがタリシュカから連れてきた忠実な密偵だ。元海賊の出自から裏社会に精通していて、王都の情報屋や商人から情報を収集し、裏側からヴァレリアの交易計画を支える役割を担ってくれている。


「キルシャロー……」


 目を通したポーレの貴族要覧を思い出すまでもなく、すぐにヴァレリアの脳内に一人の人物が浮かんだ。


 キルシャロー侯爵、ロデリック・オークレイ。

 ポーレの交易網と港湾管理に絶大な影響力を保持するオークレイ家の当主。

 腹立たしい商売仇、ブライア家がポーレ内で急速に市場を広げたのもオークレイ家のマルケスとは異なる荷揚げ権や流通ルートの後ろ盾があったからにほかならない。


「ヴァレリア様の提案は魅力的ですが、キルシャローの鷹に目をつけられた。もし、ブライアが泣きつきオークレイ家と全面対決となれば、その被害はホーソーン家の比にならない。子爵はリスクを避けたかったのでしょう」

「ここにきて……」


 ギリリと歯が軋む音が聞こえてきそうなほど、ヴァレリアの唇が歪む。


「どこまでも忌々しい!」


 ヴァレリアは、手紙を握り潰し、暖炉に投げ込んだ。紙が炎に飲み込まれ、灰になる。


「クラレンスのせいで、すべてが台無しだわ。ブライア家も!」

「お嬢様、落ち着いてください」


 焦りと心配が滲んだトリーの声に応えず、ヴァレリアは怒りに疲れた顔で手を振ってトリーに退室を促す。一人になりたかった。


「マルケスが動かないなら、ポーレにこだわる必要はありません」


 常なら、主人に従うトリーだが、今回は抗い言い募る。


「なにを……」


 ジルは、ヴァレリアの野心を成功させるためなら手段を選ばない絶対的な忠誠を誓ってくれている男だ。その彼が、事の難しさに眉を顰めていた。「ポーレの社交界は、曖昧な繋がりで入り組んでいて、関係が複雑すぎる」と。


「ジル曰く、ポーレは貴族同士の関係が難解で形勢の優劣の判断が難しいのだそうです」


 関係と本質が容易に理解できない難解さ。


「それでも、今も何処かに抜けがないか探しています。彼の報告を待ってから、再び考えましょう」


 今にも縋りつきそうな真剣な顔で自分に訴えるトリーに、ヴァレリアの中に冷静さが戻ってくる。


「……そうね、トリー」


 乱れた前髪が、ヴァレリアの顔に疲れた影を落としていた。


「よく眠れるように、新しく香茶をお持ちします。少々、お待ち下さい」

「……ありがとう、いただくわ」


 トリーは一礼し、部屋を後にする。

 ヴァレリアは、ゆっくりとした動きで長椅子に腰を下ろした。


 一人となった静かな部屋で、耳に聞こえるのは焚べられた薪が爆ぜる小さな音。世界から切り離されたような小さな部屋で、ヴァレリアは虚空を見つめたまま動かない。


「マルケスが動かないなら、ポーレにこだわる必要はない……」


 ブライア家とオークレイ家の結託は、強固な壁となりヴァレリアの計画を阻む。


「……貴族同士の関係は、難解……」


 自分を手中に収めようとするクラレンスと、彼の暴走から誇りを傷つけられたはずなのに沈黙を守る元婚約者。


「貴族、同士の…………」


 マルケスの港は惜しい。

 惜しい。が、だが。


「そうね、……そうだわ」


 ヴァレリアの唇に、薄い笑みが浮かんだ。


 立ち上がり、書棚の前へ急ぐ。棚から一冊の帳簿を取り出すと頁をめくった。


「クラレンスが紹介した商人たちの中にも、オークレイ家と距離を置く者がいる」


 ふふ……。抑えきれず小さな笑い声をこぼしながら、ヴァレリアは壁にかけられた地図を見た。


 彼女が凝視するのはポーレの国境の(キワ)

 マルケスはダメ、クラレンスの世話にはならない。貴族のしがらみに囚われず、オークレイ家の影響の薄い場所。

 消去法で港を選んでゆけば、行き着くのはポーレ北部の小さな港町。ブライア家が歯牙にもかけない漁港に毛の生えた程度の規模の小さな港。


 それでも。


 オークレイ家の影響が薄くブライア家もまだ手を伸ばしていない。


 この条件が第一なのだ。


 港が小さく交易網を広げるには、資金も人脈も足りないというのなら、こちらから送り込めばいい。


「長い付き合いに、なりそうね」







 車輪が石畳を擦る音をたてながら、一台の馬車がヴァレリアの屋敷の横を走り抜けていった。





ヨーロッパの養蚕業は伝染病により壊滅。細菌学者により、原因の特定や予防など発見されますが、残念ながら廃れていきます。

この時、日本から蚕がヨーロッパに渡りほそぼそと現代までつながります。

イタリアと違い養蚕に失敗した英国は、貿易赤字が嵩み植民地でケシを作り始めます。それが阿片戦争へと繋がるのですが、何か一つ、どれをとっても必ず戦争に繋がっていくのは人の業なんでしょうかね。

舞台としているファイベルズ大陸は、色々生命力強そうなので微粒子病も流行らないかもしれません。

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