幻の妖精探しとまさかの呼び出し
休日明けに登校すると、いつもは和やかな雰囲気の教室がざわざわと騒がしかった。
特に女生徒たちが落ち着かない様子で、何かあったのだろうかと不思議に思いながら席に着くと、こちらに気付いた友人のコレットが駆け寄ってきた。
「おはようエミリー! ねぇ聞いた? なんと! あの! 難攻不落のアルベール様に新しいお相手が現れたんだって!」
ブッと吹き出しそうになるのを寸前に堪えたエミリーは、どうにか平静を装って微笑を浮かべる。
「――そうなの? ちなみにお相手はどなた?」
「それが分からないのよ~! 休日に王都で女性をエスコートしてたみたいなんだけど、目撃者が遠目にしかお姿を拝見できなかったらしくてね。噂では妖精のように愛らしい美少女だったとか」
「ん”ん”っ」
「? どうしたの?」
「な、なんでもないわ!」
背中に嫌な汗が吹き出しつつ、ふふふ、と口元に手を当てる。
たしかに昨日はリュシアンと二人で外出したが、決してデートではない。それにどう見たら妖精のように愛らしい美少女になるのだろうか? 相当に視力が悪い目撃者だったのだろう。
「その、まだデートだと決まったわけじゃないんじゃない? たとえばご親戚とか」
「それにしたってすごい衝撃よ! 女性嫌いで有名なリュシアン様が自らエスコートされていたのよ? どんな形でも特別な存在なのだろうし、婚約者の座を狙っていたご令嬢たちは朝から大騒ぎってわけ」
「ああ……」
エミリーは遠い目をした。かつて盛りに盛って猛烈なアタックをかまし、無念にも散っていったご令嬢達が歯噛みする姿がリアルに目に浮かぶ。
休日に王都へ出掛ける生徒は珍しくないので、目撃者がいたこと自体には驚かなかった。
けれど人混みの中でほんの一瞬すれ違ったとしても、目立つのは絶対にリュシアンの方で、平凡でこれといった特徴のないエミリーが特定されることはまずないだろうと期待していた。
(ちょっと複雑だけど、一緒にいたのが私だと知られなくてよかったわ)
胸に安堵が広がる。エミリーは噂の的になる度胸など欠片も持ち合わせていないモブ令嬢の極みである。演劇でキャスティングされるなら、主役の背景に溶け込む通行人Aがお似合いでしっくりくる。
平穏な学校生活のありがたみをしみじみ噛み締めていると、コレットは「でもアルベール様はお気の毒よねぇ」と頬に手を当てため息を吐く。
「わざわざSクラスに押しかけてまでお相手が誰なのか突き止めようとする子とか、女性嫌いじゃないなら自分にもワンチャンあるって猛アピールする子とか、とにかく女子に纏わりつかれて大変みたい」
「ああ……」
行く先々で女生徒に群がられ、辟易するリュシアンの姿が目に浮かび、心の中で合掌した。同情を浮かべるエミリーに、コレットはすいっと片眉を上げる。
「あのねぇ。他人事みたいな顔してるけど、エミリーだって無縁な話じゃないでしょ」
「えっ」
「えっ、じゃないわよ! 婚・約・者探し。難航してるって言ってたでしょ? だから驚いたわ~。婚約者の男性にエスコートされたい場所とか、贈られて嬉しいプレゼントを教えてくれだなんて今までそんな話題出たことなかったじゃない。もしかして~、どちらかのご令息に相談されたんじゃないの?」
「!?」
「あはっ、その顔は図星ね。その方、相談なんて口実で実はエミリーに気があるんじゃない? きっと事前に好みをリサーチしてあなたを口説き落とすつもりなのよ。そうに違いないわ!」
好奇心いっぱいのわくわくした顔で詰め寄られ、たじたじになったエミリーは背中を後ろに逸らした。
「全然そんなんじゃないわ。その方とは本当にただの友人なの」
「え~? そう思ってるのはエミリーだけじゃないの? のんびりしてて恋愛には鈍そうだし」
「たしかに恋愛に敏感ではないけど、今回はほんとに違うわ。その方は訳あって女性が少し苦手で、奥手な方なの。婚約者をお探しなのだけど、アプローチの仕方が分からないみたい。それで相談を受けているだけよ」
「なぁんだ、そうなのぉ? つまんないっ」
コレットはあからさまにガッカリして肩を竦める。期待に応えられず申し訳ないなぁと苦笑しながら頬を掻くと、なぜかちょっと怒ったような声が返ってきた。
「その方、友人とはいえ適齢期でお相手を探している女性にそんな相談をするなんて失礼じゃない? それに情けないわ。いくらエミリーがお人好しだからって、親身になってあげることないわよ」
エミリーはパチパチと瞬きする。どうやらコレットはエミリーが軽んじられたと感じて腹を立ててくれたらしい。温かな友情に感謝しつつ、首を横に振った。
「あのね、別に軽んじられているわけではないのよ。ただ本当にお困りで、他に相談できる女性のご友人がいないみたいだったから、私が勝手にお節介を焼いているの」
「ふ~ん。女性の友人すらいないなんて、よっぽどモテない男なのね」
コレットは目を眇めて吐き捨てるように言う。エミリーはむむむと口を噤んだ。
(うーん。むしろその逆なのだけど……?)
内心独り言を呟く。相談相手がリュシアンだと悟られては困るので助かったが、リュシアンの名誉のために訂正を試みた。
「私の言葉が足りなくて誤解させてしまったようだけど、素敵な方なのよ。いつも誠実に向き合ってくださるし、私の悩みを聞いて助けてくださるの。友人としてとても良くしていただいているわ」
心からの笑顔を浮かべると、きょとんとしたコレットは突然にまーっと口角を上げた。
「なるほどねぇ~。エミリーはその方が好きなのね?」
図星を指されてギクリとする。エミリーの表情から内心を読み取ったコレットは、すかさず畳みかけた。
「その方、まだ決まったお相手はいないんでしょう? 絶好のチャンスじゃない! 友人の立場を利用してできる限り距離を詰めて惚れさせるのよ!」
「いやいやいや、無理だから!」
「どうしてよ? エミリーだって良い方がいれば結婚したいんでしょ?」
「それはまぁ人並みに結婚願望はあるわ」
「それなら――」
「……どうしても、その方はだめなのよ。友人として深く信頼してくださっているの。それに私が下心を見せて期待の眼差しを向ければ、とてもお困りになってしまう。私ははじめから婚約者候補の対象外なの」
苦さを含んだ微笑みを返すと、コレットはエミリーの胸の痛みを察して眉を寄せた。
「……分かったわ。浮かれて茶化してごめん。でもエミリー、あなたは自分を過小評価し過ぎだと思う。家柄と血筋だけが取り柄だと思ってるでしょ? それは大きな思い違いよ」
「ふふっ、ありがとう。慰めてくれるのね」
「~~~~そうじゃないってば! たしかにね? エミリーは目立つタイプじゃないけど、控えめな性格で気立てが良いし、何よりすごい努力家よ。最近はめきめきと魔法が上達して、明るい笑顔が増えた。あなたに心惹かれるお相手がいつ現れたっておかしくないわ。――ほら、噂をすれば」
「え?」
エミリーの背後に目線を送るコレットにつられて振り向くと、同じクラスの男子が声を掛けるタイミングを見計らっていた。
「ブラン嬢。少し話せるかな?」
「? はい。何の御用でしょうか?」
相手に合わせて立ち上がると、彼は少し照れくさそうな顔でコホンと咳払いした。
「定期試験が終わった後、王都で秋祭りが催されるだろう? もし興味があれば、僕に君をエスコートさせてくれないか?」
「っ!?」
「驚かせてすまない。ただ、もたもたしていると他の令息に先を越されると思ってね。まだ先の話だし、すぐにとは言わないから後で返事を聞かせてほしい。良い返事を期待しているよ」
にこやかな笑みを残し、彼は友人達の元へ戻って行った。こちらの様子を窺っていた友人達から軽く背中を叩かれたり、冷やかされたりと、何やら浮かれて盛り上がっている。
エミリーは我が身に起きた出来事に呆然とした。
「ほらね? 私の言ったとおりだったでしょ?」
ドヤ顔で肩に腕を回してくるコレットを信じられない目で見つめ返すと、にわかに教室が騒がしくなった。同じ学年でSクラス所属の王太子ヴィクトル殿下が護衛を伴って現れたのだ。
(まあ! 王太子殿下だわ。みんなが色めき立つのも納得ね)
ヴィクトルは艶やかな黒髪にエメラルドの瞳の美丈夫だ。すらりとした長身で頭脳明晰、魔力も高い。
男子生徒の制服である白いタイ付きのシャツに黒のウエストコートを重ね、同色のコートを羽織り、ピンストライプのトラウザーズを纏う彼は気品に溢れている。
(殿下は身分を問わず分け隔てのない態度で接してくださるし、穏やかな微笑みを絶やさないから男女問わず人望の厚い方。全校生徒の憧れの存在なのよね)
コレットがエミリーの肩を離し、遠くを見渡すように目の上で手庇を作る。
「お~。生ヴィクトル殿下! 朝から眼福ぅ~」
「ふふっ、そうね。でもBクラスにいらっしゃるなんて珍しいわ。どなたかにご用かしら?」
悠然と教室内を見渡すヴィクトルを気楽に眺めていると、パチッと視線が交わる。するとなぜかヴィクトルは優雅な足取りで近付いて来て、目の前でぴたりと歩みを止めた。
「おはよう。君がエミリー・ブラン伯爵令嬢かな?」
「は、はいっ!」
危うく舌を噛みそうになりながら慌てて返事をする。カチコチに固まったエミリーにふっと笑みを零したヴィクトルは、穏やかに言う。
「そうか。ではこれから少し時間をもらえるかな? 授業が始まるまでまだ十分時間がある。 折り入って話したいことがあるんだ。ぜひ私と共に来てほしい」
「!?!?」
エスコートのために己の腕を差し出し、爽やかに笑うヴィクトル。
呼び出される理由に心あたりがなく、クラス中の注目を集めたエミリーは本気で気絶しそうになった。
しかし、ヴィクトルの申し出を断る権利などはじめからありはしない。隣のコレットに肘で小突かれ、「早くお受けして!」と眼差しで凄まれる。エミリーは青褪めながらごきゅっと唾を飲み込んだ。
「み、身に余る光栄です。恐縮ですがよろしくお願いします……っ」
ぷるぷると足が震えそうになるのを堪えながら、おそるおそるヴィクトルの腕に手を添えた。