女性苦手克服作戦2
「リュシアン様に友人になってほしいと言われた時は驚きましたし、正直戸惑いました。だけどこうしてお側で過ごすうちにリュシアン様の温かいお人柄に触れ、リュシアン様のご期待に応えたいと思うようになりました。――だから頼っていただけて嬉しいです。リュシアン様にお願いされるのは、たとえささやかなことでも誇らしいのです。私、そもそも人に期待される立場ではなかったので」
エミリーは穏やかな笑みを浮かべた。自虐して同情を引くためではなく、リュシアンにどれほど勇気をもらったか、背中を押されたか――感謝の気持ちを伝えることで、少しでも元気になってもらいたいと思った。
「こんな私に自信をくださったのはリュシアン様ですよ。私には人生を変えるくらいのすごい変化です。リュシアン様、私に期待してくださってありがとうございます。これからも目的を達成されるまでお側で応援させていただきますね」
リュシアンを励ましつつ、二人で過ごす時間は有限だと宣言する。わざわざ口にしなくても同じ認識でいると思っていたが、リュシアンは虚を突かれたように息を呑んだ。
「……今のは、私が女性への苦手意識を克服した時点でもう二人で会うつもりはない、という意味だろうか?」
恐る恐る、薄氷の上を歩くような慎重さでリュシアンが尋ねる。固い声色に緊張が滲んでいて、彼がエミリーとの時間を惜しんでくれていることに不謹慎ながらも喜びが湧いた。
けれど二人で過ごす時間は特殊な状況下ゆえに成立するものだ。
「リュシアン様に非はありません。ただ、元々リュシアン様が女性への苦手意識を克服するために友人になりましたよね? なのでリュシアン様が目的を達成されれば、二人で過ごす理由がなくなります。恋人でも婚約者でもない男女が理由もなく頻繁に会うのはおかしいですよね?」
常識を盾に諭すと、リュシアンは思い至ったようにハッとした。
「そう、か。そうだな……。君も私も婚約者を探している身だ。特定の異性と親しく過ごすのは好ましくないな。だが本音を言うと、とても残念だ。君と過ごすこの時間をオレは心地よく思っていた。毎週、君に会える日を指折り数えて待つほどに」
「!」
いつもなら「私」というリュシアンが「オレ」と砕けた口調に変わり、衝撃を受けた。
憂いを帯びた空気を纏う彼の表情は曇っているが、眼差しは熱っぽく、とてつもない色気を放っている。さらに、わりとものすごいことを言われた気がする。もちろん深い意味はないだろうが――
(無理無理無理。心臓が持ちません……!!)
すぅっと天に召されそうになり、歯を食いしばって耐えた。分かりやすく気落ちした様子のリュシアンにきゅうっと胸を締め付けられる。
「あの、目的を達成した後も友人であることには変わりませんか?」
「! もちろんだ」
「では、お話する機会はありますよ。ただ、二人きりの時間がなくなるだけです。他の異性の友人たちと同じです」
「そうだな。居心地が良いからといっていつまでも君に甘えているわけにはいかないな。目的を達成した暁には新たな婚約者選びに本腰を入れようと思う」
「はい。私もリュシアン様に教えていただいたことを活かして魔法の研鑽に励みます」
お互いに前向きな言葉を交わし、空気が和らぐ。しかしエミリーの内心は暗かった。二人で過ごす時間は有限だと明白にしたのは、しっかり線引きすることで身の程を弁えるためだった。
(友人になってからのリュシアン様は優しい眼差しをくださるようになった。名前を呼ぶ声にも親しみがこもってる。微笑みも増えた。それが嬉しくて――同時に苦しい)
この気持ちの正体には見当がついている。校内でリュシアンが他の女生徒の挨拶にきちんと応える姿を見かけた時、胸がざわざして落ち着かなかった。
このまま側にいれば、リュシアンが他の女性を選び、親しくなっていく過程を見守ることになるだろう。それが辛いと、耐え難いと思うほどにはもう手遅れだった。
(ささいなことでも礼を欠かさない。家族にも言えない劣等感を軽くしてくれた。ずっと悩んでいた魔法の問題を、親身になって解決に導いてくれた。特別与えられるものがなくても、側にいて心地が良いと嬉しそうにしてくださる)
リュシアンと距離が近付いて、彼の良いところ、繊細なところ、実はちょっと意地悪なところなど、様々な魅力に気づく度、リュシアンのことを考える時間が増えた。一度種が芽吹いてしまったら最後で、想いはすくすくと育ってエミリーの心の真ん中に根を張っている。
(でも、この気持ちを伝えることはできない)
エミリーは胸の痛みにそっと蓋をして、明るい笑顔を浮かべた。
「リュシアン様はご友人に恵まれていると思いますが、親しいからこそ話しにくいこともあるかと思います。心の内を楽にしたい時、私でよければ遠慮なく声を掛けてくださいね。私が友人として少しでもお力になりたいと願っていることを、心の片隅に留めておいてくださると嬉しいです。お側にいられなくなっても、ずっとずっと、応援しています」
上手く笑えているだろうか? 気を抜くと泣いてしまいそうで、腿の上で握り締めた掌に食い込むほど爪を立てた。
たとえ直接力になれることが少なくとも、自分のことを気に掛けて、応援してくれる存在が身近に存在することは、それだけで心の糧になる。
友人としてエミリーがリュシアンに与えられる最上のもの、それは真心の他にない。
リュシアンはじっとエミリーを見つめた。やがて紫の双眸が眩しそうに細められる。
「――エミリー。君には敵わないな。君はいつも大きな勇気を与えてくれる。あの時も、笑ってほしいと言ってくれてとても嬉しかった」
「!」
まさかリュシアンがあの失言を覚えているとは夢にも思わず、羞恥心が爆発した。
「あ、あれはもう忘れてくださいっ!」
「嫌だ。あの時は混乱している様子だったから伝えそびれたが、オレはずっと不満に思っていた。立場を弁えず、などと距離を空けられたくない。君とは対等でいたい。そして願わくば、もっと君の心に近いところに置いてほしい」
「か、からかわないでください。リュシアン様、やっぱり意外と意地悪ですね」
「からかってなどいない。本心だ。だが、エミリーに対して少し意地悪したくなる時があるのは否定しない。新しい自分を発見するというのは、存外悪い気分ではないな」
紫の瞳に悪戯っぽい光が宿り、本気で呼吸困難の危機が迫る。言葉を詰まらせてはくはくしてると、リュシアンが追い打ちをかけてきた。
「君がオレの力になりたいと願ってくれているのと同じように――側にいられる時もそうでない時も、いつだって君の力になりたいのだと、心に留めておいてほしい」
これまでで最も破壊力の高い五分咲の笑顔を向けられ、神々しさで眼球が弾けそうになった。
「りゅ、リュシアン様……!? お願いですから手加減してください……っ!!」
「許しを与えたのは君だ。オレのために、いずれ慣れてくれるのだろう?」
形の良い唇が弧を描き、凄絶な色香を放つ。エミリーは今度こそ、口から魂が抜けそうになった。