表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/28

成長と一抹の寂しさ1


 リュシアンと友人関係になってから、はや二月が過ぎた。


 季節は麗かな春から爽やかな初夏に移り変わり、白い樹皮に緑の葉が眩い白樺林は、仄かに甘い木質の清々しい香りに包まれている。


 放課後、いつものベンチでリュシアンと会話していたエミリーは、彼の成長を感じながら微笑みを浮かべた。


 「リュシアン様はこの短期間で見違えるほど成長されたと思います。協力関係にある友人として嬉しく思います」


 誉め言葉と共に喜びを伝えると、曇っていた紫の瞳がパッと輝きを取り戻す。


 (何それ可愛い。クールな顔して反則じゃない?)


 内心悶えていると、リュシアンは真剣な面持ちでエミリーに向き直った。


 「君には感謝してもしきれない。しかし一方的に世話になっている今の状況を歯痒く思っている。何か私にできることがあれば力になりたい」


 エミリーは心底驚いた。


 リュシアンが礼を尽くす誠実な人というのはもう知っているが、言葉だけでなく行動で報いようとするまでは思わなかった。人に尽くされるのが当然で、それに慣れているはずの立場でありながら義理堅い。


 「そのように慮ってくださるだけで十分なお返しになっていますよ」


 「君は欲がないな」


 まるでわがままを望んでいるとでもいうような顔で物足りなさげに見つめられ、鼓動が逸る。


 「そ、それではひとつだけお願いしてもよろしいでしょうか?」


 「! もちろんだ。何をすればいい?」


 「魔法を教えていただきたいのです」


 以前リュシアンに魔法の悩みを相談した時、とても参考になる助言をもらった。あれから毎日欠かさず魔力変換の練習を行っているが、感覚を掴み切るところまでは達していない。


 「リュシアン様の教え方がとても分かりやすかったので、ぜひお願いできますでしょうか?」


 真摯に頭を下げると、頭上から「顔を上げてくれ」という優しい声が降ってきた。


 「私でよければ喜んで。いつも君に頼ってばかりで心苦しかったから、お願いされて気が楽になった。ありがとう」


 微かな笑みを向けられ、ドキドキと鼓動が跳ねる。胸のときめきに蓋をして微笑みを返すと「ではさっそく実践しようか」とリュシアンが席を立つ。同じように立ち上がると、ベンチから離れて湖に近付く。


 「このあたりでいいだろう」


 リュシアンが振り返る。凪いだ湖と瑞々しい白樺林を背景に佇む彼が、薄暑光に照らされて眩しい。


 太陽を仰ぎ見るような心地でぼうっとしていると、切れ長の紫の双眸と視線が交わる。


 「どうした? 大丈夫か?」


 「……はい。少し、陽射しが眩しくて」


 「ああ。ここは陽を遮るものがないからな。日焼けさせるのも申し訳ないから、すぐに始めよう」


 穏やかな表情で僅かに口角を上げる彼は、こうして二人だけの空間にいると近い存在に感じる。


 落ち着いた口調も、低くよく通る声も、最近はずいぶん柔らかくなった眼差しも、全てが心地よい。


 (リュシアン様のお側にいるとすぐに時間が流れてしまう。次にお会いする機会が待ち遠しく感じる)


 それは女性への対応に苦慮していたリュシアンにとって良い傾向であり、彼に恋をすることを封じているエミリーにとっては危険信号だった。


 (いけない。深く考えないのよ、エミリー。雑念は捨てなさい)


 リュシアンの友人としての信頼に応えたくて、余計な感情を打ち消す。


 こちらの準備が整うのを待っていてくれたリュシアンは、エミリーの顔つきが凛としたものに変わったのを見て口を開いた。


 「あれからマナの変換を練習していたようだが、手応えは?」


 「自然界のマナを吸収するところまでは問題ないのですが、やはり、己の魔力に変換する具体的なイメージが足りないようで、成功には至っておりません」


 焦りを滲ませるエミリーに、リュシアンは悠然と頷く。


 「混乱させてすまない。一度、色のイメージは忘れてほしい」


 「え?」


 「イメージの描き方は人それぞれだから、これといった正解があるわけでない。参考になればと話したが、かえってイメージを狭める結果になっていた可能性がある」


 固定観念に縛られていたつもりはなかった。けれど助言に従おうとするあまりに、色のイメージに執着していたかもしれない。


 (でも他のイメージは思いつく限り試して、だめだった。色もだめとなると、何を思い浮かべればいいの?)


 大きな不安が胸をよぎる。しかし弱音を吐くつもりはなかった。


 同じ結果を得るのにも、人によってかかる時間は様々だ。すぐに習得してしまう者もいれば、長い年月をかけてようやく習得する者もいる。


 さくさく進められるのが理想だが、要領が良いとはいえない自分と折り合いをつけて、試行錯誤しながら一歩ずつ前進するしかない。これまでもそうして様々な課題を乗り越えてきた。


 「リュシアン様。不躾なお願いで恐縮ですが、はじめにご提案くださった方法を試してみてもいいですか?」


 リュシアンが自然界のマナを自身の魔力に変換する流れを感じる。それに少しでも可能性があるなら挑戦したい。


 「手を重ね合わせることになるが、かまわないか?」


 「はい。お手数ですがよろしくお願いいたします」


 固い決意を込めてリュシアンを見据えると、迷いのなさを感じ取ったリュシアンが「準備はいいな」と応じる。


 「まず、エミリーの背後に回って手を取る」


 「背後に?」


 「魔力を感じるなら、目の前に余計な障害物がない方が集中できるだろう?」


 「なるほど。分かりました」


 説明を受け、心の準備をする。


 怖がらせないよう、ゆっくりとエミリーの背後に回ったリュシアンは、壊れやすい繊細な物を扱うような手つきで、慎重にエミリーの両手を取った。


 リュシアンの大きな体が背後に迫り、彼の胸が後頭部に当たりそうな距離だった。


 「何も怖いことは起きないから、安心して身を委ねてほしい」


 体を強張らせていたエミリーの耳元で、リュシアンが囁く。直に吹き込まれた宥めるような声にゾクッと背筋が粟立ち、腰が砕けそうになった。


 (~~~~~~これは演習よ。演習、演習!!)


 ぷるぷると情けなく震える足を叱咤し、エミリーはふぅっと深呼吸した。


 「お、お願いしましゅ」


 キリッと決めたつもりが、三歳児のような舌ったらずな語尾になり、羞恥でぶわっと体温が上昇する。あまりの恥ずかしさに固まっていると、ふっと柔らかな笑みが降って来た。 


 「そんなに緊張されると、意地悪したくなるな」


 「!?!?」 


 どんな顔で言っているのか気になるが、確実に死の予感がして振り向けない。


 「すまない。冗談だ。この体勢に慣れるまで少し待とう」


 労わるような優しい声色だった。リュシアンの温かい気遣いに胸が熱くなると同時に、自己嫌悪した。


 (リュシアン様は本気で私の悩みを解決しようとしてくださっている。それなのに私はいちいち過剰に反応して、あまりにも不甲斐ないわ)


 ギュッと瞼を閉じて呼吸を整える。やがて少しずつ肩の力が抜けていった。


 リュシアンの乾いた掌から伝わる温もり、そよ風に運ばれてくる草木の香り、肌に降り注ぐ陽射し、全てを鮮明に感じる。


 「……良い感じに緊張が解けたな。今から私が自然界のマナを取り込み、少しずつ君に流していく。君は流れてくるマナが変換される過程に意識を集中してくれ」


 「はい。よろしくお願いします」


 「いい返事だ」


 リュシアンの纏う空気が変わる。周囲のマナを容易く取り込んだリュシアンが、微弱な電流を流すように少しずつエミリーに受け渡す。


 掌を通じて魔力が繋がり、マナが体内に侵入してくるのを感じていると、ふつりとマナの質が変わった。


 次に感じたのは洗練された力強い魔力。表面は冷然としながらも内側に強い熱を帯びているような感覚だった。


 その慣れない魔力に心地よさを感じながら身を委ねていると、脳裏にイメージが浮かんできた。


 (あ……何だろう。すごく綺麗)


 幾重にも折り重なった光の帯が、キラキラと無限に粒子を振りまく。それが体の隅々に行き渡って循環し、暗闇の中で無数の光を灯すような輝きに変わる。


 「リュシアン様、今ならマナを変換できそうです。試してもいいですか?」


 不思議と成功する自信があった。エミリーの提案を受け、リュシアンが繋いでいた魔力を切る。だが掌は繋がれたままで、それがとても心強かった。


 (温かくて安心する)


 エミリーは一呼吸でマナを取り込んだ。それをイメージ通りに練り上げていく。いつのまにかごく自然に、自然界のマナを自身の魔力に変換していた。


 感動に胸が震える。魔法使いとしては初歩の、ごく小さな進歩だったが、エミリーにとっては大きな意味のある成長だった。自然界のマナを使えるようになれば、それだけで可能性が広がる。


 「リュシアン様! で、できました! マナを変換できました!!」


 歓喜を浮かべて振り向くと、虚を突かれたリュシアンが一拍遅れて祝福する。


 「おめでとう! 素晴らしい進歩だ」


 満面の笑みを我慢したのだろう。微笑みは三分咲きだ。それでも眼差しから、声色から、隠しきれない喜びが伝わってきて感極まった。


 「りゅ、リュシアン様のおかげ、です……っ」


 涙で声が揺れてしまう。自分の意思と関係なく溢れ出る涙を抑えることができず、エミリーは両掌で顔を覆った。


 「取り乱してごめんなさい。あんまり嬉しくて……」


 気が動転し、口調が砕けてしまったことにも気付かないほど胸がいっぱいだった。


 小刻みに肩を震わせて嗚咽を漏らしていると、ふわっとリュシアンの香りが濃くなった。頭の上に大きな掌が置かれ、優しく髪を撫でる。


 「本当によく頑張った。エミリー。君が諦めず研鑽に励んできた日々に、心から敬意を捧げる」 


 驚いて顔を上げると、涙で頬に張り付いた髪を一筋、丁寧に耳にかけられた。長く太い指が耳朶に触れ、ぴくんと肩が跳ねる。


 白い頬に朱が差し、みるみる首筋まで広がった。涙に濡れた顔を見られるのも、熱を帯びた肌を直視されるのもとてつもなく恥ずかしかった。


 「見苦しい姿をお見せして申し訳ございません……!」


 腕で顔と首を隠すようにして後ずさると、リュシアンはとんでもない爆弾を落とした。


 「いや……見苦しくなどない。感動に震えて涙する君は、とても綺麗だ」

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ