冬の舞踏会5
「もし今の私に魅力を感じてくださっているのだとしたら、それはリュシアン様のおかげですよ」
エミリーは昔から前向きだったが、恋愛に関しては別だった。常に姉と比較され、揶揄され軽んじられてきた経験はすっかりエミリーの自信を奪い、奥手にした。
リュシアンと出会った時も、分不相応な望みは持つべきではないとはじめから諦めていた。それを変えたのはリュシアンだ。
「リュシアン様と出会って恋をして、あなたが私を受け入れてくれた。だから私は大きな勇気をもらって、以前よりずっと自分に自信を持てるようになりました。自分の夢も幸せな結婚も両方叶えたいなんて、ずいぶん欲張りになったと我ながら驚きますが……」
己の強欲さに呆れて苦笑する。リュシアンは優しい眼差しでエミリーの想いを受け止めた。
「それならオレも君と出会ってずいぶん変わった。これまで自分から女性と関わりたいと思ったことは一度もないし、ましてや喜ばせたい、幸せにしたいと感じたのは君が初めてだった。どんな時も冷静に物事を判断して行動する自信があったし、実際にそうしてきたが、君の前では理屈や理性など何の役にも立たないと知った。おかげでままならずに歯痒い思いをすることもあるが、上手くやれない自分でも悪くないと思えるのは、全部君のおかげだ」
互いに見つめ合い、穏やかに微笑み合う。リュシアンの側にいる安心感と心地よさに身を委ねていると、「そういえば」とリュシアンが話題を変えた。
「君のご両親について詳しく話す機会がなかったな。どんな方たちか聞いても?」
「もちろんです。そうですね……まず、父については、人前では威厳を持って振舞っていますが、実は気が小さくて、涙もろい一面のあるお人好しです。母は儚げな美人で控えめな性格ですが、外見に反して家族の中で一番肝が太いです」
「なるほど。兄君と姉君はどのような方たちなんだ?」
「兄は人当たりが良く、爽やかな笑顔が似合う貴公子です。でも意外に腹黒くて意地悪なところがあります。といっても弱い者いじめはしませんよ? 敵と見做した相手の弱点を突いて容赦なく叩きのめすタイプです」
「それは敵に回したくないな」
「ふふっ。でしょう? 姉はとても温厚で、滅多に怒りません。いつもにこにことして機嫌が良いですが、怒らせるとめちゃくちゃ怖いです。喧嘩になったら誰も勝てません。ものすごい負けん気の強さを隠し持っています。義兄はそれで何度も痛い目に遭ったとか」
「姉君も強いのか。君のご家族は女性がみなたくましいな」
「はい。父も兄も振り回されてたじたじです」
くすくす笑って肯定すると、リュシアンは心得たように頷いた。
「家族仲がとても良いと聞いていたが、今の話を聞くだけでもそれが伝わってくるな。君はご家族のことをよく見ている。それだけ交流が深いということだ。オレも君のご家族に認めてもらえるよう、最大限努力しよう」
「それなら心配ありませんよ。リュシアン様は超のつくハイスペックですし、お人柄もよく、私のことを大切にしてくださっています。ああ、でも強いて言うなら兄の説得に少し手こずるかもしれません。兄は昔から私を溺愛していて、婚約する時は必ず事前に連絡するよう口酸っぱく言っていますから」
「そうなのか。兄君の性格を聞く限り手強いな」
「不安になりましたか?」
「いや、むしろ兄君にも安心してお任せいただけるよう、気合を入れ直したところだ。それに君が味方してくれるのだろう? 君以上に心強い味方はいない」
リュシアンに期待を向けられ、エミリーは顔を綻ばせた。テラスから外の景色に視線を移すと、月明かりに照らされた夜の庭園が静寂に包まれていた。
エミリーは唐突に今日の使命を思い出し、胸の中で鼓動の高鳴りを感じながら何気ない風を装った。
「ところでリュシアン様。先ほど回廊で待ち合せた時、中庭の木に大きなヤドリギが宿っていることに気付きましたか?」
「ヤドリギ? ああ、そういえば木の上に丸いヤドリギが生えていたな。この季節にはよく見かける」
「はい。そのヤドリギにまつわる言い伝えがあるんです。女生徒の間では有名な話ですが、ご存じですか?」
「いや、すまない。知っての通りそういった話題には疎くてな……」
気まずそうに視線を逸らすリュシアンが可愛くて、ふふっと笑みが零れた。
「『ヤドリギの下に立っている女の子にはキスをしてもいい』という言い伝えですよ。冬の舞踏会では意中の男性が現れるのを期待して、ヤドリギの枝の下に立って待つ女生徒が毎年いるんです。ロマンチックですよね」
「ああ。そんな言い伝えがあるのなら、今夜は絶好のチャンスだろう。少なからず機会を窺っている者がいるだろうな」
「はい。そう思います。それで、リュシアン様にご提案が……あるのですが……」
緊張で歯切れ悪くなってしまった。もはや心臓は胸の中に納まらず、口から飛び出ようとしている。足まで震え始めて勇気が挫けそうになったが、エミリーは負けなかった。
「私と一緒にヤドリギを見に行きませんかっ?」
一息で告げた。その場で顔を覆って叫び出したい衝動と戦いながら、リュシアンの反応を待った。あまりの羞恥で彼の顔を見られない。
(あああああ。自分からキスをねだるはしたない女だと呆れられたかしら? でもリュシアン様はあの日以降、全くそういう空気を出してこないし……!)
秋祭りに求婚されて受け入れた時、エミリーは咄嗟にキスを拒んでしまった。それが原因かは分からないが、リュシアンは明らかに遠慮している。
恋人らしい触れ合いに慣れていなかったエミリーははじめそれに安堵していたが、少しずつ慣れてくると、自分の方が物足りなくなっていった。
(もっとリュシアン様に近付きたい。触れ合いたい)
このように考えるだけで物凄く恥ずかしいし、反応が怖かった。けれど、エミリーもリュシアンを求めているのだと知ってほしい。だから極限まで勇気を振り絞った。
とはいえリュシアンの返事がなくて不安になり、エミリーは慌てて逃げ道を用意した。
「も、もちろん気が乗らなければ断ってくださってかまいません! 今夜は冷え込みますし、せっかくの舞踏会を抜け出すのはもったいな――、っ」
不意にリュシアンの長い指が唇に触れた。普段、こんな強引な手段で言葉を遮られることはなく、黙らされたエミリーはドキドキしてリュシアンを見上げる。
落ち着いた態度を崩さない彼は少し堅い表情をしている。感情は読み取れないが、眼差しには熱が宿っていた。
「今、君からヤドリギのジンクスを聞いてすぐに思ったのは」
「……はい」
「どうやって舞踏会から抜け出して君を誘うか。それだけで頭がいっぱいになった」
「!!」