終わりとはじまり2
「お戯れを……。学生時代の思い出作りでしょうか? リュシアン様のお願いでも、さすがにそこまではお付き合いできません」
自分でも信じられないほど冷たい声が出た。目を見開いたリュシアンを睨みつけ、全身で力いっぱい拒絶する。
「友人であっても笑えない冗談は興醒めです! だいたい、リュシアン様はご自身の魅力に自覚がなさすぎます!
仮に恋人になって私があなたに本気になったらどうするつもりなんですか? あなたは遊びのつもりで割り切れても、私には無理です。
はじめて会った時から認識がおかしいんですよ。私があなたを愛することはない? 勝手に決めつけて安心しないで!!」
僅かな隙も与えず一気に捲し立てたエミリーは、はあっと熱い息を零した。これまで築いてきた信頼関係も共に過ごした幸せな時間も、エミリーが大切に思っていたすべてを踏みにじられたようで堪らなかった。
「……っ、せっかくお役目を果たして、綺麗に終わろうと思っていたのに。何でそんなこと言うんですか? 全部、台無しじゃないですか……!」
怒りと悲しみが同時に押し寄せて、胸がひどく搔き乱される。我慢の限界を突破して涙を溢れさせ、嗚咽交じりに訴えると、リュシアンが躊躇いながら手を伸ばしてきた。
「っ触らないでください。同情されても嬉しくありません」
彼の手をつれなく振り払うと、どうしていいか分からないといった顔で狼狽していたリュシアンの眼差しが急に鋭くなった。
「勝手に決めつけているのは君も同じじゃないのか?」
「!?」
「オレが至らなかったことは否定しない。女性への苦手意識を克服するためとはいえ初対面の君に会話の練習相手を頼んだのは無粋だった。だが、オレは君と交流する中で君に惹かれていき、己の想いに気が付いた。
それからは少なからず言葉や行動で想いを示してきたつもりだ。今日もずっとそのつもりで接していた。全く気付かなかったのか?」
冷静に諭すリュシアン。彼への猜疑心が収まらぬ中、今日のリュシアンを思い返してみた。言われてみれば確かに、リュシアンはこれまでにない一面を見せてくれていた。
(眼差しも声も表情も、全てが甘かった。本当に愛する女性に接するような態度だった……)
リュシアンの目を見つめ返す。紫の双眸にひたむきな想いが宿っていて、エミリーは身を竦ませた。
「どうやら心あたりがあるようだな」
「っでも、あれは全部演技でしょう? 婚約者役だから――」
「エミリー。本気で言っているのか? いくら実践練習とはいえ、好きでもない女性にあのような態度を取るわけないだろう。むしろそのような軽薄な男だと思われているならば心外だ」
怒りを滲ませ、強引に言葉を遮ったリュシアンにビクッと肩が跳ねる。怯えを感じ取ったリュシアンは気配を和らげ、宥めるように言う。
「すまない。君を怖がらせたくはないんだ。ただ、誤解で突き放されては堪らない。どうかオレの話に耳を傾けてほしい」
癇癪を起した子どもを根気よく諭すような声に、カッと羞恥が湧き上がる。いっそこの場から逃げ出したい衝動に駆られたが、リュシアンの懇願が滲む表情を見て踏みとどまった。
「……誤解とは、何でしょうか?」
話し合う意思を示すと、リュシアンは安堵の息を吐いた。そしてとても真剣な面持ちでエミリーの両手を掬い上げる。
「君はオレに選ばれないと思っているのだろう。だが、それこそ認識の誤りだ。エミリー。オレはこれからもずっと君に隣にいてほしいと願っている。
二人で様々な経験をして喜びを分かち合いたい。君が悲しみに涙する時には一番に駆け付けて君を抱きしめ、涙を拭う権利がほしい。君の気持ちを聞かせてくれないか?」
ぎゅっと手を握る力が強くなり、エミリーは驚きのあまり息を呑んだ。
「リュシアン様……。それではまるでプロポーズですよ」
「事実、君に求婚している」
「で、では、先ほど恋人と言ったのはなぜですか? 学生時代だけの関係に留めたいと思ったからではないのですか?
婚約者がいても期間限定の恋人を作るご令息は珍しくありません。だからてっきり遊び相手になってほしいという意味かと……」
もごもごと言葉を濁すと、リュシアンはショックを受けたように手を放した。エミリーに言われたことは微塵も考えてもいなかった様子で、頭の上に暗雲が立ち込める。
「すまない。オレの言葉選びが悪かった。まさか恋人という表現がそんな誤解を生むとは夢にも思わなかったんだ。不快な思いをさせてしまい本当に申し訳ない。心から謝罪する」
「あの、もしかして、ご存じなかったとか……?」
色事に疎いリュシアンでもそのくらいの事情は把握しているだろうと思っていた。エミリーの内心を察したリュシアンはさらに落胆した様子で眉間に皺を寄せる。
「恋人といったのは、求婚する気がないからではない。これまで友人として親しくしていた分、いきなり求婚しては君を困らせると思ったんだ。
まずは恋人になることを申し込んで、君が承諾してくれたならしかるべき手順を踏んで求婚する計画だった。それが裏目に出るとは……とことん不甲斐ないな」
これまでで最大級の暗雲を背負いながら、リュシアンが深いため息を吐く。
「自分から女性に告白するのは初めてで、はじめは王太子殿下に助力を請うつもりだった。だが、上辺だけ真似て君に告白しても心に響かないと思い直したんだ。結局、気の利いた愛の言葉を捧げられず、申し訳ない。
君の理想とはかけ離れているかもしれないが、オレが君に心から惹かれていて、誰よりも近い存在になりたいと願っていることだけは信じてほしい」
再びリュシアンに両手を取られ、希うように見つめられる。眼差しに宿る強い熱が、エミリーただひとりに向けられるひたむきな感情が、彼の言葉が真実だと語っていた。
「夢じゃないのですか? 本当に……リュシアン様は私のことを……?」
ずっと期待を抱かないように己を戒めてきたエミリーが、突如目の前に示された希望の光の前で揺れる。胸に膨らんでいく期待にドキドキと鼓動が逸り、呼吸が浅くなる。
躊躇いながらも、リュシアンの言葉を理解して受け入れようと努力していると、リュシアンはエミリーが落ち着くのを待たずに畳みかけてきた。
「その反応はオレに気があるように受け取れるが、自惚れてもかまわないか?」
「!? い、いきなり距離を詰めすぎではないでしょうかっ?」
「目の前にどうしても欲しいものがあって、少なからず手が届く可能性があるならば、必死で手を伸ばすに決まっているだろう」
いつになく押しの強いリュシアンに圧倒されて後ずさると、彼は躊躇なくエミリーの足元に跪いた。
「リュシアン様!? 服が汚れてしまいます!」
慌てて浄化魔法をかけようとしたものの片手で制止される。とてつもない熱量のこもった眼差しで見上げられ、ひゅっと息を呑んだ。
「――君がオレのところへ駆けつけてくれたあの日から、きっと無自覚に君に恋をしていた」
「!」
はっきりと『恋』と口にしたリュシアンにきゅうっと胸が締め付けられる。
「はじめは何の期待も向けてこない君の隣にいることを心地よく感じていたのに、いつのまにかそれでは物足りなくなっていた。勝手な話だが、今は君に期待されたいし、誰よりも頼れる男になりたいと思っている」
胸の内を吐露するリュシアンの真摯な表情に目を奪われる。
「君が将来人の役に立つために日々研鑽に励む姿も、女性が苦手で情けないところばかり晒していたオレを見捨てず何度も手を差し伸べてくれたことも、控えめな君がオレの名誉を守るため殿下を相手に戦ってくれたことも、理由をあげればきりがないくらい、君に心を動かされてやまない」
熱に浮かされたように、はあっと息を吐いたリュシアンが愛を請う。




