秋祭り3
マーケットから離れた専門店街は、祭りの日でも比較的落ち着いた空気が流れている。観光客が少ない分、ゆっくりと見て回ることができた。
リュシアンと歩いていると、ふと、可愛らしいガラス細工の店が目に留まった。ショーウィンドウに飾られている小物やアクセサリーに心惹かれて少し立ち止まると、その様子を見守っていたリュシアンが声を掛けた。
「せっかくの機会だ。気になるのなら中を見てみよう」
「え? いいのですか? 明らかに女性向けのお店ですが……」
「君が好きなものを知りたいと言っただろう? それに女性を伴わなければ入りにくい店だ。実践練習なのだから積極的にチャレンジしたい」
リュシアンの前向きな姿勢に胸を打たれ、エミリーは力強く頷いた。
店の中に入ると、ドアベルがカランと涼やかな音を立てた。店番をする初老の男性店主と目が合い、微笑んで挨拶をする。
ガラス棚に陳列された美しい細工が施された商品を順番に眺めていき、そのうちのひとつにギュッと心を掴まれた。
(あ……これすごく可愛い!)
エミリーが一目惚れしたのは、細身のクリスタルガラスのブレスレットだった。肌馴染みの良い琥珀色で、光を細かく反射するカットが素晴らしく、照明を受けてきらきらと輝いている。
エミリーの熱い視線の先を追ったリュシアンが微笑する。
「気に入ったのなら試着してみてはどうだ? 店主。彼女が気に入った品を見せてもらいたい」
貴族令息らしく落ち着いた物腰で店主を呼び寄せたリュシアンに、ごく自然に肩を抱かれた。驚いたエミリーはひゅっと息を呑む。
「ん? どうした?」
「いえ、あの、さすがにこれは近過ぎませんか……?」
「何を言う。婚約者ならこのくらい普通だろう?」
(たしかに! でも私達は本物じゃないし……。うーん)
店主が商品を取り出してくれる様子を見守りながら、こそこそと会話する。エミリーの困惑を読み取ったリュシアンは、子犬モードを発揮した。
「できればもう少しだけこのままでいてくれないか? 親しい女性との距離感に慣れておきたいんだ」
「っ、わ、わかりました。店を出るまでの間なら……」
「ありがとう。協力感謝する」
八分咲きの輝く笑顔を向けられ、油断していたエミリーは魂が抜けた。口から出た魂をかろうじて繋ぎ止めたものの、足元がふらついてしまう。
バランスを崩したエミリーの腰に咄嗟に手を回したリュシアンが、背を屈めて心配そうに顔を覗き込んだ。
「大丈夫か?」
「~~~~大丈夫、じゃないです。色々と慣れてないので、もう少し手加減してください!」
真っ赤になった顔を見られるのが恥ずかしくて両掌で覆い隠すと、恋人たちの甘いやり取りを目の当たりにした店主は微笑ましそうに笑い声をあげた。
「はっはっは。初々しいお嬢様ですな。さぞ愛おしいでしょう」
「ああ。叶うならずっとこの腕に抱いていたい」
(ん”ん”っ)
ぼふん、と頭から湯気を発したエミリーは羞恥が限界に達して、もはや何も言えなかった。結局試着も落ち着かず、一秒でも早くこの場を去りたくて、店主に礼を告げるとすぐに店を出た。
「エミリー。悪かった。こちらを向いてくれないか?」
「…………」
リュシアンを無視するというありえない暴挙に出たエミリーは、完全に怒っていた。あからさまにむくれて抗議の態度を示していると、焦ったリュシアンが足を止めて謝罪する。
「本当にすまない。どのような叱責も受ける。だから、オレを見てくれ。君に無視されるのは耐え難い」
「……本当に反省していますか?」
「! もちろんだ。誓って嘘はない」
「……ならいいです。実践練習といっても限度があります。次は気を付けてください」
「ああ。君と過ごせる秋祭りがあまりに楽しくて、浮かれてしまった。不躾に触れてしまったことをお詫びする。どうか許してほしい」
己の胸に手を当て、頭を下げるリュシアン。彼の真摯な対応を前に怒りを忘れ、幼稚な態度を取ってしまったことに罪悪感を覚えた。
「お顔を上げてください。その、こちらこそ過剰な反応をしてしまい申し訳ございませんでした。リュシアン様が嫌ということは全くなく、ただ、家族以外の男性のエスコートに慣れていないのです。婚約者どころか恋人すらいたことがありませんし……。婚約者役を引き受けておいて、十分お役に立てず不甲斐ない限りです。やはり、他のご令嬢をお誘いしていただくべきでしたね」
「! 何を言う。エミリー、君は誤解している。君と秋祭りを過ごす権利を勝ち取るために実戦練習と言い訳したが、もともと君以外を誘う気はなかった。婚約者役を引き受けてくれるなら誰でも良いわけじゃない。オレは君だから――……!」
熱心に語っていたリュシアンが口を噤む。一度瞼を閉じ、ふぅっと息を吐いて落ち着きを取り戻した。
「捲し立ててすまない。つい熱くなってしまった」
「い、いえ。こちらこそ」
「いや、君が謝ることは何もない。全てはオレに非がある」
「そんなことは――って、私たちさっきから謝り合ってばかりですね。ふふっ、おかしい」
不機嫌だったエミリーが笑みを零し、リュシアンは安堵の息を吐く。初めての喧嘩と仲直りは、親しいながらも遠慮の残る二人の距離をさらに縮めたような気がした。
「エミリー。お詫びの品……というと大袈裟だな。だが、先ほど見ていた腕輪を贈らせてくれないか? 君にとても似合っていたから、どうしても贈りたくて買い取ってきた。事前に承諾も得ず、勝手な行動をしてすまない」
リュシアンが懐から取り出した小さな紙袋。その中身が先ほど試着したブレスレットだと分かり、エミリーは恐縮した。
「お気持ちは嬉しいですが、私にはリュシアン様のご厚意にお返しできるものが何もありません。なので、この素敵な贈り物を受け取る資格はありません」
「なるほど。受け取るのに何らかのお返しが必要というのであれば、これを身に着ける時、今日オレと共に過ごした時間を思い出してほしい」
「え……?」
「さすがに欲張り過ぎだろうか? だが、君に贈り物を拒まれるのは悲しい。押し付けたくはないが、嫌でなければ、世話になっている相手への感謝の贈り物として気軽に受け取ってはもらえないだろうか?」
物凄く下手にでるリュシアンに驚きつつ、パチパチ瞬きした。
あの素敵なブレスレットを受け取るお返しが、リュシアンと共に過ごした時間を思い出すことと釣り合うとは到底思えない。
けれど、こちらをまっすぐ見つめるリュシアンの表情に緊張が滲んでいて、彼が少なくない勇気を出して気持ちを伝えてくれていることが分かる。胸の奥がじんと痺れて愛おしくなった。
「今日リュシアン様と共に過ごした時間を思い出すことは、本当に、リュシアン様へのお返しになるのでしょうか……?」
「ああ。これ以上に素晴らしい贈り物はない」
真剣な面持ちで即答され、エミリーはたじろいだ。もはや断る理由はなく、丁重にお礼の言葉を告げて受け取ることにした。
「ありがとうございます。それではご厚意に甘えて、受け取らせていただきますね。大切にします」
「! 本当か? よかった……!」
心底嬉しそうなリュシアンに、ドキドキと鼓動が逸る。彼は紙袋からブレスレットを取り出すと、「オレがつけても?」と尋ねてくる。
先ほど婚約者役を上手く果たせなかった後ろめたさもあり、緊張しつつ頷くと、愛しい女性の手に触れるようにしてつけてくれた。
「――やはり似合うな。はじめから君のために作られたようだ」
「そんな。さすがに大袈裟ですよ」
「いや、そんなことはない。君はもっと自分の魅力を自覚するべきだ」
「!」
強い眼差しを受けて肩が跳ねる。どう答えていいか分からなくて無言のまま見つめ返した。
数秒の沈黙の後、リュシアンが背を屈め、恭しい仕草でエミリーの手の甲にキスを落とした。それは流れるように自然な動きで、優雅な物腰と美しい容姿が相まって物凄く格好良かった。
呼吸すら忘れて固まっていると、上目遣いにこちらの反応を窺っていたリュシアンが希うように言う。
「店主によるとクリスタルガラスは願いが叶う贈り物として愛されているらしい。君に贈ったこのブレスレットが君の願いを守り、君が願いを叶えるその日まで、君を導く御守りとなることを祈っている」
姿勢を正したリュシアンは優しい笑みを浮かべ、また、エスコートのための腕を差し出した。