高嶺の花と意外な素顔1
クラロ・フォンテ王国の王都にほど近い山麗には、魔法学校がある。森に囲まれた広大な敷地を擁する全寮制の寄宿学校で、身分を問わず入学できる名門だ。
緑豊かな校内は春から秋にかけて色とりどりの花が咲き誇り、開花シーズン中は多くの生徒達が薔薇園や藤棚に足を運ぶ。
しかし、魔法学校生活二年目の春を迎えた伯爵令嬢エミリー・ブランは、白樺林に囲まれた小さな湖がお気に入りだった。
校舎から遠く離れているためか人気はなく、いつ訪れても心地よい静寂に包まれている。湖のほとりには休憩用のベンチがあり、勉強に疲れてしまった時などに寛ぐには最高の場所だった。
とある放課後、湖に続く小路を鼻歌まじりに歩いていると、人影が見えた。
「あら? 珍しい。どなたか先客がいらっしゃるわ。あれは確か――リュシアン・アルベール様」
由緒正しい公爵家のご嫡男であり、校内随一の高い魔力を有し、頭脳明晰で成績は常にトップクラス。
長身でしなやかに引き締まった体躯、月の光を映し込んだような銀髪に神秘的な紫の瞳の飛び抜けた美形だ。
また、王太子殿下の幼馴染かつ親しいご友人でもある。端正な容貌の二人が肩を並べる姿は絵画のようで、女生徒の憧れの存在だった。
(でも、アルベール様は女性が苦手なのよね……)
男女問わず穏やかな微笑で応対する王太子殿下と違い、リュシアンは女性に対し鉄仮面と比喩されるほどの無表情を貫いている。
妖艶な美女だろうと可憐なご令嬢だろうと、側に寄ってくる女性は例外なく氷の眼差しで拒絶する。
勇気を振り絞って声を掛けても、「ああ」「いや、遠慮する」「他をあたってくれ」の三択でつれなくあしらわれるため、難攻不落の高嶺の花として有名だ。
(そんなアルベール様の婚約者が決まった時はすごい騒ぎだったわ。でもわずか半年で婚約破棄)
情報通の友人によると、リュシアンの元婚約者は他の魔法学校に通っている侯爵家のご令嬢で、波打つハニーブロンドの髪にピンクサファイアの瞳の美少女だとか。成績優秀でお人柄も良く、お似合いの婚約者だと周囲に祝福されていた。
にも関わらず、お相手のご令嬢はさる伯爵家のご令息と恋仲になり、婚約破棄に至ったと聞いている。そして婚約破棄以降、リュシアンを取り巻く環境はお世辞にも心地良いものとはいえなかった。
リュシアンの新たな婚約者の座を狙う女生徒たちが我先にと押しかけ、彼に嫉妬する一部の令息達からは、陰で『格下の男に婚約者を奪われた寝取られ令息』などと揶揄されている。
それが直接の原因かは不明だが、リュシアンは授業がある時を除いてあまり教室にいない。てっきり王太子殿下と生徒会室にいるか、男子寮の自室で過ごしているのだと思っていたけれど――
(まさか寂れたベンチでひとり項垂れているなんて、誰も思わないじゃない)
股を広げ、腿の上で手を組み前傾しているリュシアンは、『ずぅーーーん』と重々しい効果音が聞こえてきそうな暗雲を背負っていた。
落ち込んでいるのは明白で、深いため息を吐いている。どんな時も冷静沈着で、眉ひとつ動かさないリュシアンの意外な姿を目撃し、かなり戸惑ってしまった。
(完璧なお方だと思ってたけど、アルベール様だって落ち込むことくらいあるわよね。わざわざ人気のない場所を選んでらっしゃるし、そっとしておいて差し上げましょう)
何も見なかったことにしてこっそり立ち去ろうとした時、「うっ」と苦しそうな呻き声が聞こえた。
反射的に振り向くと、リュシアンが口元を掌で押さえ、苦しそうに顔を顰めている。
(いけない。体調が悪いんだわ……!)
すぐさまリュシアンに駆け寄り、彼の足元に膝をついた。
「あの、大丈夫ですか? ご気分が悪いのでしたら保健医を呼びますよ」
できるだけ驚かせないよう静かに声を掛けた。しかし、こちらに視線を寄越したリュシアンは端正な面差しに警戒の色を浮かべる。
「……いや、遠慮する。大したことはない。このまま放っておいてくれ」
はっきりとした拒絶を示され、口を噤んだ。
リュシアンはこれ以上会話する気はないというように顔を背け、沈黙が落ちる。彼の横顔は青白く、生気が削がれていた。
(うーん。大丈夫と仰ったけど、このまま放って行くのは気が引けるわね。だけど保健医に頼るつもりはないみたいだし……)
数秒の躊躇いの後、エミリーは決意した。
「ちょっと失礼しますね」
膝をついたままリュシアンの手に触れ、そっと瞼を閉じる。突然接触されたリュシアンは驚き、ビクッと肩を揺らした。
「ご令嬢。何を、」
{治癒}
(よかった。上手くいったわ)
ほっと息を吐いて手を放し、顔を上げた。
「ご気分はいかがですか?」
「……すごいな。吐き気が一瞬でなくなった。君は光魔法の使い手なのか」
「はい。突然の出過ぎた真似をお詫びいたします」
「いや、おかげでずいぶん楽になった。感謝する」
微かに眼差しを緩めたリュシアンは姿勢を正し、真摯に頭を下げた。
貴族と平民が肩を並べて学ぶ魔法学校では、在学中身分を問わないとされている。それでも、公爵家のご令息で人の上に立つ立場のリュシアンが通りすがりのお節介令嬢に礼を尽くすのが意外で、目を丸くした。
「どうした? 何を驚いている?」
紫水晶のような深い紫の双眸に射抜かれ、とてつもない美貌の破壊力にギュッと心臓を掴まれた。挙動不審になりそうになるのを必死で堪え、慌ててぶんぶん手を振った。
「あっ、その、少し驚いたのです。アルベール様は誠実なお方なのですね」
「? 助けてもらったのだから礼を尽くすのは当然だろう」
リュシアンが立ち上がり、背を屈めて手を差し伸べる。
意図が分からずポカンとしていると、「そのままでは制服が汚れてしまう」と指摘され、膝をついたままのエミリーへの気遣いだと察した。
(あら? アルベール様は女性が苦手じゃないのかしら??)
戸惑いながらもゆっくりリュシアンの手を取ると、恭しい態度で立たされた。顔を上げると、長身の彼が見下ろす形でこちらを見ていて落ち着かなかった。
「あ、ありがとうございます」
「礼を言われるほどのことではない」
訳もなく気まずさを感じ、逃げ出したくなった。早々にお暇しようとすると、彼が申し訳なさそうに眉を潜めた。視線の先を追ってすぐ、スカートの膝の部分が汚れていることに気付く。
「すまない、遅かったようだ」
「お気になさらないでください。この程度の汚れでしたら一瞬ですよ。{浄化}」
スカートに手をかざし魔法をかけると、土汚れがふわっと浮き上がって綺麗になった。リュシアンが感嘆の声を漏らす。
「便利な魔法だな。素晴らしい」
「ふふっ。初歩的な光魔法ですが、生活の中でとても役に立つんですよ」
褒められ慣れていないエミリーは彼のまっすぐな賞賛が嬉しくなり、むんっ!とささやかな胸を張った。
この国では国民の大半が大小の差はあれど魔力を有し、生活の中に魔法が息づいている。
魔法には風、火、土、雷、水の五大属性に加えて光と闇があり、人は適性のある属性の魔法を扱える。
適性は主に血筋により、父と母いずれかの特徴を受け継ぐが、中には両方得る者もいる。リュシアンは後者で、水と雷二属性の適性の持ち主だ。
珍しい光魔法の使い手の血筋であるブラン伯爵家の二女として育ったエミリーには、優秀な兄姉がいる。
二人は生まれつき高い魔力を有し、才能にも恵まれていた。数年前に魔法学校を卒業した兄は魔法省のエリート官僚になり、名家の嫡男に嫁いだ姉は立派に女主人として領地発展に貢献している。
ちなみにクラロ・フォンテでは幼少の頃に魔力と魔法適性の検査が行われるが、エミリーはその際、人並み程度の魔力しかないことが判明し、それはそれは落胆した。
残念な結果ではあったものの家族の愛情は変わらず、両親にも兄姉にも可愛がられて育ったが、世間的には光魔法の名門に生まれた平凡な令嬢という認識であり、本人もその自覚がある。
だからこそ「素晴らしい」などという誉め言葉とは縁がなく、つい浮かれてしまった。
(超優秀なアルベール様相手にドヤ顔するなんて、穴があったら入りたい……!)
遅れてきた羞恥心に苛まれていると、リュシアンがベンチに座るよう促してきた。
驚きつつ、十分な距離を保っておずおず腰掛ける。戸惑いを感じ取ったのか、リュシアンは己の胸に手を当てた。
「そういえばまだ名乗っていなかったな。私はリュシアン・アルベールだ。二学年でSクラスに所属している。君の名前と所属をお聞かせ願えるだろうか?」
「私はブラン伯爵家のエミリーと申します。同じく二学年、Bクラスです。先ほどは事前の許可なく御手に触れてしまい、申し訳ございませんでした」
「いや、あれは救助活動だろう。何も気にしていない」
「それを聞いて安心しました」
安堵から笑顔が零れた。
リュシアンの寛大な対応に緊張を緩めると、エミリーを見ていたリュシアンが興味深げな眼差しを向けた。