家出
翌日の昼休み、僕ときらりさんはいつものように屋上で一緒にお弁当を食べた。
いつもとちがうのは、何かと僕たちに絡んでいた寿限無さんがいないこと。
昨日僕は彼女を振った。
だから来ないのだろうが、そのことをきらりさんは知らない。
伝えるべきだろうか?
「昨日寿限無さんに告白されたんだ。僕にはきらりさんがいるから、もちろん振ったよ」とでも? そんなこと言えるわけがない。
きらりさんと寿限無さんは友達だ。
家庭内で義理の父親と問題を抱えているきらりさんにとって、大切で必要な友達。
僕が下手に話して、ふたりの仲に亀裂が入るのはよくない。
「今日はお邪魔虫がいないね。ふたりきりでうれしいな」
きらりさんは口ではそう言うが、どことなく淋しそうだ。ときどき屋上の出入口に目を向けて、そこから寿限無さんがやってこないか気にしている。
僕は言葉では答えず、微笑みで誤魔化すことしかできなかった。
これから寿限無さんがきらりさんとどうつきあっていくつもりかはわからない。
友情を大事にしてほしいが、僕にフラれた寿限無さんが僕の恋人のきらりさんをどう思っているかなんて、女心にうとい僕にわかるはずもない。
これはふたりの問題だ。
僕はなるべく介入しないようにしよう……。
きらりさんとはいつもと変わりなく会話するよう心がけた。
「また山に行こうよ」と彼女は言う。
「そうだね。また行こう」と僕は答える。
「夏休みにふたりで谷川岳に行きたいな。いまのうちに鍛えておこうよ」
「谷川岳ってむずかしい山じゃないの? 僕に登れるかな」
「確かに遭難者が多い山よ。でもそれは冬に登ったり、ロッククライミングをしたりする場合なの。夏にロープウェイを使って天神尾根を登るなら、一般の登山者でも楽しめるらしいわ」
「じゃあがんばるよ」
夏休みにきらりさんと彼女の憧れの山に登るなんて、素敵なイベントだ。
彼女と仲よくつきあいつづけて、谷川岳に登りたいと心から思った。
その日の放課後、僕は獅子谷くん、高山くんとハンバーガーショップへ行った。予定がない日は、このメンツでだらだら過ごすことがルーティーン化しつつある。僕がきらりさんとデートする日には、獅子谷くんと高山くんはふたりで遊んでいるようだ。
「寿限無さん、いま何してるかな……」
高山くんはまだ彼女に未練があって、そんなことをつぶやいている。
僕は寿限無さんを振ったことをきらりさんに話さなかった。高山くんにも黙っていようと思う。
積極的に伝えるようなことじゃない。彼と彼女が今後交流を再開する可能性だってゼロではないのだ。
今日の獅子谷くんは無口だった。高山くんは落ち込んでいて口数が少なく、僕は受動的なタイプで基本的には聞き役だ。僕たちのテーブルは静かで、盛りあがりに欠けていた。
右隣には大学生くらいのカップル、左隣には4人の女子高生たちがいる。僕は左右をぼんやりとうかがった。どちらも楽しそうにおしゃべりしている。
何か考え込んでいた獅子谷くんがぽつりと口を開いた。
「すみれちゃんに告ろうと思う」
僕と高山くんはにわかに獅子谷くんに注目した。
「おう、やれやれ。当たって砕けちまえ」
寿限無さんにフラれてやけ気味の高山くんはそう言った。
獅子谷くんは苦い表情になった。
「砕けたくはねえが、成功する確率は少ないかもな。5割もねえだろう……」
「もう告白するの? もう少し時間をかけてからの方がいいかもしれないよ」と僕は言った。
すみれと獅子谷くんはうまくいってほしい。
大切な幼馴染に恋人ができるのは複雑な気持ちだけれど、彼女にはしあわせになってもらいたい。
「小鹿の言うとおりかもしれない。だけど、じっくりやってたってこれ以上好感度をあげられる保証はねえし、のんびりやってただの友達みたいになる気もない。告るよ」
獅子谷くんがそう決意したなら、僕にはもう口出しできない。
成功を祈るのみだ。
ハンバーガーショップを出て帰宅する途中、すみれからメッセージが送られてきた。
『話したい。象公園に来られない?』
象公園は僕たちが住んでいる地域にあり、象の鼻を模した滑り台がある。小学生のとき、すみれともっふーと一緒によく遊んだ。僕とすみれが滑り台の上にいるとき、下にいるもっふーは吠えて、早く滑り降りてきてと僕たちを急かしたものだった。
『30分くらいで行ける』と僕は返送し、家には帰らず象公園に直行した。
すみれは象の鼻に座って待っていた。
日はすでに暮れている。公園の照明が灯っていたが、光は彼女にはほとんど届いていなかった。
「急に呼び出してごめん」
すみれは浮かない顔で言った。
「どうかした?」
「獅子谷くんからチャットが来たの。今度の日曜日に水族館へ行かないかって」
行動が早いなと思った。
彼はその日に告白するつもりなのだろう。
「行けばいいんじゃない?」
「いままではライブハウスでデートしてたの。なんだか今度は感じがちがう」
「いいじゃないか、水族館。楽しいと思うよ」
「もしかしたら告白されるかもしれない……」
すみれの予想はたぶん当たっている。
「ねえ、もしそうだったら、なんて答えればいいと思う?」
それを僕に訊くのか、すみれ。
そんなのは自分で考えるべきことだろう?
「すみれの気持ちのとおりに答えればいい」
「迷ってるの。あたしはカナタのアドバイスを聞きたい。言われたとおりにしようと思ってる」
何を言っているんだ。告白に対する答えは、他人が決めていいことじゃない。
やんわり断ろうとして口を開きかけたとき、すみれの表情に狂気が宿っているのに気づいた。
長いつきあいだからわかる。
すみれの目には意志の光がなかった。完全に僕に決定をゆだねている。あなたの言うとおりにしますと顔に書いてあった。
彼女がまだ僕を好きなことは確定的だった。
どうすればいい?
なんて答えればいいんだ?
僕にはいちばんの女の子がいて、すみれの気持ちに応えることはできない。
獅子谷くんとつきあいなよと言ったら、彼女は本当にそうするのだろうか。
すみれのしあわせを祈っているが、僕から強いられた歪んだ交際をして、彼女に幸福が訪れると信じることはできない。
僕はいまなんて言えばいいのだろう。
答えかねて悩んでいるとき、スマホが鳴り出した。
メッセージではなく、電話の着信音だった。
綿丘きらりという名前をスマホは表示していた。
「もしもし」
「カナタくん、カナタくん、わたし、どうしたらいいのかわからない」
きらりさんの声は切迫し、取り乱していた。
「どうしたの? 何があったの?」
「お母さんが交通事故にあって入院した。義父がわたしを強姦しようとした」
僕は息を飲んだ。強姦?
「だ、大丈夫だったの?」
「やられはしなかった。急所を蹴って逃げた。わたしはいま家出状態なの。スマホしか持っていない。ミチルに頼ろうとしたけど、なんだかあの子よそよそしいのよ」
きっとそれは僕が振ったせいだ。
「カナタくんしか頼れる人がいない」
僕は瞬間的に決めた。全力できらりさんを助けよう。
「いまどこにいるの?」
「✕✕駅の改札」
彼女の家の最寄り駅だ。
「駅に着いてから気づいたの。わたし、電車賃すら持ってない」
「いますぐそこへ行くよ!」と僕は叫んだ。
「すみれ、悪いけど緊急事態なんだ。相談のつづきは後にしてほしい」
彼女の顔は引きつっていた。
「あの巨乳に何かあったの?」
「家出した。僕はきらりさんを助ける」




