家庭の事情
男女カラオケ交流会の後、獅子谷くんと高山くんは目論見どおり、それぞれすみれと寿限無さんとの仲を深めていった。
学校帰りにときどき男子3人でファストフード店へ行き、恋バナをしたりする。
たいていはハンバーガーショップだが、たまには変えてドーナツショップやフライドチキンショップに入る。どこでも獅子谷くんは食欲旺盛で、がつがつしている。高山くんは上品に食べるけれど、大食漢であることにちがいはなく、ふたりとも僕よりたくさん食べ物をたいらげる。
5月第2週の木曜日、僕たちはドーナツを食べながらおしゃべりしていた。
「はぁ~、寿限無さん可愛いよな~」
高山くんは長いため息をついた。その瞳にはハートマークが浮かんでいるようだった。
「今度の土曜日に映画を見にいくんだ。手をつなぎながら見たいよな。はああ~、寿限無さんいいよなあ~」
完全に骨抜きにされている。
「手くらいさっさとつないじまえよ」
獅子谷くんは相変わらず目にワイルドな光をたたえている。
「おまえは草原さんと手をつないだのかよ」
「カラオケの日につないだよ。おまえらと別れた後に」
「はやっ」
僕と高山くんは驚いた。獅子谷くんは、こいつら何言ってんだ、というような表情をしていた。そのくらい当然じゃねえか。
「1か月でセックスしたいと思ってる。もちろん彼氏彼女になってな」と獅子谷くんは言う。
すみれは彼とからだを重ねるのだろうか。
悲しいがそうなってもしかたがない。
僕ときらりさんもしている。獅子谷くんとすみれの邪魔はできない。彼の恋人になってすみれが喜ぶなら、祝福すべきだ。
「すみれちゃんとは音楽を通じて仲よくなれそうだ。俺たちは今度の週末、ライブハウスへ行く。よさそうなインストルメンタルバンドが出るんだ」
獅子谷くんは僕の幼馴染をすみれちゃんと呼ぶようになった。彼女の名を呼ぶとき、彼の声はやさしくなり、その目は穏やかになる。彼は荒っぽく見えるが、粗暴な男ではない。すみれは彼を聞き上手だと言っていた。
「あの人は聞き上手ね。あたしの話をちゃんと聞いてくれる。自分の意見も持ってる」
彼女はそんなふうに言って、意外とやさしいと付け加えた。まだ彼氏彼女になってはいないが、心の距離は近づいているように見える。
1学期の中間試験が迫っている。
僕はきらりさんとよく図書館へ行くようになった。
放課後、ぶらぶらと散歩しながらひと駅先にある市立図書館に寄り、閲覧席に座って勉強する。
「ここわかんない。教えて~」
きらりさんの甘えた声が可愛い。
「この公式を使うんだよ。こう、こう、こうして解答にたどり着く」
「ひゃあ、カナタくん賢い~」
「それほどでもないよ」
褒められると照れてしまう。どうしようもなく口がにやけてしまう。そして、周りから冷たい視線を送られる。
図書館は静かに使わないといけない。僕は努めて沈黙する。でもきらりさんが話しかけてくると、やっぱりおしゃべりしてしまう。なるべく小さな声でささやくように話す。
勉強に疲れるとカフェに行ったり、公園のベンチに座って缶コーヒーを飲んだりする。県立美術館のある大きな公園は、僕たちのお気に入りの場所になった。彫刻が点在していて、それは無料で見られる。
ラーメンを食べにいくこともある。きらりさんは何十軒ものラーメン屋さんを知っている。その中でかなり美味しい店に僕を連れていってくれる。
彼女はなかなか家に帰ろうとしない。暗くなるまで僕と一緒にいることが多い。僕といない放課後は、寿限無さんと会っているようだ。
「家には帰りたくないの」
ある日の夕暮れ、ついにきらりさんはそう言った。
彼女は美術公園のベンチに座り、缶のコーンスープを握って手をあたため、僕はその横で甘めのコーヒーを飲んでいた。空はほとんど暗灰色で、西の一部分が赤く染まっていた。
「カラオケの日に言ってたよね。お母さんに勉強しなさいって言われるのが嫌だって」
「あー、そんなこと言ったね。でもお母さんとは別に問題はないの。本当に嫌なのは義理の父」
「義理?」
「お母さんとお父さん、わたしが小学生のときに離婚したんだ。お父さんの浮気が原因だった。中1のときにお母さんは再婚したんだけど、わたしは義父が好きになれなかった。いやらしい目でわたしを見るのよ。お母さんだけじゃ満足できないのかな。あんな人大嫌い」
「そっか、つらいね……」
僕はきらりさんの苦しみに寄り添いたかったが、たいしたことは言えなかった。僕はなぐさめたい気持ちを瞳に込めて、彼女の目を見つめた。
「カナタくんは大好き……」
そう言ったとき彼女の表情は一瞬柔らかくなったが、すぐにその顔はこわばり、呪詛に近い愚痴が口から出た。
「あいつ、まちがえたふりしてお風呂に入ってきたことがあるのよ。絶対にわたしがいることを知ってた。シャンプーを投げつけて、大声で出てってとわめいたわ。あいつは舐めるように見てから、ゆっくりと出ていきやがった。憎たらしい。それ以来、わたしはカッターナイフを持ってお風呂に入るようになった」
「ひどいね……」
「お尻を触られたこともある。親しみのあるスキンシップに見せかけようとしてたけど、ただの痴漢よ。通報してやろうかと思った。あんなやつ、絶対に父親だなんて思えない」
「お母さんはそのことを知らないの?」
「薄々わかってると思う。でも経済的に困窮したくなくて、目をつぶっているんじゃないかな。離婚後、お母さんとわたしは貧困でかなり苦しんだの。いまはお金の心配はしないで済んでる」
「どうすればいいんだ……」
僕は真剣に心を悩ませた。
あたりまえだが、彼女はもっと深刻に悩んでいるはずだ。
「高校時代をなんとかやり過ごすしかないと思ってる。大学に進学したら、わたしはひとり暮らしをするつもり。奨学金をもらって、バイトして稼いで生きる」
「僕も力になりたい」
「カナタくんがそばにいてくれたら、それだけで勇気が出るよ」
なんとしてでも生き延びて、できるだけ早く自立する、ときらりさんは言った。
「何かあったら家に来てよ。きらりさんに泊まってもらえるように両親を説得するから」
「カナタくんのご両親には迷惑をかけたくない。でもどうしようもなくなったらお願いするかも」
「遠慮しないでいいよ」
僕ときらりさんは勉強したり、悩みを話し合ったりして多くの時間を共有した。僕はかつて病弱であるという悩みを持っていたが、いまはほとんど解消している。彼女は悩みの渦中にいる。
週末には川沿いのサイクリングロードを延々と散歩したりした。多くのロードバイクが疾走していったが、僕たちはゆっくりと歩いた。
5月中旬に中間試験が実施された。
僕はまずまずの手応えで試験をクリアしたが、きらりさんは浮かない顔をしていた。
「カナタくんにたくさん教えてもらったのに、あんまりいい成績は取れなさそう。最近よく眠れてないの」
あいつのせいで、と彼女は言った。
試験が終わった日、きらりさんは寿限無さんと服を買いに都心へ出かけ、僕は獅子谷くん、高山くんとフライドチキンを食べに行った。
「次のデートで告白する」と高山くんはチキンを手に取らずに言った。
「うまくいきそうか?」と獅子谷くんはかじりついてから訊いた。
「映画館では手をつないだ。エンドロールが終わるまで、寿限無さんの手を握っていたよ。その後ごはんを食べて、話も弾んだ。可能性はあると思う」
僕が食べ始めても、高山くんはじっとチキンを見つめたままだった。
「成功を祈る」「うまくいくといいね」と獅子谷くんと僕は言った。
僕はその頃すみれから、獅子谷くんとの関係に悩んでいるという相談を受けていた。
きらりさんをいちばんの女の子にすると決めたが、すみれとの関係を断つようなことはしていない。以前と変わりなく彼女はときどき家に来る。そのときは自然に会話する。
獅子谷くんは悪い人じゃない。一緒にいて楽しい。でも恋してはいない。そんなふうなことをすみれは言った。
「一緒にいて楽しいうちは、友達としてつきあえばいいじゃないか」
「うん。でも獅子谷くんは恋人同士になりたがってるみたい。そんな感じがする。告白されたら、どうしたらいいと思う?」
僕はその問いに有効なアドバイスを返すことはできなかった。内心はけっこう複雑だった。本音では、僕はすみれに清らかでいてほしいのだ。でもすみれと獅子谷くんがつきあい、ふたりがしあわせになるべきだという気持ちだってちゃんとある。それを言えばいいのだろうが、薄っぺらい建前になってしまいそうだった。
フライドチキンショップでの獅子谷くんと高山くんの会話を、僕はきらりさんやすみれの悩みを考えながら聞いていた。
「獅子谷はどうよ?」
「正直に言うと、苦戦してる。1か月でセックスは無理だな。慎重に間合いを詰めてるところだ」
「草原さんのことは本当に好きなのか?」
「完璧に好きになったよ。実はああいう真面目な子がタイプなんだ」
「貧乳だけどな」
「俺は胸より脚の形を重視してる。すみれちゃんは美脚だぜ」
僕には獅子谷くんとすみれの両方から情報が入ってくる。彼と彼女は必ずしも両想いではない。獅子谷くんの方が想いは強く、すみれはそれほどでもない。
「獅子谷くん、きみはすみれに恋していても、愛してはいないのかな?」と僕は訊いてみた。
「あー、前に恋と愛はちがうって話をしたな」
「なんだそりゃ?」
高山くんは首を傾げた。
「恋は性欲、愛は慈しみ、そんな話だ」
「そんなにすっぱりと割り切れるもんじゃないだろう?」
「まったくだ。訂正するよ、小鹿。俺はすみれちゃんに恋して、愛してもいる。あの子の内面も好きだ」
獅子谷くんはいいやつだ。
僕は心の奥底では、きらりさんとすみれの両方を欲しがっていた。醜すぎる。そんな汚い心は消去しなくてはならない。僕はすみれと獅子谷くんがうまくいくことを祈った。




