童顔の困惑
ビッチと言われて、綿丘さんの顔がこわばった。目を大きく見開き、ぎゅっと閉じた口がへの字に曲がる。
すみれも意地になっているみたいで、強硬な表情を綿丘さんに向けている。ふたりは睨み合った。
これはまずいよ、と僕は思った。
僕たちがいる場所は明応高校の校門付近だ。美少女ふたりが声高に言い争って、周囲の注目を集めてしまっている。生徒たちが綿丘さんとすみれ、そして僕を遠巻きに見つめている。その数は十数人で、続々と増えつづけていた。ある者は眉をひそめて、ある者は好奇心剥き出しで僕たちを眺め、ひそひそと話している。
「美人ふたりがけんかしてるぞ」
「新入生かな? すごい巨乳と……もうひとりは気の毒なほど貧乳だな」
「カワイイ男の子もいるね。ちっちゃい。男子の制服を着てなければ、女の子だと思っちゃうかも」
「あの男子おろおろしてるよ。何があったのかなあ」
「なんだなんだ、三角関係かあ」
僕たちは周囲の関心を集め、台風の目みたいになっていた。人の群れはさらなる人を呼び寄せた。中にはスマホを取り出してこちらに向けてくる者すらいた。このまま綿丘さんとすみれを放っておくわけにはいかない。
「ば、場所を変えようよ」
「小鹿くん?」「カナタ?」
「わ、綿丘さん、すみれ、ここは校門だよ? ぼ、僕たち、さらし者みたいになっちゃってる。どこかへ移動しようよ」
僕がそう言うと、興奮して激しく睨み合っていたふたりは、ようやく人目を引いてしまっていることに気づいた。激昂していたすみれも口を閉じ、気まずそうに首を折り曲げて顔を地面に向けた。
「と、とにかくどこかへ行こう。ここにとどまっているのはよくないと思う」
僕は校門から外に出た。女の子ふたりは素直に僕について来てくれた。登校途中にちょっとした公園があったのを思い出し、僕は急いでそこへ行った。
公園では小さな男の子と女の子が砂場でトンネルを掘っていた。東屋があり、屋根が陽射しをさえぎっている。僕は東屋の中のベンチに綿丘さんとすみれに座ってもらい、自動販売機であたたかい缶コーヒーを買って彼女たちに渡した。
風が少し冷たかった。
「ありがとう」「あったかい」と女子高生たちは言って、ふたりともカイロを持つようにして缶で手のひらをあたためた。僕はベンチの前で佇んだ。
綿丘さんはプルタブを引いてコーヒーをひと口飲み、きつい目付きですみれを睨んだ。
すみれは瞳に怒りを灯して巨乳美少女の視線を受け止め、睨み返した。
中断していた争いが再開された。
「ビッチとは失礼ね。わたしはビッチじゃない」
「そのでかい胸でカナタを誘惑したんでしょ? ビッチ以外の何者でもない」
「胸が大きいのはわたしのチャームポイントのひとつよ。利用して悪いとは思わない。だからってビッチってわけじゃない。わたしは誰にでもついていくような女じゃないもん。小鹿くんが気になったから声をかけただけ。他の男の子には目もくれないわ」
「だとしても、今日は高校初日よ。出会ったその日に交際を申し込むなんておかしいでしょ。ビッチの所業としか思えない」
「恋は戦争よ。電撃的に攻めて、狙った相手を手に入れる。小鹿くんみたいに魅力的な男の子とつきあうためにはこれくらいやって当然よ」
綿丘さんとすみれが激しく口論して、僕はどうしたらいいのかわからなくなった。
綿丘さんは僕のことを魅力的と言ってくれてそのこと自体はうれしかったが、自分自身ではまったくそうは思えないので、困惑が大きかった。
僕には魅力なんてない。チビで内気で吃音症。まったくモテたことのない陰キャだ。カノジョなんて影も形もなかった。中学時代にクラスメイトの女子から女顔をからかわれ、カワイイとか女の子みたいとか言われるのはしょっちゅうだったけれど。
そんな僕をめぐって、巨乳美人の綿丘さんと貧乳だけどすごく可愛いすみれが争っている。
いったいどうしてこうなった?
「だいたいあなたねえ、なんでわたしにそんなに突っかかってくるの? わたしと小鹿くんがつきあおうが別れようが、あなたには関係ないでしょ。放っておいてよ。わたしはこれから彼とごはんを食べに行きたいの!」
「関係あるわよ。カナタはあたしの大切な幼馴染なの。巨乳だけが取り柄のぽっと出の女とつきあうなんて認めない!」
「失礼ね。わたしの取り柄は胸だけじゃない。顔だってけっこう整ってるわよ!」
「ルックスだけじゃないの!」
「恋愛において容姿は重要な要素のひとつよ」
綿丘さんは挑戦的に胸をそらしてその巨大さを誇示した。すみれは悔しそうに唇を噛んだ。
「そうかもしれないけど、とにかくあなたは認めない!」
「バカなの? 人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて死んじまえって、聞いたことない? たとえ幼馴染だとしても、わたしと小鹿くんの恋の邪魔をする権利はないわ」
「うっ……」
綿丘さんが猛烈に反撃して、すみれはたじたじとなった。
確かに綿丘さんの言葉は筋が通っている。にわかには信じられないことだけど、彼女は僕が気になっているらしい。そのことは僕と綿丘さんだけの問題で、幼馴染でも口を出すのはおかしい。
どうしてすみれはこんなに意地になっているのだろう。
「人の恋路じゃないから!」とすみれは叫んだ。
彼女は顔をくしゃくしゃにして泣きそうになった。両手を握り締め、全身をぶるぶると震わせていた。すみれは何かを決断するように目を瞑り、それからゆっくりと開いて僕を見た。
「あたしだってカナタが好きなの! 大好きなの! 高校に入ったら告白しようって決意してた。あなたが邪魔しなければ、もっとちゃんと告白したのに。台無しよ! こんなふうに言うつもりなんて全然なかったのに……」
すみれは恥ずかしさと悔しさと哀しさの入り混じったような声でそう言った。彼女の涙腺が決壊して、「うわーん」と泣き出した。涙の粒が次から次へと頬を流れた。
僕はびっくりして、呆然とすみれの泣き顔を見つめた。
すみれが僕のことを好きだった? いままでまったく気づかなかった。ただひとりの幼馴染で、親友だとばかり思っていたのだ。すみれだって僕を雑にあつかったりして、男女を意識させるような仕草なんて少しもしてこなかった。
実は彼女は恋心をひた隠しにして、僕と友達みたいにつきあってきたのだろうか。
嘘だろうと思ったが、目の前ですみれはガチ泣きしていた。
「カナタ、好き……」と泣きながらすみれは僕に告げた。
「悪いけど、小鹿くんはわたしの彼氏よ」と綿丘さんが僕とすみれの間に立ちふさがって言った。
「どいてよ。あたしは百万年前からカナタが好きなの」
「百万年前はわたしもあなたも生まれてないでしょ」
「それくらい好きだって比喩よ。あなたなんかの出る幕じゃない。どいて!」
すみれは大声を出した。
「どかない。恋に時間は関係ない。過去なんてどうでもいい。わたしはいま小鹿くんが好きなの。それがすべてよ」
綿丘さんは一歩も引かなかった。
僕の脳裏は混乱でいっぱいだった。僕をめぐって、修羅場のようなものが繰り広げられている。今日初めて出会ったすいかサイズの乳房を持つ美少女と小学生のときから親しかった大切な幼馴染が言い争っている。
いきなり修羅場? 僕は恋愛経験ゼロだっていうのに。
「小鹿くんはわたしのものよ。つきあうって合意したんだもの」
いきなり綿丘さんが僕を抱きしめた。ビーチボールみたいな胸が押しつけられる。ふにゅんと柔らかくて、むにゅっと弾力がある。その胸の圧倒的な魅惑には抵抗できなくて、僕は一瞬で陶然となってしまった。
その大きくて丸いふたつの物体は、男をだめにするものだった。童貞の僕にはあまりにも刺激が強すぎる。何も考えられなくなって、甘美な感触に身をゆだねてしまう。
「きょ、巨乳め~、カナタから離れろ~!」
すみれが歯ぎしりしたが、僕は綿丘さんに抱かれるままになっていた。両腕をだらんと下げて、なすがまま。彼女を振りほどくなんて、考えることもできなかった。
「離さない。小鹿くんはわたしの彼氏。抱きしめていいのはわたしだけ」
綿丘さんが勝ち誇ったように言ってすみれを挑発しているときも、僕はぼおっとして巨乳の感触を味わっていた。
「くそ~っ、あたしはあきらめないからな~っ」
すみれは雑魚悪役みたいな捨て台詞を残して、公園から走り去っていった。
綿丘さんは僕を抱きしめたまま、耳元で「あの子には渡さないよ。わたしは本気で小鹿くんが好きなの」とささやいた。




