55話 命懸け
俺と白鳥は作戦を実行するためカフェを出た。わずかな緊張感が身を引き締める。
しばらく一階をぶらついていると、どこから現れたのか、いつの間にかフード男が後を付けてきていた。
作戦開始だ。
一気に緊張感が高まる。脈が早まり、手にはじんわりと汗をかいている。
白鳥にアイコンタクトし、目的地へと向かう。
目的地は、メインストリートと並行に走る店裏にある小道だ。
この小道は各フロアの片側だけにあり、おそらく従業員の出入口用に設けられているものと思われる。一般客にも公開されている道なので通っても良いが、メインストリートに繋がる両端以外は一面壁となっており、この道から直接各店に入ることはできないため、人通りはほぼない。
この小道にフード男を誘導し、死角に隠れた俺が意表をついて襲撃、上手くいけばそのまま捕獲、俺が倒された時は白鳥が警察に通報しつつ大声でメインストリートに逃げる。というのが俺の作戦だ。
小道に繋がる曲がり角に差し掛かる。ここを曲がればもう後戻りはできない。
大きく息を吐き、集中を高める。
先に白鳥を行かせ、俺はフード男との距離を確認するために背後に目をやった。
これまでと変わらない、少し離れたところにフード男はいた。
当然、こちらに歩いてきている。
距離は掴めた。後はやるだけだ。
覚悟を決め、曲がり角を左に曲がる。
曲がって壁に視界が遮られる寸前だった。
ズボンのポケットに突っ込んでいたフード男の右手が僅かに動き、手に持っている何かが照明か何かの光を反射して、メタリックに輝いた。
輝きが目に入ってよくは見えなかった。でもそれは確かに、銀色に輝いていた。
――刃物。
そのイメージが頭に浮かんだ途端、頭が真っ白になり、その場に立ち尽くしてしまう。
さすがに刃物持参までは想定していなかった。でも、人が死ぬ、人を殺すとはそういうことだ。
殺される。
一瞬にして全身が恐怖に支配された。心臓は早鐘を打ち、警鐘のように大きな拍動音が体内に鳴り響く。呼吸はどんどん浅く、早くなっていき、手の先足の先から血の気が失せていく。代わりに冷たい汗が滂沱のごとく噴き出してくる。
ヤバい、ヤバい、死ぬ、殺される、どうしよう、ヤバい――。
「ちょっと、どうしたんですか? ねぇ、赤崎くん。赤崎くん!」
俺が一向に来ないからか、白鳥が俺を呼んでいる。
白鳥はすぐそこにいるのに、声は遠い山の向こうから聞こえてくるような感覚だった。
俺の考えが甘かったのだ。意表さえ突けば何とかなると思った自分が愚かだったのだ。
白鳥は正しかった。危険だと忠告していた。丸腰の俺は死ぬかもしれないと――。
逃げなければ。もっと遠くに白鳥を逃がさなければ。
そう思うのに、恐怖で雁字搦めにされた足は、一ミリも動いてくれない。
白鳥、逃げろ。殺されるぞ。
そう言ったはずの口は、水中で喘ぐ魚のようにただパクパクと動くだけで、微かに空気が漏れ出るだけだった。
時間は無情にも過ぎていく。フード男が近付いてくる。
あの距離からして、もうすぐそこまで来ているはず……。
背後で微かに音がした。早鐘を打っていた心臓が一瞬静止する。
もう終わりだ。
そう思った瞬間、白鳥が俺の手を掴み、小道まで引っ張っていった。
恐怖に制圧され俺の指令では動かなかった体は、白鳥によっていとも簡単にあっさりと再稼働した。
「急にどうしたんですか⁉ 顔が真っ青ですよ。何かあったんですか?」
たった今白鳥に救われた、この命。たとえここで失おうとも、絶対に白鳥だけは死なせない。
俺は白鳥の心配を無視して、願うように言い放つ。
「逃げろ、逃げるんだ。もう奴はすぐそこに来てる。早く!」
俺は白鳥の背中を思いきり押して送り出し、すぐに目を離して臨戦態勢に入った。
メインストリートからは死角となる小道の店側の壁に身を潜め、息を殺して気配を探る。
少しして、靴が床を叩く音と衣擦れ音が耳に入った。その微かな音は、ゆっくりと、しかし確実に近付いてくる。
俺は腰を落とし、ゆっくりと息を吐いていく。恐怖はまだ全身に纏わりついている。
でも覚悟はできている。
ついに、待ち伏せていた俺の視界に人影が写った。
黒のパンツ、ミリタリー柄の服。間違いなくフード男だ。
俺はフード男と特定した瞬間、神風特攻隊のごとく奴の膝下目掛けて突進した。
「おぉっ、うわぁ!」
フード男は何とも情けない間抜けな声を上げた後、勢いよく前のめりで倒れてくる。
俺は素早くステップを踏んでそれを避けた。
フード男はそのまま床に倒れ込んだ。その拍子に掛けていたサングラスが吹っ飛び、顔が露わになる。
俺は透かさず馬乗りになって、投げ出されている両手を掴み、後ろ手にして縛り付けた。
フード男は痛みに悶えるので精いっぱいなのか、一切抵抗しない。
その隙に俺は顔を上げる。顔の先は白鳥が逃げていった方向だ。
もしかしたらもう白鳥はいないかもしれないと思っていたのだが、意外と近くに白鳥は立っていた。
「し、白鳥! 通報だ。今のうちに早く!」
白鳥は俺の声が聞こえていないかのように無反応で、ただ一点フード男の顔だけを見つめている。
そしてあろうことか、白鳥はゆっくりとこちらに近付いてきた。
「何やってるんだ、白鳥! 危ないから近付くな! 早く警察に通報しろ」
これも無視した白鳥は近付き続け、突然ピタと足を止めた。食い入るように見つめた後、未確認生物でも発見したかのような唖然とした表情を浮かべる。
「お父さん⁉」
俺は白鳥の口から発された言葉が、この状況とあまりにもそぐわず理解ができなかった。
白鳥の声に反応するように、フード男はのっそりと顔を上げる。
「そうだよ、怜ちゃん。パパだよ」
俺はもう訳が分からなくなり、再び頭が真っ白になった。




