41話 期待できない文化祭マジック
いよいよ迎えた文化祭当日、時刻は十時。
俺はワイシャツに黒エプロンを身に付け、客が来るのを待っている。
文化祭は十時開始、つまりたった今始まったばかりだ。校内放送で、文化祭開始を告げる浮かれた声が響いている。
俺の後ろには、パン屋内藤のサンドイッチにmon tresorのケーキ、ジャックポットのコーヒーメーカーが堂々と並んでいる。これらが一堂に会している姿を見ると、なかなかに感慨深い。
「今日は頑張ろうね、隼人くん」
隣にいる杏奈がテンション高めに声を掛けてきた。
両の拳を握り、気合十分といった様子だ。
「気合入れ過ぎてヘマすんなよー」
「大丈夫ですぅー! 水差さないでよね、まったく」
俺と杏奈は十時から十二時の最初のシフトに当たっている。
文化祭は十六時で終了なので、二時間おきの三交代制だ。
涼介と白鳥は次の二番目のシフトに入っており、最後のシフトは四人とも空いているということで、その二時間は四人で出し物を見て回るようになっている。
始めはあまり客が来なかった。来るのはメイド服を着ている生徒の他クラスの友人ばかりで、注文せずに写真だけ撮っていった。飲食業なので始めはこんなものだろうと思っていると、やはり昼に近付くにつれ客の数は増えていった。
喧騒の中から「美味しい」「旨い」の言葉が時折聞こえ、その度に頑張って調達した甲斐があったなと清々しい気持ちになった。
そんな折、聞き慣れた声が喧騒を割って俺の耳に飛び込んできた。
「おっす、隼人。ちゃんと働いてるか?」
作業していた手を止め振り返ると、そこには案の定姉の初音が立っていた。
白のニットに黒のデニムジャケット、緑青色のフレアスカート。肩元で切り揃えられた黒髪から覗くイヤリングが光っている。LPは緑色、四分の三ほど残っている。
「姉貴、来たのかよ……」
弟の素気ない反応に、初音は少しムッとした表情を浮かべる。
「なによ、その言い草は。お姉ちゃんが来てやったんだぞ。もっと素直に喜びなさいよねー」
姉が来て喜ぶ弟がどこにいる。大学生は大学生らしく勉強してろ。
「初音ちゃん!」
「おっ、杏奈じゃない。久しぶりー。元気してた?」
杏奈は初音に駆け寄り抱きついた。
杏奈はうちによく遊びに来ていたので、初音とも仲がいい。
「元気だよー。文化祭来てくれたんだね。メイド服どう? 似合ってる?」
杏奈は体を左右に振って、スカートの裾をはためかせる。
「うん、すっごく可愛い。あんな愚弟より杏奈みたいな可愛い妹が良かったよ」
その後もいくらかやり取りを交わして、ようやく初音は席についた。
こういう時、身内の人間がいると調子が狂うというか、やり辛さみたいなものを感じるのはなぜだろうか。別に始終見られているわけでもないのに、ちゃんとしなければと思ってしまう。
そう思ったのも束の間、昼時とあって押し寄せてきた客の対応に追われ、姉のことなど気にする余裕はなくなっていた。
ふと時計に目をやると、正午近くになっていた。
そろそろ交代の時間だなと思っていると、初音が会計にやって来た。
「ごちそうさま、美味しかったわよ」と言いながらお金を渡してきたので、一生徒らしく「ありがとうございます」と言って釣り銭を渡した。
そのまま帰ると思っていたのだが、ヒョイヒョイと小さく手招きをして、俺の隣で配膳待ちしている杏奈を呼び寄せた。
初音は杏奈の耳元に手をかざし、何かを囁く。
「し、してないよ……」
杏奈がそう答えると、初音は再び囁く。
「えー、だって……」
初音は囁き続ける。杏奈の顔が徐々に赤くなってきた。
「えぇ! 今日⁉」
杏奈がのけぞるようにして驚いた。
初音から突拍子もないことを言われたのだろうか。
「そう、今日よ。文化祭マジックってよく言うじゃない。来月にはクリスマスもあることだし、独りじゃ寂しいわよ? だから頑張んなさい」
杏奈はもじもじしながらも、最後はこくっと頷いた。
文化祭マジックやらクリスマスといった単語から推測すると、色恋沙汰の線が濃厚だろう。女子同士らしい。俺も恋人への憧れは多少あるが、今年は縁遠いなと思った。
白鳥のLPは着々と減っており、もうほとんど残っていない。もって一、二カ月が関の山だ。俺に寿命を変える力がなければ、才色兼備で前途有望な彼女は死んでしまうのだ。そんな状況では、とてもじゃないが色恋に現を抜かす気分にはなれない。
初音は杏奈に笑顔を見せた後、次は俺に顔を寄せてきた。
「あんたもいいとこ見せなさいよ」
耳元でそう囁いて、用は済んだとばかりに教室を出ていった。
いいとこ見せる相手なんかいねーよ、と俺は心の中で愚痴った。




