37話 苺のショートケーキ
件のケーキ屋はmon tresorという名で、店主は宮田さんという女性らしい。
数年前にできた店とのことで、店名は流行に乗った横文字だ。
パン屋が薦めるケーキ屋なのだから、結構美味しいのだろう。
先程は内藤さんの勢いに押されてパンを食べ損なってしまったが、次は必ず食べよう。
仕入れる前に味見は必須だ。
そんなことを考えているうちに、車は目的地で停車した。
十分ほど乗っていただろうか。確かに歩くには遠い距離だ。
店は小ぢんまりとした西洋風の建物で、周りには綺麗な花が植えられている。
女性好みのオシャレな雰囲気だ。
俺たちは内藤さんに礼を言って別れた。内藤さんは俺たちの用が済んだら迎えに来ると言ってくれたのだが、白鳥がこれ以上世話になるわけにはいかないと丁寧にそれを辞した。
店に入ると、店主の宮田さんが迎えてくれた。内藤さんが事前に連絡してくれていたらしい。
宮田さんは黒いシャツに黒いパンツという格好で、全身が黒に覆われている。
それもあってかかなり細身に見える。
頭上のLPは緑色で三分の二ほど残っており、そこから推察すると三十代前後といったところだろう。
席に案内された後すぐに交渉が始まり、あっという間に契約が成立した。
途中、どのケーキを提供するかという話をした時、白鳥がメニューも見ずに「苺のショートケーキ」と即答したのが印象的だった。なぜショートケーキがあるのを知っているのかと訊くと、白鳥は平然な顔で、ショーケースの中に入っているのが見えたからと答えた。
話が一段落しそろそろお暇しようと考えていたら、宮田さんがお近づきの印にと当日提供することにした苺のショートケーキとレアチーズケーキを出してくれた。
お金は払うと白鳥が言ったが、宮田さんはそれでは意味がない、子供が余計に気を遣わなくていいと言ってそれを制した。
宮田さんが下がった後、レアチーズケーキを目の前にして唸り声を上げる胃袋を鎮めんと、俺はフォークを手にする。
ふと白鳥に目をやると、白鳥は恍惚とした表情でショートケーキを一点に見つめている。
無防備に緩んだ白鳥の顔を見るのは初めてだ。
面白いのでしばらく眺めていると、それに気付いた白鳥は不覚だとばかりに顔を紅潮させ、鋭い視線をぶつけてくる。
「……なんですか?」
「別に。いつも冷厳で隙のないお嬢様が、ショートケーキを前にうっとりしていたところなんて、俺は見てませんよ」
俺の挑発するような口ぶりに、白鳥の眉が吊り上がる。
「それで弱みを握ったつもりですか? もしそう思っているなら勘違いも甚だしいですね。ショートケーキが好きな女性なんていくらでもいます。こんなことであなたになど屈しませんから。それとこっち見ないでください」
「へいへい」
ちょっとからかうつもりだったのだが、思った以上に反応されて逆に困る。
俺は言われた通り、白鳥が視界に入らないよう体ごと窓側を向いた。
レアチーズケーキを切り、一つを口に入れる。
レアチーズの濃厚な薫りと旨味が口いっぱいに広がった。
パン屋が薦めるだけあって、とても美味しい。
これなら文化祭で提供しても文句は出まい。
「白鳥はショートケーキが好きなのか?」
答えることを逡巡しているのか、少し間があった。
「……そうです。でもそれは何の弱みにもなりませんからね」
「別に弱みだなんて思ってねーよ。ただ、白鳥も普通の女子高生なんだなって思っただけだ」
「どういう意味ですか?」
「普段の白鳥はなんかこう、達観してるっていうか、俺たちと一線を画しているようなそんな感覚があるんだ。そのうえ、勉強も仕事も難なくできる秀才ときたら同じ高校生だとは思えなくてな。でも、さっきみたいな好きなものを前にした時の純真無垢な顔を見たら、ひとりの可愛い女の子なんだよなと思い返させられたってだけの話だよ」
流れで白鳥の方に顔を向けると、白鳥は目を伏せている。まだ顔は紅いままだ。
黒髪から覗く耳も紅いような気がする。
「……よくもまぁ、可愛いなどと歯の浮くようなセリフを本人の前で言えますね」
白鳥のことを可愛いと言ったわけではないのだが、勘違いされるとこちらが恥ずかしくなる。
俺は慌てて補足する。
「いや、違う違う。これはその比喩というか例えというか、その一つとして『可愛い女の子』を用いただけで、白鳥が可愛いとは言ってない」
白鳥の顔が更に紅くなっていく。
「私の勘違いだって言うんですか? 人のせいにしないでください。これは事故です。あなたの語彙力と表現力が著しく欠如しているのが悪いんです。」
人のせいにしているのはお前だろ。それに最後の一言も余計だ。なぜディスられなければならないのか。
言い返してやりたい気持ちは山々だったが、彼女の至福の時間を奪うのが憚られたので今回は流してやることにした。
「あー、はいはい。俺が悪かったですよ、お嬢様。それよかケーキ食えよ、窓側向いててやるから」
ようやく落ち着いて、それぞれにケーキを味わった。
食べ終わった後、宮田さんに礼を言って店を出た。
宮田さんに味の感想を聞かれたが、俺も白鳥も美味しかったと答えた。
白鳥の表情から、その言葉は社交辞令ではないことが窺えた。
こうして、たった一日でサンドイッチとケーキ両方の仕入先を見つけることができた。




