22話 謝るのは俺の方
決意を喪失した俺は、二人に謝罪できないまま放課後を迎えた。
明日からはついに期末テストが始まる。
テストに備えるため、生徒たちは三々五々教室を出ていく。
勉強が全くできていない俺も、速やかに帰宅し一夜漬けで知識を頭にねじ込む必要があるのだが、足が重くて席を立てないでいた。
涼介が席を立つのが視界に入った。
涼介は他の生徒たちの間をすいすい縫って、杏奈の元へ歩み寄り話し掛けている。
二人で帰るのだろうと思っていたが、予想に反して杏奈は席を立たず、涼介だけが教室を出ていった。
少し不思議には思ったが、用事があるとかどこかに立ち寄るとか、そんな理由かもしれない。
そう考えると、一抹の疑念はすぐさま霧散した。
俺は杏奈から目線を外し、頬杖をつきながら窓の外の景色に目を移した。
空に揺蕩う雲を眺めていると、ふと、これまでの学生生活で最後まで教室に居たことがないことに気付いた。それで何となく、最後まで残ってみようと思った。
一人、また一人と生徒が教室を出ていく。生徒が減るごとに、教室内の静けさが増していく。
あっという間に、教室内は二人だけになった。ただ、その残った一人の生徒は俺の想定外の人物で、机に教科書とノートを広げている。どうやら長居を決め込んでいるらしかった。
ペンを走らせるささやかな音だけが遠慮がちに響いている。
教室に最後まで残るというしょうもない思いですら、今日の俺は遂げることができないようだ。
ここに居残る理由を失ったのだが、やはり足は動かなかった。
見るともなく空を眺め続けていると、椅子をずらす音がして、それに足音が続いた。
トイレか何かで席を立ったのだろうと思っていたが、その予想とは裏腹に、足音はこちらに近づいてきた。
俺はそれでも足音の鳴る方を振り向かなかった。いや、振り向けなかったのかもしれない。
とうとうその足音は俺の真横で止んだ。
数秒の静寂を挟んで、もう一人の居残り生徒は口を開いた。
「どうして帰らないの? 隼人くん」
俺は窓の外を眺めたまま、訊かれたことを鸚鵡返しした。
「それはこっちのセリフだ。なんで帰らないんだよ、杏奈」
「だって……、昨日あのまま別れちゃったから、隼人くんのことが心配で……」
なぜ俺のことを心配するのだろうか。
理不尽に怒鳴りつけられたのは杏奈の方で、心配すべきは俺の方だ。
「なんだよ、俺のこと心配してんのか。俺なら問題ねーよ」
「そっか、ならいいんだけど……。でも、私のせいで隼人くんを怒らせちゃったから、だから、その……」
顔を見なくてもその口ぶりから、杏奈がもじもじしているのが分かる。
何を言いたいのだろうか。
ただ、前置きからしてあまり良くない感じがした。
「ごめ――」
「謝んな!」
俺は鋭い口調で杏奈の口を封じた。
振り向くと、杏奈の瞳はあの時と同様に震えていた。
杏奈が口にしようとした言葉、それはおそらく「ごめん」だ。
でもそれは杏奈が言うべき言葉ではない。
杏奈は悪いことなど何一つしてはいない。悪いのは完全に俺の方だ。
謝罪の言葉を杏奈に言わせることは、俺のプライドが許さなかった。
「お前が謝るなよ、杏奈。悪いのは杏奈じゃない、俺の方だ」
今度こそ覚悟を決めた。
ただ、その言葉を告げるのは気恥ずかしく、俺は再び杏奈から目を逸らして誤魔化した。
「……俺が悪かった、すまん」
あまりの恥ずかしさに虫唾が走る。穴があったら入りたいなんてものじゃない。
隠れるのではなく、今すぐにここから退散したい気分だ。
それに、どうしても「ごめん」が言えず「すまん」になってしまったことも、情けないことこのうえない。
「うん、許す。許してあげる」
そう告げた彼女は、安心したように微笑んだ。
こんな無様で不格好な謝罪を、杏奈は受け入れてくれたようだ。
「ただし、ちゃんと涼ちゃんにも謝ってよ。涼ちゃんは完全に貰い事故なんだから」
杏奈の言う通り、涼介は俺を止めようとしただけで、疑いようのない貰い事故、巻き添えを喰らっただけなのだ。それは加害者の俺が一番よく分かっている。
「分かってるよ、ちゃんと謝る」
「ならよろしい。ではでは一件落着ということで、帰りますか」
「そうだな、帰るか」
杏奈は嬉しそうに自席へ戻っていく。
杏奈が今日ここに残ってくれなければ、謝罪の機会は随分先になっていたのかもしれないなと、しみじみ思った。
だから俺は、離れていく小さな背中に向かって、心の中で礼を言った。
杏奈の片付けを待って、そして二人で教室を後にする。
いつもより遅い時間。
こうして、ようやく教室は深い静寂に包まれた。




