18話 風変わりな教師
「山田先生!」
「何でしょうか?」
立ち止まる山田先生の元へ、俺は駆け寄った。
「一つ訊いてもいいですか?」
「はい、何なりと」
「先輩たちは坊主ではないですよね? 坊主にしなくても良いんですか?」
「えぇ、もちろん。坊主でなくて構いませんよ」
「なぜですか? 野球部は普通坊主頭ですよね?」
山田先生は顎に手を付いて空を見上げた。
何かを考えていたようだが、視線はすぐに戻ってきた。
「なぜ君は野球部員が坊主頭でないといけないと思うのですか?」
なぜ? そう言われると、あまり考えたことがなかった。
毎年観ている地区予選も甲子園も、試合に出ていようがいまいが部員は漏れなく坊主頭だった。
それが俺の当たり前、野球をする者の当たり前だと思っていた。
俺は答えに窮した。
「なぜ……、そうですね、よく分かりません」
「そうなんです! 僕もよく分からないんです。素人だからかもしれませんが」
山田先生は照れくさそうに笑った。
「もしよければ、素人なりに考えた私の意見を聞いてくれませんか?」
別に断る理由もなく、先生の意見も聞いてみたかったので、俺は了承した。
「はい、お願いします」
「高校野球部員が坊主頭である理由、それは日本の宗教である仏教から来ているのだと思います」
「仏教……ですか?」
「はい、仏教です。世間一般に、お坊さんといえば坊主頭を想像しますよね? ではなぜお坊さんは坊主頭なのか。これは、修行に支障をきたさぬよう雑念を払うためと言われています。この考えを野球にも取り入れたのではないでしょうか。日々の練習や鍛錬はいわば修行です。上手くなるため、強くなるために雑念や煩悩を払い、全身全霊で練習に臨まんとする志を表すため、またはその覚悟のため、球児たちは坊主頭にしていたのではないかと」
お坊さんが坊主にしている理由なんて全く知らなかったが、山田先生の考えに矛盾はなくすんなりと得心した。諸説ありの内の一説にありそうなくらいだ。
「もちろんこれは私の仮説ですので、真説かどうかは分かりません。ただこれだけは言えると思いますが、この行為は明らかに形骸化してしまっています。目的を失ってもなお残り続けているのは、高校野球界の歴史や伝統を傷つけてしまうかもしれないという恐怖や、慣行に従わなかった場合の世間体や同調圧力といった大人側の事情が考えられます。
確かに歴史や伝統を重んじることは素晴らしいことです。しかし、目的を失っては何の意味もありません。特にこの髪を剃るという行為は自分を律することであり、自らの意思によるものでなければなりません。そう思いませんか?」
高校球児が坊主にする理由を真剣に考えている目の前の教師を、俺は変わった人だなと思った。
悪い意味ではない、興味深いという意味でだ。
だから俺は、思ったことを包み隠さずにそのまま伝えた。
「そうですね、僕はこれまで高校野球をするための必須条件としか考えたことがありませんでした。でも実際は、坊主頭であってもなくても、野球に対する気持ちは変わらない……と思います。それに正直に言えば、坊主頭にしなければならないなら野球部に入らなくていいとも思っていました」
山田先生は少し嬉しそうに、うんうん頷いている。
「僕はそれも危惧していたんですよ。『坊主にするくらいなら野球なんてしない』という生徒もいるのではないかと。僕だって嫌ですからね。何かをするのに坊主頭にしないといけないというのは、結構勇気が必要です。
でもこれは、裏を返せば『坊主にしなくていいなら野球をしてもいい』ということなんです。そう考えると、坊主頭にするという行為は、教師の圧力によって生徒の楽しみを奪っていることに他なりません。生徒の楽しみを奪う教師など教師失格です。ですから、僕は野球部員に坊主を強制したりはしません。校則範囲内の髪型であれば何でも構いません。もちろん、自主的な坊主頭もね」
ニッと笑う山田先生の表情は無邪気で、まるで同年代と話しているようだった。
「君はどうするのですか? 野球部に入りますか?」
「はい、なんか楽しそうなので」
気付いたときには「はい」と答えていた。山田先生にされてしまったのだろうか。でも嫌な気はしなかった。むしろこれで良かったとさえ思う。もしかすると、俺は自分が思っている以上に野球が好きなのかもしれない。
「そうですか、歓迎します。ようこそ野球部へ。そういえば、まだ君の名前を聞いていませんでしたね。名前を教えてください」
「そうでしたね、僕は赤崎隼人です。よろしくお願いします」
「赤崎くん、ですね。こちらこそよろしくお願いします」
挨拶の後、山田先生は左腕の袖を捲り腕時計を見た。
その双眸が少し大きく見開かれる。
「おっと、これはいけない。少し長話が過ぎました。今度こそ戻ります。赤崎くん、僕の与太話に付き合ってくれてありがとう。ではまた」
山田先生は背を向けて、小走りで教棟へ戻っていった。
「こちらこそ、ありがとうございました!」
こちらを振り返ることなく、手を挙げる山田先生。
小さくなっていくその背中を見送りながら、俺はこれからの部活動に想いを馳せた。