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【休載中】Savage Fairytales(外伝)  作者: 高山 理図
第1章 真夜中の御伽噺
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第6話 司教マリアからの密命

 今日はいつもより長話をしてしまったのか、修道院の中庭には西日が差してきて暗い影を落とし始めた。日没になると多くの自然霊が目立って活動をはじめる。ルカはカメラ機材を持ってどうみてもバスか徒歩でここまでやってきたとしか思えないターニャを早く自宅に帰さねばと立ち上がり、話を打ち切った。


「君が自然霊の仕業だと信じないならそれもいいが、どちらにしろ物騒だからなるべく早く帰った方がいい。夜道を女の子が一人で帰るのは危険だ」

 厄介払いをしているのかとターニャは思ったが、ルカはターニャを心から心配していた。

 ターニャは言葉の端ににじみ出た彼の配慮を察して、渋々腰を上げた。


 武装修道士であるルカは昼間でこそ穏やかな表情をしているが、夜になるともう一つの顔をみせる。シュウの話によると、彼はシュウを手に入れるまでは三体の自然霊を駆り、夜が明けるまで自然霊達と戦い続けてきたのだそうだ。


 シュウの話もどこまで本当なのか分らないが、ルカの目もとにはいつもクマが出来ていて、手は生傷がたえず、何となくいつも疲れ、35歳という年齢の割にやつれて見える。彼はつい5年前までは修道士ではなかったそうだから、彼もターニャと同じく一般人だったということだ。元一般人がたった5年間修道院の中にいるとこんなに地味で、思いつめたような男になってしまうのかとターニャは思う。


 妻や子供はどうしたのだろう? 今はどこにいるとも知れない妻子は、夫が、あるいは父親がこんな風に、廃人とまではいかないが目に全く力のない修道士になる事を望んだだろうか?


「君は君の生活に戻るといい。出来ればここに来る頻度を少なくしたほうがいい。ここは普通の女の子が、毎日通うような場所ではない」

「そういうあなたはどうして、修道士になったのよ」


 ルカはどこか寂しそうに微笑んだまま、答えはなかった。ターニャはルカに強引に手を取られて修道院の門の前まで連れられ、敷地の外に突き出されてしまった。


 午後6時になると修道院の表門は門扉を閉ざす。ターニャは今日も、何一つすっきりしない中途半端な気分のまま帰途につくしかないようだ。蔦の生い茂った修道院の古い石壁に射す西陽が、夜の世界への境界を分かっているようだ。代々の修道士、修道女達が永遠の眠りにつく昏き墓地の中に、祈りを捧げてじっと佇む修道女が閉ざされた門の奥に見える、俗世に生きるターニャにとっては薄気味悪い光景だ。


 定住の終世誓願を立てた彼らは生涯、この修道院で修道者としての道を歩まねばならず、誓願を取り消す事はできない。修道院にはターニャよりずっと若い修道士、修道女もいる。彼らは人生のある一時期におけるたった一度の決断を、終世まで完遂しようとするのだろう。


 悲壮なまでの覚悟だとターニャは思った。この場所はきっと、足を踏み入れてはならない世界の入り口だ。一度は家庭を持っていたに違いないルカを修道士へと駆り立てたものは、一体何だったのだろう? 信仰心ではなさそうだった。ターニャはルカが神に祈る姿を、一度も見たことがない。ほかの修道士、修道女たちは常に祈りをささげているというのに……。


 ターニャはシュウやルカと遅くまで話し込んでいて、修道院のある村からターニャのいる街を結ぶ最終バスに乗り遅れてしまった。普段ならばたかだか5kmほどの距離、フォトグラファーである彼女は夜道をひとりで帰ることなどどうということもなかった。むしろ黄昏の山道には格好の被写体がいたりするものだ。だが今日は少し事情が違った。


 ルカから聞いた、自然霊による凶悪事件の話が頭を巡って離れない。

 彼が深刻そうに話すものだから余計に信憑性を増す。ターニャはルカの推測を鵜呑みにはしなかったが、それが人間であるにしろ霊であるにしろ、殺人犯がまだ逮捕されずにこの近辺をうろついているという危険な状況には変わりがなかった。山道に明かりはほとんどないし、声を上げたとしても助けに来てくれるような民家もほぼない。改めてそんな状況を確認すると、ターニャはふと身の危険を感じた。

「聞くんじゃなかった、あんな話。いつもは平気なのに。何で帰る前にああやって脅かすかな」


 夜道には霊が出るなど、つい一週間前のターニャなら笑い飛ばしてしまったところだ。そんなことを信じ込んでいたのでは、野生動物写真家などつとまるものではない。だが実際に自然霊のシュウに出会ってしまった彼女は、信じないという選択肢はもはやなかった。


 霊は見えないが確かに居て、偶然出会う霊が必ずしもシュウのように内気でお人好しの霊ばかりではない。朝刊の記事によると、夜道を歩く若い女性ばかりが狙われているのだという。ターニャは25歳とはいえ殊のほか童顔であどけなく見えたし、骨格も華奢で小柄だ。実年齢より随分若く見られる上に非力に見えるので、申し分なく襲われやすいということは彼女も自覚している。


 そういえば今日は夕方から50%の確率で雪が降ると新聞の天気予報欄には書いてあったが、シュウが鬱状態で雪霊としての仕事をしていないのか、雪が降ってこなかったのがせめてもの救いだ。このまま彼が働かなければ今年の冬の降雪量が激減してしまうだろう。仕事をさぼって誰かからお咎めはないのか、などと考えると少しは気が紛れた。ターニャは足早に暗い山道を歩き、ひたすら家路を急いでいた。いつの間にか霧が出てきて、今日は恐怖心が勝っているからか山道が長く感じられ、我が家が殊更遠く感じられる。

 6時ちょうどに修道院を出たターニャは、いつにない疲労感と違和感とともに腕時計を見た。もう、2時間近くも歩いている。おかしい、修道院から家までの距離は、わずか5kmだった筈だ。普通に歩く人の時速がおよそ4kmだとしても、足早に歩いているターニャはもう家に着いていなければならない時間だというのに。山道にはいっそう濃く霧が出てきて、先ほどから少しずつ視界が悪くなってきた。それはターニャの不安を掻き立てた。


「道を、間違えたかな!」

 ターニャは、カラ元気を出しそんな言葉を口に出してみた。彼女の声は冷たい外気に触れて白い息となり、すぐに霧の中に溶けてゆく。確かに歩きながらぼんやりとはしていたが、どう思い返しても歩いてきた山道は一本しかない。途中で間違うような分岐点などなかったのだ。


 そういえば、と彼女は荒れた山道の脇を見やった。山道とはいえ彼女は歩道を歩いていて、その隣にはきちんと砂利道ではあるが車道もある。奇妙なのは先ほどから、車道には車一台、バイク一台通らないことだ。いつものこの時間帯なら、一台でも車の往来があってもよさそうなものなのに……。


 何かが、いつもと違う。

 ターニャはこの2時間の間に薄々勘付いていた。彼女は現実問題として道に迷っているのだ、一本道しかない道で道に迷った。心細くなって携帯電話を取り出し、自家用車を持っている友人に電話をして迎えに来てもらおうと思った。しかしこんな時に限って、携帯電話が圏外表示になってしまっている。ターニャは携帯を片手に、ぶんぶんと振り回し電源を入れなおしたが、状況は変わらない。


「どうして……いつもは、繋がるのに!」

 こうなってしまうと、ターニャは何かが自分の身に降りかかっているのだと疑わざるをえなかった。思いすごしなのかもしれないが、背後に何かの気配と視線を感じるような気がする。後ろを振り返ることもできず、ターニャは振り払うかのように突如山道を走り始めた。どこをどう走ったのかわからない、とにかく彼女はひた走った。重い機材を背負った彼女は5分も走ると息が切れ、走れなくなって足を止めてしまった。


 あれほど走ったのに、背後にはまだ気配を感じる。ターニャが足を止めると気配もその場にとどまり、歩き出すとゆっくりと近づいてくる。明らかに尾けられている。この頃には、ターニャはもう彼女を追跡してくるものが人間ではなく、動物ですらないことに気づいていた。ぴったりと背後に張り付くように気配を感じるが、足音がしないのだ。

「いや、……死にたくない…」

 彼女は背後に耳を欹てながら涙交じりになって、思わずそう呟いていた。後ろを振り返る勇気はなかった。振り返った瞬間に、殺されてしまうような脅迫観念に苛まれていた。



「ブラザー。どうして私が貴方を呼んだか、お分かりですか?」


 メノラー(Menorah:七枝の燭台)を灯しながら、老司教が穏やかな声でそう言った。彼女は祭壇の下に額づいたルカを見下ろした。二人の間には厳粛で張り詰めた空気が流れている。彼女こそはライザ修道会キリク(Krik)大修道院長のマリア=クレメンティナ (Maria= Clementina)、女性司教である。


 ライザ修道会の分院であるこの大修道院は、修道院としては珍しく男子修道院と女子修道院が併設されている。ライザ修道会は対自然霊対策機関としての役割を担っており、通常の修道院の組織とは根本的に異なっている。だから通常では考えられないことだが、この分院の修道院長は法力にとりわけ秀でた女性の老司教が務めている。


 彼女は赴任して以来16年もの間、キリク管区の守護者として自然霊との戦いの最前線を生き抜いてきた。彼女の法力はライザ修道会でも五本の指に数えられ、62歳となった今でも6体の自然霊を駆り現役で活躍している。銀縁の眼鏡の奥に隠された意志の強いグレーの眼差しとは裏腹に、戦いに身を置き続けることにより指先は荒れ骨ばって、積年の労苦が窺える。


 彼女は老い衰えつつある彼女の力に匹敵する優れた法力を持つ後継者を育てていた。彼女が見込んで手をかけ育て上げた4名の武装修道士の一人がルカである。経験豊富な他の3名を呼ばず入会から日の浅いルカだけが、院長直々に人払いをされた聖堂に呼ばれた意味を、ルカははかりかねた。


「いえ、お恥ずかしながら」


 ルカは恥じ入るように、背を向けた院長に頭を深く垂れた。何かライザ修道会本部から重要な決定が下ったのだろうか? ちょうどキリク修道院では人事異動の時期ではあった。修道院の分院への転属が決まったのだろうか。もし転属が決まってしまえばシュウを他の修道院に連れてゆくことはできず、手放さなければならない。


 ルカは万感の思いと大変な苦労の上で手に入れたシュウを手放したくはなかったが、修道院長の命令は絶対である。従順であることへの誓願を立てたルカは院長命令に背くことはできない。

「しかし貴方ならば、ここ数日の異変に気付いてもおりましょう。何が起こったのだと思いますか」

「シュウが何か、禁忌を破ったのでしょうか。この街に、自然霊が続々と集まってきています」

彼女は満足そうに頷いた。彼女が見込んでいただけあると、確認するかのように。


「さすがに鋭いですね、ルカ。雪霊は禁忌を破ってはいません。ただ大変に深刻なことをしてくれました。世界で三人目の稀人(Rare Body)を、偶然にも探し出してしまったのです」


「は!?」

 ……稀に生じる人、稀人(まれびと:Rare Body)は、自然発生的に人々のうちに生じる一種の特異体質だと言われている。


 この特異体質を持って生まれた人間は自然霊にとっての極上の糧となり、稀人であると発覚したその瞬間から自然霊に常に命を狙われる。稀人は自然霊に襲われなければ発見されることはない。偶然自然霊に襲われた人間が稀人だった場合、捕食をした自然霊の霊力が元の数千倍にも膨れ上がるので、瞬時に稀人の捕食が知れ渡ってしまう。稀人は発見されると同時に捕食されてしまうことが殆どで、現在、生存が確認されている稀人は世界にわずか二人しかいない。


 つまり奇跡的に生存している稀人は、自然霊に一度”喰われたが、命からがら逃げ出した”人間だということだ。稀人の存在を嗅ぎつけて自然霊が世界中から集ってくるのは、”飛躍的に霊力が上がった自然霊がいるが、数千倍までには至らない”場合だ。それは喰われ損った稀人がまだ生きているという証拠になる。


 生き残った稀人の一人は極東に本部を持つ六冥宗りくめいしゅうという道教の道士として在籍しており、左腕を失っている。もう一人はライザ修道会本部の司教で、右足を喰われ義足だと聞く。自然霊と遭遇し奇跡的に生還した稀人が自然霊の脅威と立ち向かうためには、霊能者となる他に身を守るすべがない。しかしそうやって立ち向かおうとしても結局は力及ばず、餌食にされてしまうことが常だった。だからライザ修道会では誰が稀人なのかを身内にすら一切明かさず、恐らくはマリアですらも知らされていない。味方である筈のマリアや他の修道士達の持ち霊に稀人が殺されるという事態も、それほどありえないことではなかった。


 いつもどこか眠たげだったルカの瞳が大きく見開かれ、絶望の色に染まった。

 ターニャのことだ、マリアはターニャが稀人だと示唆している。マリアは彼女の持ち霊を駆使し、霊がこの街に続々と集まり惨殺事件を引き起こす原因を調べさせたのだろう。いくら修練を積んだマリアといえど人間には霊に起こった異変を感じることが出来ない。霊のことは霊に訊けというもので、諜報活動の結果、稀人の出現が発覚したというわけだ。彼女は聖水で手を清めながら、淡々と事実を告げた。


「ルカ。衰弱して倒れていた雪霊は、ある人から血液の施しを受けたそうですね」


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