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【休載中】Savage Fairytales(外伝)  作者: 高山 理図
第1章 真夜中の御伽噺
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第4話 ライザ修道会への帰属

「そこの女性! すぐ避難して下さい!」


 ターニャに呼びかけたと思われる、男の叫び声がした。よく見ると人影は5人、みな一様に黒い修道服に身を包み、手に手に怪しげな紙束を持っている。年齢はまちまちだが、彼等がシュウを捕らえるか調伏しにきた聖職者であろうとわかった。シュウは先ほどの第一撃を危ういところで避けてあとずさり、彼等の様子をうかがっていた。修道士の一人がターニャに駆け寄ってくる。


「早く、危ないのでもっと遠ざかっていてください。おや?」

 男はターニャの首筋を見つめて、さも気の毒だといった顔をしながらあごひげをいじった。

「一足遅かったようですね……。無事で何よりですが、生血を吸われましたか」

「どうしてそんなことが分かるんですか?」


 ターニャは少々不本意だった。何だ、その物言いは……。あたかもシュウがターニャを襲うものと決め付けているような。彼は人に悪疫を齎す霊ではない。彼は心根の優しい霊だ、少なくともターニャはそう感じた。他と一緒にしてほしくない。


「こちらは本業ですから」

 一体何の本業だというのだろう。彼は、ターニャに、この場を離れてすぐに帰るようにと言い残し、彼らはシュウと正面を切って向かい合った。彼は万全ではない腹部の傷を気にしているのか、落ち着かない様子で白衣を整えている。男達はじりじりと間合いをつめて、彼の方に歩み寄った。男は優しい声色で彼の警戒を溶かすように語り掛けた。

「随分、捜したぞ。雪霊のシュウ」


 シュウはまるで蛇に睨まれた蛙のように、萎縮してしまって返事も出来ない。そしてターニャにも、彼がこの男たちに何か惨い事をされるのだと分かった。だがあまりに突然の出来事に面食らって、どうしてやることもできない。


「無益な争いは好まない。抵抗しないなら、決してお前を傷つけはしない。大切に扱う事を約束する」

 男は短冊のような赤い紙束を彼の前にちらつかせた。呪符か何かだろうか、彼は怯えている様子だ。霊に脅しをかける道具なのだろう。

「さあ、どうするね」

 男がじれったそうに決断を迫る。


『もう構わないで。どうして自由にしていてくれない』


 彼は月光の中、搾り出すように答えた。逆光でよくわからないが、ターニャには彼が泣いているようにも見えた。シュウにとっては踏んだり蹴ったりの一日だ、だから少し体調が回復するまで外に出るべきではなかったのに……。


 彼の答えに、男達は迅速に反応した。修道士達は円陣を作って、手にしていた赤い紙束を彼に向かって目にもとまらぬ速さで次々と繰り出す。束になっていた紙は一枚一枚に飛び散って、四方八方から襲いかかった。彼はその殆どをかわしたが、避けられなかった一枚が彼の左足首に張り付いた途端、シュウの左足は動かなくなった。


 ターニャはうろたえながらも為す術もなくただ見守ることしかできない。男達はなおも攻撃の手を休めず、畳み掛けるように紙束を投げつけている。彼の脇腹に、また一枚の紙切れが張り付いて自由を奪う。


 執拗な攻撃に、シュウはとうとう反撃にうって出た。掌底を勢いよく修道士に向けて突き出すと、彼の放った気圧は吹雪と化し激しく男達を打ち付け、正面より襲い掛かる。吹雪は例外なくターニャにも襲いかかり、彼女は猛烈な風圧に吹き飛ばされ雪上に倒れた。カメラや写真の道具類があらん限り飛び散って、瞬時に凍てつく。シュウはわれにかえって悲鳴をあげ、足を引き摺りながら彼女の方に近寄ってきた。


『ああっ……!』

 ターニャは雪の中に埋もれ、頭が冴え渡っていた。そしてとめどなく泣けてきた。シュウはターニャを傷つけないよう、ほとんど反撃をしなかったと分かったからだ。小さな青白い手が彼女の肩に添えられ揺さぶられた。シュウは一生懸命にターニャを呼び起こそうとするが、摩れば摩るほど低温が彼女に伝わり余計に熱を奪われる。


「もうやめろシュウ! その人を傷つけるな!」

 彼が泣きながら彼女を気遣うのを見て、修道士が彼を引き剥がし、ターニャに毛布をかけてくるんだ。


 ターニャはいくらか寒さもおさまり血の気が戻ったので、彼は悔しそうにうなだれ、へたりこんだ。男達のリーダーのような者が打ちひしがれたシュウの背に、白い符をそっと貼った途端、シュウは力を失って雪上に倒れ粉雪が舞い散った。動けなくなったシュウにも毛布がかけられて抱きかかえられ、運ばれていった。


「お前が人に近づけば、そうやって人を傷つけてしまう。だから正しく使われなければならないんだ」

 彼女はあわや凍傷になりかけたところを修道士らに介抱され、彼らの乗ってきたジープに乗せられて、寂しげな場所に連れて行かれた。そういえば街の外れに大きな修道院があったことを、ターニャは思い出した。なじみのない場所だったのであまり近づかなかったが……。


 修道院の白熱電球の落ち着いた照明のある部屋で、毛布を何枚も重ねた寝床に寝かされ、湯たんぽももらった。石油ストーブの上で沸かした湯で淹れた温かい茶を与えられた頃には、凍えていた指先も動くようになってきた。


「災難でしたね。自然霊につかまるなんて」

 剃髪した男に声をかけられて、彼女は複雑な気持ちになった。彼等がやってくるまで、ターニャは少しも災難だったとは思わなかった。彼女はシュウと過ごして楽しかったし、彼の見せた格別な光景を写真におさめていた。

 フィルムはどうなっただろうか、凍り付いて使い物にならないかもしれない、いや、それよりシュウはどこだ? 辺りを見回すが、そこには居ない。彼女の寝かされた部屋は、生活感がある。ターニャは現実に戻ってきたのだと思った。


「あの子は?」

「あの子とは?」

 男は白々しく訊き返す。

「ほら、あなたたちが、さっき捕まえた」


「あれは子供ではありませんよ。霊なんですから」

 彼女は苛立ちながら茶を飲み干した。男は飲み干したカップを片付け、今度は彼女にスープを作ってスプーンをつけて差し出した。

「ど、どうも」

「あれはここで使います。しつけて、飼い馴らします」

 美味しそうな湯気をたてていたので、ターニャはスープをいただいた。改めて男を観察する。まだ20代ほどの、下働きの修道士のようだ。黒い修道服を着たまま、どことなく威圧感がある。介抱を言いつけられているのだろう。


「飼い馴らす? そんな、家畜じゃないんですから。いくらなんでも」

「家畜だとは思っていませんよ。修道士の大切なパートナーです。私どもの仕事をご存じですか」

 彼女が首を振ると、やはりという顔をして溜息をつかれた。


「いかがわしい事をしている訳じゃないんですよ。あなたも今なら信じてくださるでしょう。この世には善意の霊と人に悪疫をもたらす霊がいるのです。その悪霊を駆逐し、人々の安全を確保するというのが手前どもの仕事です」

「けど、彼は悪い霊ではありません! 私、彼と色々話をして……全然迷惑なんかかけられてませんから!」


 彼女は彼の良心を代弁してやりたかった。シュウは彼女を襲おうとはしなかったし、血を与えたのもこちらが申し出たからだ。迷惑を被ったとは思っていない。


「ええ。勿論あれの思うところは理解しています。あれはまるきり悪霊ではない。そういう霊は管理しつつ、人の役立つように使えば、あれにとっても善いでしょう? あれは人を傷つけたくないという考えなのですから」


「どのような躾をされるんですか? まさか力づくで? 児童虐待だってユニセフに言いますよ!」

 捕らえたばかりの子供の霊を虐待しているのではないかと心配する彼女に、若い僧は苦笑した。


「ユニセフが一般人には見えない霊のために動きますかな。幸い、あれはこちらの言う事が解る比較的知能の高い霊で、話して聞かせるつもりです。根気よく話せばそのうち理解してくれるでしょう。こちらとしても、出来れば大切なパートナーを痛い目にあわせたくない」

 男は彼女を刺激しないように気をつけながら説明した。


「とにかくっ! 彼に会わせて下さい」


 彼女は彼がどうなっているのか一目見ないではいられなかった。男達の言い分もわかる、彼が危険だという事も承知している。現に彼は過去に殺人を犯しているのだ。男達の立場も分かるが、人々の幸福の為に彼ひとりが不幸になるのだけは許せなかった。男はターニャを分からず屋だと思ったのか溜息をつくと、体調の回復を待って必ず会わせましょうと言った。ターニャは体調はもどっているからと強く申し出て、遂に男を動かした。


 ターニャは若い修道士に追従して修道院の寺院のような場所を通り過ぎ、長い石造りの廊下を足音を軋ませながら歩く。廊下つきあたりの倉庫の扉を開いた。倉庫の奥にはさらに小さい物置のような引き戸がある。

 彼は行灯を手に持つと、扉を開いて中に入っていった。物置の中は蝋燭が寂しくともっており、殆ど暗闇だ。彼の身長が急に下がった。階段を下り始めたのだ。石畳の湿った階段を地下に向かう。どのくらい下っただろう。


 光が差し込んでくる。蝋燭のかすかな光だ。扉の入り口には修道服を着て、髭をたくわえた大柄の男が立っていてターニャを睨んだ。地下に開けた部屋は意外に広く、怪しげな道具とともに、狭い檻が壁一面に30程あった。


 檻の中には、影のような物体が一体ずつ収監されていた。それが何なのかは、ターニャには想像もつかない。人間のような姿をしているものもあれば、動物のような猛獣のような姿のものもいる。異様な光景に言葉を失っていると、男はそのうちの一体を見せながら、


「悪霊たちです。数々の悪行を働いたものも、当修道会が管理する事により有益に使われています。当修道会は彼らのような悪霊も、従順に躾けて社会に役立てています」

 と口上を述べた。彼らは皆、首枷のようなものを填めこまれており物も言わないが、恨めしそうに彼女を見上げる霊もいた。


「彼らは、悪い事をしたんですか? ほんとに?」


 ひょっとすると彼らは、追い詰められていたのかもしれないではないか。何か事情があって悪行を働いたのかもしれない。シュウがそうであるように。50m四方ほどの地下室に8人の修道士がいて、一つのケージを囲んで何か話し合っている。


「それです」

 修道士らはターニャに気付き、気の毒そうな顔をして彼女の入るスペースを作ってくれた。直径1メートル、高さは1.5mほどの檻の、間違いなくその中にシュウはいた。彼はターニャに気付き、檻の中から見上げた。


「ひどい……」

 彼の首には他の悪霊たちと同じように、既に修道士たちに囚われた証の首枷が填められていた。彼女は彼に手を差し伸べ、ケージの中に差し入れて白銀色の頭をなでてやった。ひんやりとした柔らかい感触は彼女の家で触れた時のそれとかわらないのに、さらに冷たい首枷が彼の首で重たそうに金属音をたてていた。


 肩から腕は、細い鎖で何重にも縛られている。鎖はきつく食い込み、ぎちぎちと音を立て見るからに痛そうだ。シュウの肌にはじかに彼を苦しめる呪符のようなものが何枚も貼られていた。


「どうしてこんなことを、こんな小さな子にできるんですか! 幽霊だからって、まだ子供なんです! それにちょっと前まで怪我しててまだ痛がってるのに」

 ターニャは訴えかけたが、誰も応じるものはない。


『ごめんなさい。傷つけてしまって』

 シュウは澄んだ瞳にいっぱいの涙をためながら、彼女に謝罪した。彼らがそうしろと強いたのだろうか。ターニャが痛いと感じたのは、肉体ではなかった。どうして彼はそんな目に遭いながら、まだターニャを気遣ってくれるのだろう。男達が彼に何か入れ知恵をしたのか、洗脳をしたのだろうか。しかしそうではないことを、ターニャは知っている。これは彼の、心からの気遣いだ。


「いいんだよ、そんな事……」

『あなたを傷つけてしまって解った。だから僕は捕まるべきだったんだ』

 否定的な言葉が繰り返される。シュウにかける言葉が見つからない。彼はもうターニャを見てはくれなかった。今のターニャでは……きっと彼を救えない。


「シュウ」

 たしなめるように、この場のリーダーと思しき修道士が彼を呼んだ。彼はシュウと呼ばれて、一応人格は認められている様子だ。シュウは窮屈そうに身をかがめて、ケージに肩をもたせかかった。無益な争いを嫌っているのか、それとも痛むからか、抵抗する様子はない。


『僕の事は、もう忘れて。最後に出会った人間が、あなたみたいな人でよかった』

 彼はそんな言葉を残して力尽きた。涙が小さな頬を伝って真珠のように凍りながら落ちてゆく。修道士らも辛そうにそれぞれ俯いて、一人、また一人とその場を去った。あとにはターニャと、修道士のリーダーと思しき男が牢の前に残った。彼は牢の中の少年霊に語りかけた。


「わたしはお前を牢に押し込めて、自由を奪おうとは思っていない。苦しめたくもない。お前は優しい子だ……この人のことが心配で、逃げることもしなかった。そうしようと思えば、お前ひとりだけでも逃げられたのに」


 彼はシュウがあの場から逃げなかった理由を、見抜いていた。そうしようと思えばいくらでもチャンスはあった。だが……ターニャを置いて、ひとりで逃げるわけにはいかなかったのだ。修道士たちがターニャに何をするかと気をもんで……。彼は否定した。


『……関係ないよ』

「そうか……」


 彼はシュウが抵抗を諦めたと知ると、ケージの扉を開き、シュウを戒めていた鎖をほどく。寝床として柔らかく新しい藁をたっぷりと与え、毛布でくるんでやった。とりわけこの修道士の言動には、彼に対するささやかな思いやりがみえた。


「疲れただろう。もう寝なさい。目が覚めたらお前の新たな道が見出せるだろう」

 彼を安心させるように優しく肩をたたくと、ケージの扉を閉めて鍵をかけた。やがて毛布の中から彼のすすり泣くような声が聞こえたが、暫くすると何とか寝息に変わった。修道士はそれを聞いてほっとしたような顔を見せた。


 ひとつの仕事を終えた彼の表情から厳しさが消えてみるみる穏やかになり、どこにでもいるごく普通の青年のようだ。


「この子は悪い霊ではありません。ですが世界に一体の珍しい、貴重な霊です。世界中の霊能者に狙われ、彼は既に自然界から追放され命を狙われ続け、仲間もありません。彼にはああ言いましたが、彼を捕らえることは、彼を保護することでもあります。あなたは今日の出来事を誰にも口外しないでいただきたい。世界中がこの子を狙っています」

 

 彼は小声でそう説明した。先ほど会った若い修道士の言葉と、こちらの修道士の言葉。どちらが本音なのだろう。前者は彼を道具として使うために捕らえたといい、後者は彼を保護するために捕らえたという。彼は修道会の表向きの方針にそむいている。

「黙っています。ですからここに会いに来てもいいですか?」

「ええ、構いません。彼も喜ぶでしょう」

 

 この修道士の名は、ルカ=ヴィエラといった。

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