第25話 ある一夜の背徳
ターニャの携帯に届けられた、件名がデルタのウォルターからのチェーンメール。添付ファイルは勝手に展開され、画面の中に現れたのはJPEG符だ。何の変哲もなかった携帯そのものが、デジタル符へと変貌を遂げたのだ。そしてそれらは、アナスタシアとルカの携帯に情報として転送されている。
「これ、コピペ量産できるんだ!」
けしからぬ用途を思いついてしまったに違いないな、とルカは呆れるが注意する余力はない。
「君にはもっと危機感を持ってほしいもんだよ! ……ということは、ウォルターの加勢が入ったのか。で、それをどうにか使えないか?! 早く!」
土隷からの土礫の猛攻を静杖で切り裂くように防御しながらルカが叫ぶ。法力によって簡易的に結界を張ってはいたが、こうも質量が大きいと負荷も尋常ではなく、法力を使い果たすのも時間の問題だった。相手は霊族長、人間の相手になるようなものではない。
だが、ルカは呪術の常識を打ち破るそのアイデアに、驚愕させられてもいた。
「そんなどうにかってルカさんの方が詳しいのに! こ、こう?」
ターニャは要領が分からないままに、携帯から発射されたレーザー光を土隷に向けてみた。するとレーザー光に触れた土隷は瞬時にして蒸発し、零れた光は巨大な土隷のゴーレムをも包丁のように切り裂く。そしてそのビーム出力の強弱は、受話音量ボタンで調節できるようだった。
「ちょ、ちょちょ、なにこれ!」
「おおっ!」
土砂により構成されたゴーレム状の土隷は物理攻撃の前にも容易に流体となり、集合し融合、再生を繰りかえしていたが、レーザーによって切り裂かれた場合は再生しない様子だ。
「ただのレーザーじゃなさそうだぞ」
一筋の希望の光が差してきた。
「へえ、これは興味深い。恐るべき霊力が込められていますが、修道士屋さんのものです? 後ほど、交渉とまいりませんか。携帯ごと買い上げますよ」
ウォルターから送りつけられてきた代物とは知らない、ボディスーツの少年が物欲しそうにJPEG符とそこから発生するレーザーなるものに視点を定めている。交渉次第では、それなりに利害関係が釣り合いそうではあるが、ルカはその姿勢が気に入らない。
「世の中金で何でも手に入ると思ってたら、いい大人になれないぞ」
「修道士屋さんは世捨て人なのでしょうが、こちらは世俗に生きていますので」
「子供が何を言ってるんだ」
携帯は三台。アルトラを三角形で囲いこんでレーザービームの中に捕捉し一気に片を付けたいのだが、地面がアルトラのパワーフィートによって抜けているため足場はひとつに限られる。ルカ、ターニャ、アナスタシア、そしてボディスーツの少年少女らはシュウのこしらえた雪板の上にいるので、一つ処からはアルトラを囲むことができないのだ。
「で、でも足場がないから無理じゃない?」
「なるほど、ポジショニングが重要だな。ん、待てよ」
ルカも渋い顔をしつつも、色々なところに目を配っている。
「あ、私の携帯電池切れそう」
三人の携帯は小指ほど太いレーザー光が相当な光量で吐き出されている。こんなにレーザーを放っていては、電池があと10分ともたない。ちなみにレーザー光を吐く機能など、何度も言うようだが携帯にはもともと備わっていない。せいぜい、赤外線通信ができる程度だ。この状態がすでに尋常ではないのだ。
「おいおい。携帯はいつも充電満タンにしといてくれよ」
ルカは今となってはどうしようもない冗談を飛ばしターニャの不安を和らげつつ、次の一手を考えている。
「シュウ、同じ霊族長のきみには雪隷なんてのはいないのか」
『いることにはいるけど』
引っかかりのある様子だった。
「何でもいいから四の五の言わず出してくれ」
こちらも負けじと、雪隷を召喚してはどうか。ルカの提案にシュウは一瞬渋い顔をした後、示針を一振りすると。何とも場違いでメルヘンでファンシーな光景が繰り広げられた。
帽子をかぶった大小無数の雪だるまが彼の周囲にずらりと現出し浮遊しているのである。雪だるまはマフラーを巻いていたりもするし、人参の鼻がついていたり、ベストを着ていたりと愛嬌のある姿だ。雪だるまたちはもごもごとうごめくと、体をゆさぶったりしている。
「ああ、今まで出さなかった理由が分かった」
ルカはそっぽをむきつつ、その実笑いをこらえている。それだけ見ればアナスタシアが連れて帰りたくなるような愛くるしさだが、幸いなことに、アナスタシアは見る余裕もなさそうだった。
『地縛されていた低俗霊だ。たまにくっついてくるんだよ』
雪だるまの霊が特にシュウにばかり濡れ落ち葉のようについてくるのは、雪霊がシュウ一体しかいないからだ。彼とともに世界中を旅し、思いを果たすと雪溶け、天国に還る。
「そいつらで土隷を相殺できないか」
『……うん、わかった』
シュウは気乗りしない様子だったが、諦めた様子で雪隷をけしかけると、雪だるまは雪片へと崩れ、土隷へと衝突してゴーレムの胴体に大きな風穴を開ける。結晶が砕け散るような破裂音をその場に残し、シュウの霊力に誘われ無限に湧き出る雪隷たちは、肥大化した土隷の凝集塊を確実に相殺してゆく。自爆した雪隷は飛び散っても数年という時間を経てまた雪隷へと戻るため、厳密には自殺を命じているわけではないのだが、雪隷をただの時間稼ぎや駒のように使うやり方は、シュウはあまり好みではなかった。
「うおっいいぞ、押してる!」
だがどうやら数の多さでは雪隷が上回っているらしく、土隷の湧き出る速度より消滅速度が速い。地球全土の雪隷が一種一体の霊であるシュウに従属されるのに対し、土隷はアルトラだけに従属しているのではなく各地に分散しているため、数の差は歴然としている。
「おお! アルトラ本体の防壁が崩れた。シュウ、アルトラの精令殻はどこにある!?」
『以前は額だったよ。変えられないから、今も同じだと思う』
「そうか。なら決まりだ」
マダム・アルフォンシーヌの大容量放電まであと5, 4, 秒と迫っている。
「携帯借りるぞっ! 壊れても恨みっこはなしだ」
何を思ったか、携帯三台をターニャとアナスタシアから奪取したルカは背後を振り向き、簡易に省略した聖句を諳んじつつ、静杖を大きく振り回し正円の中に十字型防御結界を展開する。防御結界は絶縁構成が主であるが物理遮蔽はせず、あくまで霊の攻撃に備える特殊な防壁だ。もちろん、アナスタシアやターニャには見えていない。
”全能なる主よ、堅牢なる盾にて彼らを守り給え”
ターニャとアナスタシア、悪霊払いの子供たち二人を守るためのもので、彼は結界の守りに含まれていない。ターニャたちの前に赤く輝く二本のクロスは、神の危うい庇護を証していた。ターニャは絶叫する。
「ルカさんは!?」
「いいから耳ふさいで伏せろ!」
ルカは背後も見ずターニャとナースチャに乱暴に指示を飛ばすと、レザーバッグから一掴みの白い聖符を乱暴に取り出し、それで包み込むように三本の携帯を束ねる。
2, 1……0
シュウの冷却によって増幅されたマダム・アルフォンシーヌの最大放電までのカウントがついに終了した。
ルカは直感に導かれるように最大出力に調整した携帯のビームを三本束ね、落ち着いてアルトラの額に照準を合わせる。ビームは一直線にアルトラの額を穿ち、そして…… ビームラインに沿って収束した、可視できるほどに禍々しい呪力がアルトラの精令殻を貫通し四肢の自由を奪った。
動きを止めた巨大獣。
ルカが半信半疑で打った手だが、これほどまでに効果を発揮するとは目を疑う。何故なら、手負いでもない限り霊族長クラスが簡単に動きを奪われた事例は過去にないのだ。
「こんなにいともたやすく霊族長が……どんだけの呪力が込められてるんだよ」
神の威光に与り出力される修道士の法力、それとは真反対の呪力がかくも威力のあるものなのかと、ルカは戦慄をすら覚える。ウォルターという男の使う呪術が、シュウの言うように何か自然霊を超越した根源的な暴力であるような気が、確かにしないでもない。
アルトラのカッパ―メタリックの外殻が呪力によって溶かされて黒く焦げ、強度限界に達したらしく、爆発音と共に額に黒煙が立ち上る。黒々強い液体が飛び散り、頭蓋内にルビー色の発光が出現した。確実なその手ごたえは、ダメージが精令殻に届いていると見えた。
「見えた!! 雷霊、たたみかけろ!」
『よろしいのですか。ではまいりますよ』
雷霊、マダム・アルフォンシーヌは白塗りの仮面を外し、照準を見定める。薄く、上品な微笑みを浮かべる金眼の美女精霊の顔が仮面の下から現れた。その人間離れした純然たる美に、彼女の素顔を見た誰もが魅了されてしまっただろう。
感情に乏しい、いわゆる一般的な自然霊であるアルフォンシーヌはルカの安全を気にかけない。グレーテルと呼ばれた少女が予め与えていた命令を愚直に遂行する形で、チャージを終えアルトラに向け迷いなく両手をかざす。シュウの絶対零度下では、アルフォンシーヌの雷撃は超伝導状態からの大電力放電となる。好条件は揃った。
空気を切り裂く轟音と閃光とともに、アルフォンシーヌの両手にプラズマが集まり、寸分の狂いなく目標に放たれた。
衝撃の反動でアルフォンシーヌはわずかに飛び下がり、ルカの持つ携帯のビームラインに沿って実に数億ボルトクラスの放電が起こり、精令殻は直撃を受ける。
いわゆるレーザー誘雷の原理を応用したものだ。精令殻は不死身として知られる自然霊の心臓ともいえるものであり、力の源である。いかに強大な霊力を持ちえた自然霊も、露出した精令殻を傷つけられてはひとたまりもないのだ。
ウォルターのJpeg符、シュウの絶対零度圏、そしてアルフォンシーヌの雷撃の相乗効果は覿面だった。
土隷は消え失せ、微動だにさせず、アルトラに反撃の糸口を与えない。
アルトラにクリティカルヒットを与えた代償に、雷撃の数パーセントはレーザーのガイドを逆流するように確実にルカの手元に跳ね返ってきたが、携帯に巻きつけていた聖符がアルフォンシーヌの電流と呪力をある程度緩衝してくれる。しかしそれは耐久性に乏しく、聖符は内側から朽ちてゆきルカの掌に火傷が及んだ。
「ぐっ……!」
ルカは電撃に耐え、苦痛をかみ殺す。
手を離してしまえば、アルトラは一度逃亡し態勢の立て直しを図るだろう。稀人たるターニャの為にも、そしてこの街の人々の平和の為にも一度きりのチャンスを逃してはならないというルカの壮絶な思いは痛みに勝り、その手がアルトラの額の照準からぶれることはなかった。迸る閃光、断末魔の咆哮ともとれるアルトラの唸り声の中、やがて携帯に巻きつけていた聖符は蒸発し、ルカは素手で雷撃を受け止める。生々しく彼の両手の肉の焦げる音が、ターニャの耳には聞こえている。
「ルカさん! 手が!」
ターニャがルカの守りの結界の内側から叫ぶが、ルカはやめない。ルカは極限の精神状態の中で、全身をスパークさせながら掠れた声で途切れに叫ぶ。ルカは体幹部に防護符を貼ってはいるが、それでもダメージは深刻で踏みとどまっているのでやっとだ。
「っ、雷霊! 手ごたえは……ある! 二撃目を……早く用意してくれ!」
『ほほ、辛そうですね。同じことをすれば死にますが、よろしいので?』
「……」
アルフォンシーヌは唇をきゅっと結ぶと、手加減なしで再度のチャージを始めた。ルカの沈黙を、肯定の意ととらえたからだ。グレーテルからの指示がなくとも、特に子供たちの不利益にならないことには加担するのがアルフォンシーヌの信条だ。
『その必要はないよ』
均衡を破ったのは、ぞっとするほどに冷徹な、感情を欠く声だった。と同時に、陶器が砕け散ったような尖った音がターニャたちの耳朶を打つ。シュウがアルトラの背後に回り込み、示針を至近距離から力任せに投げ放ち精令殻を物理的に破壊し、更に間髪入れずアルトラの精令殻の破片を絶対零度圏で圧滅してしまったのだ。ターニャたちはシュウの挙動を目に収めることすらできなかったが、その機械的で迷いなく、ルカは余りに手慣れた彼の行動に面食らった。
精令殻を失ったアルトラの固有結界は同時に破られ、そのメタリックに輝く巨躯はどす黒く色褪せ、額から醜く崩れてゆく。やがてその破片は乾いた流砂へと変貌し、さらさらと昏い奈落へと崩れていったのだった。
轟轟と渦巻く煙幕のような幻影が去ったあとには、キリクの夜の街並みの静寂の中で気抜けしたように立ち尽つくす、あるいはへたり込む、明らかに堅気ではない一団が取り残されていた。
「大丈夫か、ターニャ。サルビアも」
「ありがとうございます、ルカさんこそ。手が!」
サルビアはターニャの髪の毛の中に隠れてまだふるえていた。ターニャが見たルカの両手は血にまみれて真っ赤に爛れ、ともすれば筋肉の層にまで火傷が及んでいるようだった。
「ああ、まあ何とかこの程度で済んだよ。シュウがとどめをさしてくれたしね」
それにしても、修道士がまるきり呪術に頼るなどとは褒められたものではないな、とルカは反省する。シュウのポテンシャルの高さに釣り合わず足手まといになるというのなら、実力差を少しでも埋めなくてはならない。シュウに直接手を下させてしまったことは、ルカの信条に反した。ルカはアルトラを殺害するつもりはなかったから。
精令殻は人間には破壊できないものだ。それを破壊したということは、自然霊の関与を疑わせる。
シュウがアルトラの精令殻を破壊してしまった以上、シュウがアルトラを殺害したという罪を負ったということになる。シュウはアルトラが雪霊ソフィアの敵でソフィアが一方的に虐殺されたと言っていたが、その事実は霊社会に知られてもいなければ証明されてもいない。よってアルトラは自然霊社会にとって、特に忌まれている存在ではなかった。ルカはシュウだけを悪者にしてしまったのだ。無実の霊を殺害したとあれば、最悪、ブルータル・デクテイターと同等のレッテルを貼られてしまいかねない。
その事実はいつか霊社会に知れ渡ることになるだろう。
そのことがシュウを霊社会に復帰させるに妨げとなるであろうことは明らかだった。
ルカはシュウを万理として、人と霊が平和に共存できる世界の構築を目指している。そのためにはシュウに霊社会の禁忌を犯させてはならない。しょっぱなから、うまく立ち回れなかったのだ。
「ちょっと、シュウ。精令殻を壊したら、報酬がもらえないんだけど」
グレーテルがシュウに見当はずれな文句をつけていたが、シュウは無視を決め込んでいた。
「ともあれ、お疲れさま。営業はまたにして、あらためて雪霊のシュウをいただきにくるわ」
少年少女たちはそんな不吉な捨て台詞とともに一枚の名刺をその場に残すと、アルフォンシーヌと共にどこへともなく去っていってしまった。
ルカは痛む両手を庇いながらも後始末としてアルトラの通ったノードを消去し痕跡を消し、アナスタシアを背負い帰途についた。ターニャは何とか自分の足で歩けたが、サルビアと共にほぼ放心状態である。彼らの携帯は三台とも、ものの見事に黒焦げになってしまっており、Jpeg符の痕跡は消えてしまっていた。
シュウにとってもルカにとっても、そしてターニャにとっても。
何とも後味の悪い一夜の出来事だった。
大変お待たせいたしました。一年放置とか…すみません本当にすみません。
リハビリしつつ、こちらも暇をみてぽちぽち書いてゆこうと思います。これからもよろしくお願いいたします。