第22話 弊社はゴーストバスターズではありません
ターニャはアナスタシアの300mlの聖水のほかに、一つだけ武器を持っている。それは彼女の言霊だ。だがウォルターの忠告が頭の中を掠めてゆく。
わかっている。言霊を使うたびにバイタルをすり減らし、生きた人間から死者へ近づいてゆくのだということ。だが、今日という今日だけは仕方ない。さもなければ今日がターニャほか二人の命日となる。携帯電話は役に立たないし、ルカとシュウとの連絡手段は断たれた。逃げることはできず、助けは来ない。
せめてこのあまりに巨大な相手を知る必要がある。雰囲気と霊力の強さ、また、ルカに聞いていた話からして地霊長 アルトラなのかと思うが、名を知らなければ言霊は使えない。サルビアを巻き込んで殺害しないためにも、対象を絞り込む必要がある。サルビアはまだターニャの肩に乗っている。
「サルビアちゃん。あの霊の名前を知ってる?」
『どうしようターニャ……地霊長 アルトラ(ULTLA)だよ!』
平時は人の姿に擬態しているアルトラだが、本性は怪物じみている。念願の稀人を喰らうとあってか、擬態も忘れて興奮しているのだろう。アルトラに見つかってしまったからにはターニャもサルビアもアナスタシアも殺される。
持ち場を離れたスプライトが自然霊に抹殺されるのが自然界の掟というのは前述のとおりだ。サルビアが最初に見つかったのが雪霊のシュウだったから運よく見逃してもらえた。シュウは追放されているからか、一種一体の霊族長であるにもかかわらず自然霊の掟を堂々と破っている。
だが依然として現役の霊族長であるアルトラはそうはいかない。加えて彼は人間を塵芥程度にしか考えていない、非情な性格だ。サルビアも完全に諦めてしまう前に、死を覚悟する前に何か一つでもできることはないかと考える。自分の身はいいから、せめてターニャだけでも……。
スプライトが格上の自然霊に牙をむくことは……いくらその心意気があったとしても霊力差のために不可能だ。寄生することしかできない花霊と、地上の全大陸プレートを掌中におさめる土霊の霊族長では勝負が見えている。地霊アルトラの弱点は水だといわれている。大量の水で霊体の結合が切れるからだ。だが、大量の水でなければ効果は期待できそうにない。何かしたいが、まともにぶつかっても勝算はない……しかし。
『そうだ、水……ターニャ、あの聖水っ! アルトラの目を狙って!』
サルビアは先ほどアナスタシアが持っていた聖水の入った瓶を思い出した。あれを……たとえばアルトラの目を狙って浴びせれば……失明ぐらいして不意をついて逃げられるのではないか。聖水は作られてからの期間と、聖水に込められる法力の強さ如何によって効力の強弱が決まる。アナスタシアは由緒正しき大聖堂の聖水だと言っているので、それなりに強い効果が期待できるのではないか。
「ナースチャ、さっきの聖水かして……!」
思考停止して硬直したアナスタシアから、ターニャは彼女の腕からバッグを奪い取る。バッグに指を差し入れれば丁度よく手がビンに触れる。アナスタシアの聖水は300mlがいいところか。聖水の残量からいって外せばあとはない。
そうだ。チャンスは一度きり……アルトラの顔を目の前ギリギリに引き付け、目を狙って聖水を浴びせ同時に言霊を発すれば。問題は聖水を最も効果的に浴びせられる間合いを計らなければならないということだ。ターニャは戦闘のプロでも何でもない素人なので、狙った通りに的に当たらない可能性もある。それどころか、ビンからうまく聖水が出なかったら……などと考えると怖くなって身がすくむ。
だがどうせやるなら言霊だけは、しくじらないようにしなければ……。ターニャは緊張のあまり再び唾を飲み干した。
「でも! 私を食べたら! ウォルターに殺されるんじゃないの?!」
ターニャはアルトラの前で無力な人間として最後の悪あがきを装いながら、声の調子を整える。言霊を発するにはそれなりに声量がいることがわかっている。腹の底から出して、相手に投げ放つように……ウォルターの話を聞いて以来言霊を使うことは自重していたが、言霊を発する感覚を思い出す。
『なに……』
アルトラはウォルターという言葉に僅かな反応を見せた。ビクン、と前足を僅かに引く。ああ、やはりウォルターの名は自然霊の中でも相当な知名度を持っているらしい。自然霊のシュウをしてウォルターの強さは神がかっている、ブルータル・デクテイターですら敵わない、別格だと言わしめるだけのことはある。
『どこで聞いた話か知らんが、この領域内からウォルターは呼べまいよ』
アルトラは、稀人を完全に喰らえばウォルターをも凌駕する力を得られるものと信じ込んでいるようだった。悔しい。携帯電話の電波が届けば、シュウやルカも、ウォルターだって呼べたのに。自然霊の作る空間の割れ目……結界に入ってしまうと、よほど霊能力に長けた者でない限り外から見破るのは困難だ。
ターニャが小瓶に入った聖水を武器にアナスタシアから離れ、一歩、また一歩とアルトラに近づいていた、まさにそのとき……
ターニャの背後から、突如としてそれは起こった。
耳を劈く落雷音がして、ターニャの視界がホワイトアウトする。
ターニャに認識できなかったこのわずかな間に起こった出来事はサルビアが目撃した。丸太ほども直径のある光線が霧の渦巻く結界にターニャの頬のすぐ傍を掠めるように外部から撃ち込まれ、唸りをあげアルトラの腹部に命中したのだ。青い光条は霊体を霧散させる矛となりアルトラを穿ったまま吹き飛ばし地に叩きつける。アルトラが墜落した途端に激しい地響きが起こりアナスタシアとターニャは風圧に煽られ、その場に倒れ込んだ。
腹部を撃ち抜かれ風穴を開けられたアルトラにさらに、青い電子の鎖のようなものが襲い掛かり、稲妻によって拘束されている。アルトラの強力な結界が綻んで霧が晴れ上がり、キリクの夜の街路が現われる。傷口から噴き出したどす黒い体液を街路樹に浴びせかけ、樹木を酸のように腐食させていた。急転直下の出来事に何が起こったのか、ターニャはにわかに理解できない。
ターニャの背後から人のものと思われる二人ぶんの靴音が聞こえる。振り返り、そこにいたのは……
「間に合った! 助けにきましたよ!」
「怪我はありませんか!」
てか、誰!?
轟々と渦巻く土煙の中から颯爽と現われたのはシュウでもルカでも、そしてウォルターでさえなかった。
突如現われた怪しい二人組。
彼らはタイトなメタリックの光沢のある黒い全身ラバースーツの下に肌を隠し、先ほどの光線からの防護用と見られる黒い暗視スコープのようなヘッドギアをつけている。彼らの腰にはメカニックに凝ったグレーのベルトを二重に巻き、七色に輝く金属製の防弾チョッキのようなものを着ている。
少女は肩にSF映画に出てくるような巨大バズーカを抱え、少年は宇宙飛行士のそれかと見まがうような大きな白いバックパックを背負っている。どこの近未来からやってきたソルジャーかレンジャーですか? そうつっこみたくなるコテコテのSF的コスチュームだがそのスタイルと声から、全身ラバースーツの彼らはまだティーンエイジャーの少年少女とみえる。
「ど……どちらさまですか!?」
「……荷電粒子砲、(チャージド・パーティクル・キャノン:Charged Particle Cannon)。ちなみに只今の出力は、2000GWでしたね。出力が大きすぎることが課題だな」
少年、と思しきラバースーツの人物が腕時計のようなものを見ながらコメントを述べる。
荷電粒子砲? 電子で霊を吹き飛ばすとは……。
少女はかがみこみ、金属のキャリーケースから出したバッテリーを取り替えている。一発撃つだけでバッテリーを破壊してしまうほど相当な電力を消費するらしい。ああ、何かよくわからないけどこの子たちに電気を与えちゃだめだ! ターニャはこの後の展開に眩暈がする。ところで、あれほどの膨大な電力はどこから供給されていたのか……ターニャが疑問に思ったところで、少女が指先を天に向けた。
「マダム・アルフォンシーヌ(Alphonsine)! 第二波を。チャージ、30秒前」
マダム・アルフォンシーヌと呼ばれた何者かは、ターニャの背後ではなく上空に浮遊していた。
ゴールドと白の中世風のアンティークドレスを着て、豪奢なネックレスを幾重にもゴージャスに巻いた女性の霊が見える。霊は白塗りの仮面をつけ幅広の羽根帽子をかぶっているが、彼女の周囲はバチバチと電子がスパークして目を射るようだ。渦巻く雷雲のそこかしこで稲妻が走り……カッと光っては轟音を立て仮面の霊に落雷する。アルフォンシーヌは……迸る雷を蓄電しているのだ。
「サルビアちゃん、どういうこと!?」
ターニャの肩に乗ったサルビアは、新たな霊の出現に圧倒されている。少年少女はアルフォンシーヌの絶妙のコントロールと絶縁スーツのおかげで感電していないようだ。特製のラバースーツを着ていなければ一瞬にして黒こげになるのだろうが……。
『アルフォンシーヌって、雷霊のことかな……。彼女が稲妻を呼び、チャージしてあの男の子の背中のやつに電力供給をしているみたい、で、そのエネルギーを女の子がアルトラに発射したのかも』
サルビアが解説するので雷霊に間違いなさそうだ。妖精ではなく自然霊……この二人の少年少女の使役霊ということか。雷霊の霊族長はアルフォンシーヌではなくシン(XHIN)だとサルビアがいうので、自然霊のうちでは一般人ならぬ一般霊なのだろう。
少年はアルフォンシーヌから受ける雷を蓄電するためと思われる長いアンテナのついた絶縁体の白いバックパックを背中に背負っており、少女はバックパックから繋がる太いコードで電源供給された二連装荷電粒子バズーカを肩に担ぎ直して構え、再び拘束されたアルトラに照準を合わせている。その方向からして、頭部を狙っていると分かる。彼女はやる気だ。
「マダム・アルフォンシーヌ、第二波発射!」
仮面の女、雷霊 マダム・アルフォンシーヌの指先がすっと振り下ろされ、少年の背負うバッテリーの電子インテイクに差し向けられる。ギロチンを落とすかのような機械的かつ無感傷な動作で。
「ちょっと待ったぁ!」
威勢のよい声とともに、さらに二人の人影が現れる。自然霊の調伏にかけては由緒正しきライザ修道会の武装修道士 ルカ=ヴィエラと、その持ち霊である白銀の雪霊 シュウが遅ればせながら参戦だ。シュウは薄い白衣を纏い無表情で、普段とは違う表情を見せている。ルカは身の丈ほどに伸ばした静杖を握り、聖符を取り出そうとしている。普段は50cmほどの長さの静杖だが伸縮自在で、シャフトを捻じると多段に調整できるのだ。
ルカとシュウが空間の亀裂を見つけ、駆けつけて直後目撃した、雷霊の力を借りての荷電粒子砲。その発想と技術力の高さには、コペンハーゲン大化学科出身者のルカも驚愕した。そもそも雷の放電には一回につき900GWもの高電流が放たれている。そのエネルギーを余すところなく利用するのは非常に電子効率がよく、大電力を消費する重機器の原動力となりうる。特に荷電粒子砲ともなると、消費電力の大きさのために実現が難しいとされてきた代物である。
自然霊とメカニックのコラボレーション……古来より受け継がれた修道士の法術と自然霊の霊力との連携にも匹敵するほど、彼らは革新的なパフォーマンスを実現していた。少年少女の登場によって、新たな時代の到来を予感させる。
だが。ここは少年少女が足を踏み入れるにはあまりに危険な領域だ。彼らを危険から守らねばならない。そして、少しのスリルへの憧れと好奇心が命取りになる前に、少し懲りさせて自然霊に関わることを止めさせなければならないとも感じていた。
「ゴーストバスターズにはお引取り願おうか。あと、子供がおもしろ半分に自然霊に手を出すもんじゃない! 逃げなさい!」
ルカの説得もどこふく風、ラバースーツの少年が冷気を纏う少年霊に目を向けた。ヘッドギアに小さな赤いランプがチカチカと点滅しているところをみると、暗視スコープのようなもので敵性識別を行っているのだろうか。
「ターニャ、きみも友達も今のうちに逃げろ」
ルカは唖然として冷たい街路に倒れているターニャに近寄り立たせ、腰の抜けたアナスタシアも何とか立たせた。ルカはターニャを叱らなかった。
「ルカさん……ごめんなさい、私が門限を破ったから……」
ターニャはルカとシュウに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。こんなときのルカの表情は凛々しくて頼もしい。今朝、寝違えて腰が痛いのだと猫背で食事をしていた彼とは、同一人物だと思えないほどに。シュウも、あとは自分たちに任せてくれというように、ターニャと視線がぶつかると僅かに微笑んで受け流した。
「へえ、これは珍しい。雪霊のシュウじゃないですか、コレクターには垂涎ものの逸品だ。それに弊社はゴーストバスターズではありません。あとで名刺をお渡ししましょうね」
口達者なサイボーグコスプレ少年がいやに丁寧な口調で答えると、相棒の少女がやれやれと手を振った。二人とも全身を黒いラバースーツですっぽり隠して表情が見えず、マネキンじみて不気味だ。シュウは知ったような口をきく少年に眉根を寄せた。彼は安易に気分を害されたりはしないが、ルカは相棒のシュウをモノか何かのように看做す彼らに不快感を露わにする。
思い返せば、ルカがライザ修道会において自然霊を伴っての修行中、マリア=クレメンティナから最初に学んだことは、自然界の運行を司る自然霊をまず敬えというものだった。自然への敬意を忘れて人間は生きてゆけない。驕りを捨て謙虚に霊を駆らなければ、命とりとなるのだよ、と――。
彼らからは雷霊への敬意が感じ取れなかった。そして、地霊長 アルトラへの畏怖も――。
「知名度がないのは仕方ないわ。だってベンチャーだし」
この二人ってまさか……子供ながらに除霊専門のベンチャー企業でも経営しているのか?
彼らがアルトラを除霊をしようとしているのだとしたら……そのノリの軽さに、ターニャは開いた口がふさがらなかった。