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【休載中】Savage Fairytales(外伝)  作者: 高山 理図
第1章 真夜中の御伽噺
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第19話 リチャード・マイナーの生涯と雪霊の誕生

 シュウを稀人にした自然霊、雪霊は人々の間でリンネ(Linne)と呼ばれており、血液を必要とする自然霊であったが、体質的に人間の子供の血液しか受け付けなかった。彼は効率よく子供を誘拐するために災害の被災現場に赴いては瀕死の子供を攫い、血液を啜っていたという。


 地霊長アルトラの起こした直下型大地震で負傷者がその街に溢れたとき、リンネは街はずれで一人の少年と出会った。被災して家も両親も失った少年は、途方に暮れてふらふらと焼け野原と瓦礫の山の中を彷徨っていた。


 身寄りもなく行くあてもないなら喰ってやろうとリンネは彼を攫い、棲家に持ち帰り、少年を一咬みしたところで、リンネは本能に基づいて少年が稀人であることを知る。リンネは千載一遇の機会とばかりに彼を殺そうとしたが、驚いた少年は声を限りに、悲痛な叫びとともに殺さないでくれと懇願した。


 このとき少年が嗚咽と共に発した声は言霊(SPM)となり、その瞬間から少年の殺害を言霊によって禁じられたリンネは何度試みても少年を喰らうことができなくなった。こうして少年は氷点下の地下雪洞に誘拐され霊族長リンネに幽閉されたまま、隙あらば彼を喰い殺そうとする彼に飼われることとなった。


 その結果少年はわずか数日の間に、言霊を幾百回となく発動した。リンネから身を守るために、恐怖にかられた少年が無我夢中でやったことだ。そして数日後、バイタルを削り続けた彼の体は徐々に変化をはじめる。最初こそリンネに対し絶対的な効果を発揮した言霊はいつしか彼自身を蝕むようになってきた。


 リンネもまた、何度となく少年の言霊に中てられてみるみる弱体化していった。雪霊の霊族長であったリンネはますます稀人である少年を喰らって霊力を回復するため一発逆転の起死回生を図ろうとしたし、少年はリンネに襲われないよう必死で言霊を唱え続ける。


 目覚めたばかりの小さな稀人と自然霊の壮絶な駆け引きがサドンデスの様相を呈してきたとき、リンネは遂に少年を喰らうことを断念した。バイタルを削りすぎた彼の肉体はすでに半実体化しており稀人のそれではなかったのだ。仮に喰らったとしてもリンネに何の力も与えない、生血の一滴も出ない肉体の抜けがらでしかない。


 しかし双方にとって事態は既に手遅れだった。バイタルを-6301ptsにまで削り込んでいた少年はもはや人間に戻る手だてを失い、かといって数メートルの厚さの氷に覆われたリンネの牢獄から出ることも不可能だといえた。


 リンネは半実体化しもはや稀人ですらない彼を狙う価値もなく、衰弱した自然霊と力なき元稀人が.雪洞の中で仲良く力尽きるのを待つばかりとなったとき、言霊で打ちのめされ今にも死を迎えようとしていたリンネは、自然霊の命の源ともいえる精令殻を自ら摘出し、衰弱した少年の胸を切り裂いて移植したのだ。リンネは霊族長であった自らを徒に死なしめることが、雪霊族の致命的な危機となることを感じ取っていた。


 半ば押しつけられ、半ば救われる形でリンネの精令殻を継いで雪霊となった彼は、人間であった頃の記憶も人の心も失った。彼はただリンネの遺志に引き摺られるように非道の限りを働き、世界中の霊能者から自然霊のシュウと恐れられ、人類の敵たる残忍な自然霊として憎しみを一身に集めるようになる。


 やがて彼は重要調伏対象として指名手配されるようにもなった。しかし彼以外の全ての雪霊が何者かに殺され、遂にシュウが一種一体の雪霊となった頃、シュウの悪行を見かねたウォルターに見咎められ断罪される。


 ウォルターはシュウにとっては圧倒的な暴力を以て、シュウの命と引き換えに殺人を禁じた。シュウはそれを契機として、あるいはこれまでの償いを行うかのように、自らの生存に不可欠な人間の血液を完全に断ち、衰弱しながらも雪原で遭難した人々を助けるようになる。人間との交流の中で人の心を解し人々を守る心やさしい自然霊へと変わりつつあったが、その代償としてシュウは人間に加担する不名誉な霊として霊族長を追放され挙句の果てにはライザ修道会に捕えられルカの使役霊と成り下がる。


 一人の少年が辿った壮絶な過去は苦難に満ちた、彼の終わらない人生の足跡だった。

 

「その写真はあんたがもっておけ。変な気を起さんための戒めとなるだろう」


 ウォルターの話を聞いて、運ばれてきたカフェラテにも口をつけず人目も憚らず泣いていたのはターニャだ。別れ話をして泣いているカップルになど見えないだろうから、ハンカチで鼻をかんで、存分に泣かせてもらった。使えるからといって言霊を使ってはならないのだ。


 シュウがリンネと対峙していた生死を賭けた極限状態とはまるきり違う。誰もターニャに言霊を使えと強いていないのだから。何も知らないままにシュウに促され一度しか使ったことがないけれど、もう二度と言霊を使わないとターニャは自らを固く戒めた。


「でも……言霊という武器がないなら、私は霊に襲われたらどうすればいいんですか? 特にブルータル・デクテイターとかいうのが来たら」


 ターニャのピンチのときには、ウォルターが助けてくれるという意味なのだろうか。勝手に死ねという意味なのだろうか。ブルータル・デクテイターの生殺与奪をさえも掌握する彼のことだ。彼の意思ひとつで全てが変わるというのに。ウォルターは落ち着いた様子でコーヒーを飲み干し、不敵に微笑んだ。


「シュウは強くなる。あんたがあいつを信じる限りは」

 

「それが人間というものだろう?」


 守るべき者があってこそ人は強くなり、信頼という絆によって結ばれる。ありふれたセリフが、シュウの過去を知ったターニャの心にはしみた。ウォルターはシュウを霊としてではなくひとりの人間として見守ってきたのだ。時に彼を完膚なきまでに傷つけ、ときに盾となって守りながら――。



「シュウくんと家族のお墓、どこかにありますか?」

 彼に聞けば、何でも知っているような気がする。そう望めば連れて行ってくれそうな……。


「場所は言わんが、連れて行くことはできる」

「お願いします」

 彼が二人分のコーヒー代の会計を済ませている間に彼女は店を急いで出て、露店で白い百合の花束を買った。財布にある限りのなけなしのお金をはたいて、できるだけ大きな花束にしようと奮発する。カフェから出てきた彼は大きな花束をかかえたターニャの手を引いて路地裏に連れ込むと、片手でターニャに目隠しをするように軽く塞ぎ、次の瞬間にはその場にあった景色がまるきり変わっていた。


 シュウの話に聞いた通り、ウォルターは瞬間移動を可能とするらしい。頬に触れる空気と匂いが変わる。気温はキリクの街と比べ少し温かいが、依然として肌寒さは感じるので北半球だと分かる。そしてそこは夕暮れの墓地だ。キリクの街では昼過ぎであって、この場所が夕暮れということは案外アメリカ大陸あたりに来ていたりして、などと思いながらも詳しい場所を聞いてはならないという約束だ。


 ターニャの携帯にはGPS機能がついていたが、携帯を取り出すのも不自然だし不可能だった。だいたい地理的な範囲は絞り込めた。シュウの墓は北半球の、キリクの街とおよそ6時間ほどの時差がある場所だ。柔らかく肌を打つ冷たい小雨がしとしとと降っている。彼は無言でターニャの手を離し、細身の体を折りたたんでかがむ。その場所には、子供のものと思われる小さな墓標があった。


 墓標はよく手入れされてリチャード・マイナー(Richard Migner)と刻印され、野花が活けられている。子供が作ったと思しき素朴な花輪も彼の墓石のもとに飾ってあり、彼の死が大切にされていると分かってターニャは安堵した。


「リチャードっていうんですね」

「シュウというのは人々に名づけられた精霊としての名であり、彼の本名はリチャード・マイナーだ。本人は忘れているがね。墓の手入れをしているのは、シュウの姉とその子孫だな」


「シュウくんのお姉さん、まだご存命なんですか?」

 1945年に撮影された時分に9歳だったシュウの姉ということは、70歳をこえているのだろう。

「4人の子供と9人の孫に囲まれて幸せに暮らしている」


 シュウ、いや正確に言うとリチャードが稀人であってリンネに攫われたことが、姉と彼の人生の明暗をわけた。


 リチャードの失踪を憐れんだ彼の親類が、母親パメラ(Pamela Migner)の墓の隣に彼の遺品を埋めた小さな墓をつくり、リチャードの姉、ジャクリーン(Jacqueline Migner)は母親と弟の墓を守って懇ろに手入れをしている。しかしこの墓も管理者であるジャクリーンが死亡すると、シュウの墓は崩されてジャクリーンの墓となる可能性が高い。死後何十年も経った墓の敷地が再利用されるのは、この地のカトリック教徒の風習だ。


 ターニャは不謹慎だと分かっていても思わずカメラを構え、彼の墓標を何枚となく撮影した。静謐に、厳かに彼の死を記録するその無機的な墓標のある光景を切りとる。この光景も、いつまで残ろうものか分からない以上、彼の死を悼むものがいるという証拠をどうしても、ターニャは残しておきたかったのだ。


「あんたには迷惑な話かもしれないが、シュウはあんたと出会えてよかったよ。あいつはもう、限界だったんだ」

 シュウの知らない過去を知るこのひとは、シュウのたったひとりの、真の味方なのだろうとターニャは思う。彼はウォルターを、シュウの命を狙う恐ろしい天敵だと信じ込んでいるけれども。

「シュウくんが失ったバイタルは、誰かがあげたりできないですか? バイタルがもとのようにプラスに振れると、シュウくんは生き返ったりしますか?」


「バイタルの与奪は可能だ。だが、シュウは心臓を抉り出され精令殻を埋め込まれているし……」


 たとえ冗談でもそんな気は起こさないほうがいい。そして今日知った事を誰かに話すと、どうなるか分かるだろう?


 彼は忠告をするようにそう言い残し、気が付くとターニャはキリクの街の裏路地に呆然と立ち尽くしていた。ターニャの瞳と鼻の奥がキンと痛んだのは、改めて体感したキリクの氷点下の気温によるものではない。



「ただいまあ……」

『おかえりターニャ。あれ……何で濡れてるの? 僕、今日は何も降らせてないよ』

 シュウは濡れたターニャの体を拭こうとバスタオルを持ってきてくれる。その彼を、ターニャはおもむろに抱きしめる。涙を見られないようにそうしても、泣いていたことは声で気付かれてしまう。彼はターニャの涙の理由を尋ねず、気遣うように、身じろぎひとつせずにターニャに抱きしめられている。霊だから当たり前だと思っていたが、人間ではないと証すようにひやりとした素肌の感触が悲しかった。


 そしてリンネのものだったと思われる純白の霊衣の胸元から見えるのは、アストラルコア(精令殻)を埋め込まれてできたのであろう、大きな古傷。銀色の血を通わせ、声を失い大気と同化し身も心も人間を捨て降雪を司る孤独な自然霊となった彼という人間は、ターニャの血液を獲て、少しずつ人間の心を取り戻しつつあるのではないか。稀人の言霊が真に霊に対して絶対的なものであるならば、たとえばこういう言霊を使ってはいけないのだろうか。


 シュウくん、人間に戻りなさい、と。


 そんな都合のよい言霊があるわけも、使えるわけもなく。あどけない青銀の眼差しが、ターニャを見据える。強い霊力の通った銀色の毛と、死体と見まがうほど透き通る美しく白い肌。セピア色の写真の中で栗毛色の髪の毛とブラウンの瞳をしていたであろう、快活そうなあの9歳の少年は、ここにはいない。


 シュウくん。ねえ……きみは大人に、なりたかったのかな。

 将来の夢はなんだったの? お母さんはやさしかった?

 そして人間だった頃の記憶を思い出したら、まだ生きているきみのお姉さんに、もう一度会いたいのかな?

 

「私、もうきみを困らせることはやめる。言霊も使わないから、夜は外にも出ない……きみがしてほしくないと思うことはしないし、してほしいと思うことはできるだけするから」

 だからまた、昔みたいに。ほら、あんなふうに笑えるように。

 彼に命が戻らないのならば、いつか、全てが終わってあるべき場所で安らかに眠れるように。


『どうしたの、ターニャ』


 シュウの声は誰よりも近く直にターニャの心に届く。

 でも私が見たいのは、きみのそんな顔ではないの。


 ターニャがいつも持ち歩いていた一眼レフのデジカメのメモリーには、先ほど撮影され1948年1月4日に亡くなったとされている、白いユリの花が供えられたリチャード・マイナーの墓碑銘の写真がおさめらた。それを彼に見せたら、自然霊シュウはどんな反応をするのだろう。何をばかなことを、自分はもともと自然霊として生れついたのだと否定するのだろうか。それとも過去の記憶を懐かしく呼び戻すのだろうか。ずっとどこかに漂っていた、彼の瞳の奥にある郷愁の由来を垣間見たような気がして、ターニャはまた泣けてくる。


『ターニャが元気でいてくれることが何より一番うれしいよ』

「シュウくん。私をきみの家族みたいに……そう思ってね。本音も弱音もありのままぶつけてね」

 代償となるには物足りないかもしれないけれど。彼の失った家族のように接することができるのならば。彼女がまだ存命であるということに迷いが生じる。しかしその迷いをかき消すように、彼はこう言うのだ。


『家族ってどんなもの?』


 ああ、本当に忘れてしまっているのか。ターニャのバッグの奥の茶封筒にしまわれた、彼の写真を出して見せてやりたい気持ちになった。何かの刺激になって思い出すのではないかと思ったからだ。しかしこの話を口外すれば命はないからと、ウォルターに暗に脅迫されてしまった。人間でも霊でもない、おそらくは無限のバイタルを持つもっと偉大な何者か。シュウが神なのではないかと怯える、ウォルターという男を裏切らないほうがいい。彼はシュウを心配している様子だったから。


 しかしさりげなくシュウの目につくところに写真を置いておくのも、口外したうちにはいるのだろうか。

 

 ルカが向かいのキッチンからのろのろと出てきて、シュウとターニャがいつになくしんみりと抱き合っているのを目撃すると、ばつが悪そうに通り過ぎてトイレに行った。


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