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【休載中】Savage Fairytales(外伝)  作者: 高山 理図
第1章 真夜中の御伽噺
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第13話 ヴァ―サタイル・ペイトリアークト

「えー……これかー……」


 路地の奥にあったのは、いかにも呪われていますといわんばかりの、人の手放した巨大な廃ホテルだ。それは路地の突き当たりにあって、目の前にでんと横たわっていた。一般人にも余裕で見えるであろうほど強い霊気が渦まいて、ホテルには嫌な霞がかかっている。少し外れた大通りからは気付かなかったが、局所的に霊気が固まっている。霊の怨念によって結界ができているからかもしれないな、とルカは思った。しかし今日はどことなく心強い。何故なら頼もしい相棒がいる、蛇の道は蛇、お化け屋敷には霊の水先案内人が役に立つ。そんな頼もしい相棒、シュウはルカの顔をうかがう。ルカもにこにことシュウを見つめる。唸ったっきり、どちらも足が進まない。二人とも尻込みしているのだ。

『どうする? ……こういう霊障のある場所、発見しちゃったら修道士として見過ごしたりできないの? 気が進まないんだけど』

 シュウはどうしたことか、手を引きたがっている。

「見過ごしてもいいが、中からターニャを見られているだろうからなあ……わたしたちの後ろをついてきて、住所を突き止められても困るし」

 この廃ホテルが何の霊に憑かれているのかを詳細に調べることは、ターニャの安全のために必要なことだった。シュウは中から噴き出してくる霊気を淡々と分析して、結論づけた。

『中にいるのは人霊(ghost)だ、ホテルに地縛されて外に出られないからターニャに害はないと思うよ』

「でも、この辺りを通りがかった人々には害があるはずだ。お前は無実の人間が死んでも、どうでもいいと思うかい?」

『……んー…』

 こう言うと、彼は悩む。人間が何人、他の霊に襲われようが彼には関係ないことだ。だが、彼は困った人間を放っておけない性分になってしまった。それは彼がお人よしだからかもしれないし、ウォルターの監視が怖いのかもしれない。そして彼がルカの除霊に加担をすれば霊の住処を奪うことにもなって霊から反感をかう。それもまた気が引ける。人間と霊の立場の間で、彼は板ばさみになっていた。


「わたしはどうもお化け屋敷だけは苦手だ……。でもお前がいるから、今日は心強いよ」

 霊の調伏を生業とする武装修道士のくせに、ルカはこういう赴きのある建物に立ち入るのが怖い。ルカは元々臆病な子供で、夜はとりわけ苦手だった。夜中にトイレに行くにも怖くて怖くて、ベッドでお漏らしをしてしまった経験も何度かあるぐらいだ。その怖がり屋が今は武装修道士などやっているのだから、人生どう転ぶかわからないとつくづく思う。だが、何も好きこのんで修道士になったわけではない。ルカにあの運命の日が訪れなければ、今も臆病で頼りない夫だと妻にからかわれながら、それなりに幸せな家庭を築いていたことだろう。こんな年の暮れも差し迫った頃、クリスマスの準備に追われる、浮ついた街の片隅の薄気味悪いホテルにわざわざ踏み入って、悪霊退治に向かわなくてもすんだだろうに。……唯一の救いは、まだ日が暮れていないことだ。


『ルカも怖いのかもしれないけど、僕だって怖いよ』

 化けもののくせに何をいう。冗談にもならない。ルカはシュウがしり込みするのに、違和感を覚えた。もし彼の言うようにこのホテルに憑依しているものが人霊ならば、はっきり言ってシュウの相手ではない。彼は人霊などより格上の精霊であるばかりか、霊の中でも最上格の霊族長だ。ライザ修道会は世界で最も実力と影響力のある10体の自然霊を警戒のためにリストアップしているが、毎年毎年、シュウは上位に名を連ねて不動の地位を確立していた。さらに彼はターニャの血液を受けて、一段とパワーアップをしているはずだ。おそらくは、稀人二人を捕食したブルータル・デクテイター、そして稀人一人を捕食したフレームライン(Flameline)準ずるほどの。彼は必要以上に怖がりで自信がないが、ブルータル・デクテイターとの直接対決をしない限り彼はかなり強い霊だ。

 彼はシュウの自信をつけさせるようにぽんぽんと、優しく肩を叩いた。

「謙虚なのはいいが……しっかりしてくれないと。だいたい、子供はお化け屋敷に目がないもんだよ?」

『人間の子供って勇敢なんだ……』

 テーマパークの中にある子供向けのお化け屋敷と、リアルお化け屋敷では恐怖の度合いが違う。シュウは、自分が人間の子供より意気地なしなのかとショックを受けたようで、しょげかえってしまった。あーあ、とルカは内心自らを責めた。また彼のテンションを下げてしまったようだ。もっと彼の気持ちを明るい方向に持っていかなければ、いつまでたっても彼の鬱症状は改善されないだろうに。

「あー……まあ、子供が行くのはお化け屋敷って言っても遊園地だからな。怖がって楽しむ、みたいなところあるし」

 怖がって楽しむ? シュウは怪訝な顔をした。怖いものは怖い、恐怖というものは自身に迫る危険を報せる防御反応だ。その恐怖を楽しむなんてどうかしている。

『人間ってよくわかんない』

 彼はそんな感想を述べると、遂に意を決してドアの向こうに踏み込んでいった。一度行くと決めたらその度胸は大したもので、彼は地を蹴りひゅるっと宙に浮かんでそのまま壊れたドアから真っ暗闇の建物内部に入っていった。

「行くのか?」

『行こう、足元気をつけて』

 中に立ち入って初めてその状況が明らかになった。霊は複数棲みついているようだが、一体一体はそれほど強いものではない。ホテルのあちこちに潜んで様子をうかがっている。お化け屋敷の風格さえ気にしなければ、ルカとシュウにとっては取るに足らない物件だ。ルカもいつものように急所に聖符を貼り、静杖を撫でて法力を増幅し、ボッと暗闇に赤い炎をともす。懐中電灯や蝋燭などの照明を持ってお化け屋敷に入ってはならないのは霊能者にとっては常識だ。よく清められた霊具でなければ、どんな照明もすぐに霊障によって簡単に壊される。静杖を松明のように掲げると、ホテルの内部構造がよく見える。壊れた応接家具に朽ちたカーテン、どこからともなく聞こえる隙間風の音、割れたガラスが床面に散乱していて危険だ。

 さてと。霊族長の実力がどれほどのものか……お手並み拝見といくか。とルカは微笑んだ。



 ルカは散乱するガラス片やコンクリート片を盛大に踏みつけながら、シュウの後を追う。幽霊屋敷に潜入して、霊の道案内で奥へ奥へと踏み入って行く。エントランスを入ってすぐのロビーを通り過ぎ、階段を一段一段、上りはじめる。シュウはルカを先導して浮いている。

「ホーンテッドマンションじゃないか」

『まさにその通りだよ……』

 階段の先から、シュウの声だけが聞こえてくる。彼はどうやら、ルカに危険が及ばないよう随分先に進み、進路を確かめてからルカを導いている。さりげない気遣いに、ルカは感謝する。

「しかしどうしてこうなっただろうね、こんなにたくさん集まって」

『霊にも怖いものがあるんだ。たくさん集まれば、少しはやり過ごせるかと思うからね』

 小魚たちが肉食魚から身を守るためには……魚群を作らなければならなかったように。霊も弱いものが集まって、団結することがあるのだ。それが心霊スポットのようになって、傍を通るものや立ち入るものを怖がらせる。運悪く聖職者に見つかれば浄霊されてしまう。そういう事情をよく知っているシュウは、ルカに加担して彼らの住処を奪うことにあまり乗り気ではなかった。

「やり過ごす?」

『この街にこういう幽霊屋敷ができるってことは、外にはもっと怖い霊がいる証拠だよ。本当に恐るべき敵は幽霊屋敷の中ではなくて、むしろ外にいる』

 人霊は普段、単独行動をするものだ。それが一箇所に集うということは、身を寄せ合って建物の中に隠れ、団結しなければならないほどの危険に晒されているからだ。それはシュウたち、霊の間では常識だった。だからシュウは、こういった幽霊屋敷が数多くある場所には近づかない。強い自然霊が潜んでいる場合がある。


「“暴君”がいるのか?」

 ルカは憎しみをこめて、ブルータル・デクテイターを、ただ“暴君”と呼ぶ場合が多い。ルカは自然霊とブルータル・デクテイターをはっきりと区別していた。自然霊たちには敬意を払い、シュウには愛情すら覚えるが、ブルータル・デクテイターだけは別だ。“暴君”はあまりにも多くの人間を理由もなく殺しすぎた。シュウや他の自然霊たちの比ではない、“暴君”は人を殺すことに愉しみすら覚えていると聞く。断じて許さないという決意が、その些細な言葉じりにあらわれている。

 シュウは、ルカがブルータル・デクテイターの話をするときに、表情ががらりと変わることを知っている。彼は文字通り、精悍な武装修道士の顔つきになりそして、“暴君”を少しでも思い出すだけでルカは法力が爆発的に高まる。その危うい雰囲気は、自然霊であるシュウにとっては恐怖だ。

『たぶん……それか、ウォルターだと思う』

「複雑だなあ……」

 ルカはそう言って舌打ちした。ふっと、張り詰めた緊張が途切れてシュウはほっとした。

『僕がいうのもなんだけど、こういう何もできない霊たちより、人間を殺す自然霊のほうがよっぽど危険だよ』

 人霊は人々の心理面に働きかけ人を怖がらせるが、実体化することはできず、したがって直接肉体を持つ人間を傷つけることはできない。むしろ危険なのは高度に実体化し、生身の人間を直接的に傷害する自然霊だ。かつて、シュウも人に害をなす危険な自然霊だったからこそわかる。自然霊は人間を殺害することを気に病んだりしない。

 

 シュウとルカが廃ホテルに踏み入ってから3分が経過しようとしていたが、まだ霊の姿は一体も見えない。シュウは慎重に先に進むが、ルカは痺れをきらす。

「しかし肝心の霊が出てこないな。よほどお前のことが怖いんじゃないか?」

『僕じゃないよ、ルカのせいだよ』

 二人は責任をなすりつけあっている。霊が出てこなければ、除霊もできないのだから。

「埒があかんな。日暮れも近いし、一網打尽にして燻りだすか」

 ルカは聖符を束ねていた帯封を解いた。ルカの法力を通じ、聖符は白く発光する。今にも聖符を宙に放とうとしたところで、シュウが慌てて飛んできてルカの頭上に邪魔をするようにふさがった。ルカはシュウをたしなめる。

「どきなさい。これをまともに喰らえば、お前といえど無事では済まない」

『お願い、話を聞いて』

 ルカは振りかぶっていたその手を下ろした。彼が真正面からルカの行動を非難したのは、これが初めてだったからだ。互いの信頼関係を維持するためにも、今回は言い分を聞いてやることにした。

『ここには悪い霊もいる、でも悪い霊ばかりじゃない。例えばそこからこっちを見てるヒトは……ただ好きなだけだ』

「何が?」

 シュウが上の方を指差すので仰ぐと、一階上の階段の手すりから老人が顔をのぞかせていた。霊はものもいわず、切なげにルカを見つめている。何か聞いてほしいことがありそうだ。

『この街がだよ。あのヒトは何代も前の、この街の町長さんだったヒトだよ。この街の移ろう景色を楽しみながら、メインストリートを散歩するのが日課だったんだ。人々を傷つけるどころか、街の安全と平和を守りたいと願っている人。でも今はあまりにも危険で外を歩けなくなってる、だから彼は人々の様子が気になっているみたいだ』

「わたしを睨みつけてるのは?」

 老人はどこか恨めしそうだ。あまり霊力も強くないらしく、ルカの目には煙ほどしか見えない。霊力の強くない霊にとって、霊能者や聖職者の法力は暴風のように感じるという。ルカの法力圏(FOL)は半径140mほどあり、逆に言うとシュウは140m以上ルカと離れられない。シュウはルカの法力という見えない鎖でつながれている。そしてこのホテル全域に、ルカの法力は及んでいた。ルカの法力はあまりに強く台風のように感じるため、霊は吹き飛ばされないよう物影に隠れているのだ。

『ルカがあのひとを浄化しようとしてるから……』

 聖符も静杖も霊にとっては強権的なものだ。ルカは仕方なく符をおろし、町長の霊に呼びかけた。

「町長さん。事情はわかったが、父の許へ還るつもりはないか。わたしはその手助けをしたいんだ」

 父というのは、キリスト教圏の国々では慣例的に神という意味だ。

『逝きたくないんだって』

 シュウが通訳をする。言うまでもなくそうだろうな、とルカは思った。何故なら霊は“嫌だ”とアピールするように首を左右に振っているからだ。やせこけた老人の顔が、今にも泣きだしそうになっていた。ルカは平生老人には親切に接しているが、相手が霊だとなるとどのように対処してよいか分からず難しい。仕方なく説得を試みた。

「我侭を言わないで……天国に行かなければずっとここで彷徨うだけだ」

『それでもいいって。もしかしてルカ、浄霊して神様のもとに送ることが人霊にとって一番の幸せだと思ってない? 一義的な価値観を押し付けるのはよくないよ。この世に残って静かに暮らしたいと思う人霊もいるんだ』

「……まいっちゃうなあ」

 彼は人の味方であるばかりでなく、霊たちの代弁者でもある。先ほど、ターニャが熱心にシュウに趣味を持てと勧めていたが、ルカはシュウの尊厳と自主性を守るべきだと彼女をたしなめた。今度は逆に、天国に帰るべきだと促すルカをシュウにたしなめられている。これではあべこべだ。

『とにかく、彼は悪霊ではないよ。といっても、人間側から見て悪霊かどうかってことだけど。それでも浄化するの?』

 ルカは少し考えて、町長の霊に提案した。


「町長さん……、では外を歩けるようになったら、もっと街の一望できる見晴らしのいい空家に引っ越してくれないかな。霊がたくさん集まると、ここで霊障が起きる。そうなればわたし以外の霊能者も来るだろうし、無理やり除霊されてしまうぞ」

 霊は何度も大きく頷いた。どうやら町長の霊にルカの声は聞こえていて、話はまとまったようだ。人霊はうまく話せない場合が多いので、シュウの仲介と通訳のおかげだった。

『そうするって。次のひとのところに行こう』

 霊族長の力がどれほどのものか楽しみにしていたのに、これでは霊のカウンセリングだ。シュウは人も霊もむやみに傷つけない。悪霊ではないと諭されると、ルカも杖を振りかざすわけにもいかなくなる。


「お次はどういう事情が?」

 シュウの案内で霊気を辿って2階ほど上に上がると、客室のひとつに塊になって震えている子供の霊の一団がいた。15平方メートルほどの真っ暗な部屋に、ぎゅうぎゅうとすし詰め状態だ。すすり泣く子供の声が聞こえた。ルカはまたしてもシュウを介して、霊の身の上話を聞くはめになっている。

『バスの事故で亡くなった人たちだよ。彼らは天国に行きたがってる』

 シュウの話には信憑性がある。ルカは5年前、遠足帰りの学生を乗せたバスが、あやまって崖下に転落したというニュースを覚えていたからだ。数十名の児童が亡くなったことで、当時は大きく扱われた。当時、ルカは妻とコーヒーを飲みながらこの事故について何度か話し合ったことがある。印象深い事故だった。ルカはちょいちょいと指差して霊の数をカウントした。全部で21名。新聞で報道された数と一致した。

「かわいそうに……何ていってる?」


『お化け怖い、あっちいけって』

 ルカは辺りを見渡して、シュウを二度見した。この部屋には、お化けといえばシュウしかいない。しかし、お化けがお化けを怖がるなど……。笑い話だ。

「お前のことか」

『そうみたい』

 シュウはハングアップしたように手を上げると、数歩あとずさって部屋を出た。シュウが出て行ったのを見るなり、彼らはわらわらとルカの周囲に集まってきた。ずっと子供達ばかりで寄り添って過ごしてきて、大人が恋しかったのだろう。泣きべそをかいている霊もいた。ルカは聖符を高く掲げもって、彼らに符が触れないように配慮してやる。これほど弱い霊だと、聖符に触れただけで消滅する。

『その子たち全員、ルカが浄化してあげてね』

 部屋の外から、シュウの声が聞こえた。

『僕がやると彼らが天国に行けなくなる』

 自然霊が人霊を浄化しようとすると、殺してしまうだけだ。彼らには天国への門が開かれている。彼はその機会を奪いたくなかった。

「お前……」

 ルカはその言葉を聞いて、ますますシュウのことが好きになった。


 彼はシュウの望みどおり彼らのために聖句を唱え、静杖にありったけの法力を込めて床につけ、法力で安定化させた光跡でドアを描きはじめた。赤い炎で空中に彩られたライトワークは、天国へと繋がるゲートを作る。門は生者を通さないが、死者を温かく迎えいれる。子供達は、懐かしい光に魅入られていた。


“いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和を、御心に適う人にあれ。慈しみ深き我らが父よ。苦難に耐える彼らに栄光をそそぎ、彼らの叫びを聞き届け給え”


 彼らはルカの言葉にじっと耳を傾けている。どこかほっとした顔を向ける子供の霊もいた。

ゲートの奥から、澄み切った光があふれてくる。


“主の名において命ずる。永久の門、汝が身をもたげよ”


 そして門は彼らが還るべき世界へと繋がった。


「さあ、もういきなさい」

 ルカは優しくそう言って霊の背を押した。彼らは一人、一人と嬉しそうに門の中へ入ってゆく。ルカに手を振る霊もいた。ゲートの中に入ると、光に溶かされて消える。彼らの無念と魂魄はルカの引導によって昇華されたのだ。もう二度と、この街に彷徨い出ることもないだろう。ルカは不思議と満たされた気分になった。武装修道士の仕事は、霊に憎まれて当然だと思っていた。そしてルカも、霊たちにあらん限りの憎しみをぶつける。それでよいのだと、それが修道士として正しい道なのだと思っていた。それを変えてくれたのはシュウのおかげだ。先にルカが戦闘を仕掛ければ、霊も応戦するほかなくなる。結果、これまで修道士と霊は決して相容れないもので、いがみ合うほかになかった。しかし今日は違う。霊に感謝されてすらいる。


 部屋の外で、仕事を終えたルカをシュウが待っていた。ルカの姿を見ると立ち上がる。

『ちゃんと逝けた?』

「お前のおかげでね」

『あの子達、ルカにありがとうって言ってたよ』

 浄霊ということに拘らなければ、こういうカウンセリング的な方法もいいのかもしれないな、とルカは思った。今までは杓子定規に、霊障を起こした原因となる霊を問答無用で浄化してきた。彼の駆った3体の自然霊たちもルカにどうこう意見することはなかったし、彼らは人霊を何体殺しても感傷が湧かないため、特に何も思わなかったらしい。しかしシュウは霊の言葉に耳を傾け共感し、彼らにとって最善の選択を捜そうとする。彼は人にも霊にもわけへだてなく、生と死に真摯であろうとする。毅然とした自然界の化身であるべき自然霊がこんな様子では……追放されるわけだ……。

 彼らは救われ、幸福のうちに逝った。しかしシュウは……永遠を生きるこの小さな自然霊は、どうしたら救われる? 

「シュウ」

 気がつけば、ルカは彼の名を呼んでいた。

『なに』

 シュウはルカを見上げる。向けられたのは、あどけなく無垢な眼差し。ルカは思わず彼を抱きしめていた。何度触れても彼の身は凍えるほど冷たく儚い。強く抱きしめるとルカの腕をすり抜ける。


「よくきけ。わたしは修道士としてよりいっそうの修練に励む。お前もだから力を貸してくれ。二人で必ず“暴君”を仕留めよう。お前は強い。今は不可能でも、二人でならきっとできる。そうすればわたしはお前を手放す」


 シュウはルカに不意に抱きつかれて身体をこわばらせた。シュウにとって、聖職者であるルカは霊を苦しめる法力の固まりだ。じかに触れられるとぎょっとするし苦痛もある。しかし今日は、ルカに触れられても苦痛を感じなかった。ただ単純に、その腕を温かいとだけ感じた。嫌な温かさではなかった。それはターニャに感じた体温と同じ温かさ……。

 シュウはようやく分かった。

 彼という男は修道士である以前に、愛するものを亡くした、かよわいひとりの人間なのだ。

 彼は決して自らの為にシュウを手に入れたかったのではない。復讐を果たしたなら、彼という妄執につかれた人間は自由になることができる。……それでいいのか? 

 彼とシュウは助かる。しかしそれでは駄目だ。シュウはなおもターニャの名を呼んだ。


『ターニャはどうなるの? ルカはターニャを見殺しにするの?』

 彼は自由の身になることを置いて真っ先に、ターニャを心配した。彼には義務などないはずだ。自由になった自然霊が、自由意志でひとりの人間を守り続けるなど信じられない。しかしルカは答えを見出していた。


「お前は優しいな……」

 ルカは微笑んだ。

「大丈夫だ。“暴君”を倒して霊族長たちに認められれば、お前は万理になれる……もう、人と霊が争わなくていいよう、そんな世界を築けるのはお前しかいない。“暴君”さえいなければ、自然霊たちも必死に稀人を探して捕食しなくてもいいんだ。お前がターニャを“糧”とすればターニャも助かる。全て解決する」


 万理(ばんり:The Versatile Patriachate/ヴァ―サタイル ペイトリアークト)。自然界の理を支配する者、すなわちそれは自然霊ばかりか、全ての霊を統べる霊社会の最高権威だ。万理はとりわけ大きな功績を残し、実力も充分と認められた霊族長の中から霊族長議会によって選出される。全ての霊を脅かす存在であるブルータル・デクテイターをシュウが斃したなら……そのときは間違いなく、満場一致で万理として認められるだろう。たとえ彼が追放処分を受けていたとしてもだ。それほどまでに、ブルータル・デクテイターは人々にとっても、霊にとっても脅威となっていた。

 シュウが万理となれば、ターニャを守ることができる。誰も万理が“糧”と決めた獲物には手を出そうとしない。今こそ人と霊が力を合わせて、共通の敵に立ち向かうべきだ。

 ルカの決意を、シュウは支えるしかなかった。

『うん……』

 シュウは自信なさそうに、小さくこくりと頷く。いまは、勝算などないかもしれない。

しかしターニャのためにも、諦めるわけにはいかなかった。


「上の階に行こう」



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