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【休載中】Savage Fairytales(外伝)  作者: 高山 理図
第1章 真夜中の御伽噺
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第9話 任務開始、写真家と少年霊と修道士

『ルカ。下を見て』

 ルカを伴い全速で飛翔していたシュウはふと空中で急ブレーキをかけた。ルカはどちらかというと視力がよい方だが、地上には山道がうねうねと尾根伝いに走るのが見えるばかりで、特に異常は見受けられない。

「どうした?」

『ねえ、あそこ空間が歪んでるんだ』

 シュウはルカを背に負うようにしながら眼下を指差した。シュウは空間の歪みの中から自然霊の気配を感じ取っていた。年経た土霊の気配がする。シュウはこの細い山道が、修道院からターニャの住む街をまっすぐに繋ぐ近道であることに気付いたのだ。嫌な予感がする。ターニャはまさに今そこに居るのではないかと――。


「降りて調べてみよう」

 シュウのただならぬ様子を察したルカは懐から聖符の束を取り出し、片手で静杖を口に咥えた。彼は既に戦闘態勢に入っている。ふたりは半ば飛び降りるようにして着地すると、空間の歪みの境界線を調べた。じっとりとした空気に満たされた森は、明らかに異様な雰囲気に包まれている。シュウが霊にしか見えない空間の境目を指差して示すと、ルカはそれに沿って聖符を規則正しく地に配した。

「シュウ。耳を塞いでいろ、聖句は自然霊を弱体化させる」

『うん、いいよ』

 シュウを遠くに下がらせたのは、ルカの使う封術や霊に対する調伏術が、自然霊のシュウを弱体化させ力を奪うからだ。ルカはシュウが避難したことを確認すると聖句を唱え、ルカの目には不可視化された結界を破りにかかった。


” 我等は見えるものではなく、見えぬものにこそに目を注ぐ。見えるものは過ぎ去るが、見えぬものは永遠に存続するからである ”


 3枚の白い聖符から灯火のように青い光が迸り、ガラスくずが砕け散る様に、そこにあった空間の歪みがルカの術によって破られた。ルカの術は、基本的に聖句(聖書の言葉)と聖符の力を借りる。ルカ自身は神の威光に預かっているだけで、超能力者でも何でもない……と、彼は思っている。シュウはルカの使う法力を目の当たりにするたびに、この世界に神はいるのだろうかと思うようになった。彼を加護する神がいて、霊を調伏する為の力を貸してくれるというのだろうか。シュウは神を見たことは一度もない、だがルカの手を通して神の威光が顕わされている。


「父よ、ありがとうございます」

『神様は、いるのかもしれないね……』

 ルカは彼にかける言葉が見つからなかった。彼には祈るべき神がいない。かつて心なき殺人鬼として無差別に人々を殺した彼を、赦す存在も拠り所もない。彼は一人で生きてゆくだけだ、誰にも縋ることも出来ないままに……。

「お前がどんな過去を持っていたとしても、今はよき自然霊であるという事を、主はご覧じていらっしゃるだろう」

『ありがとう』

 シュウはルカの前に立って破られた空間の歪みの中に足を踏み入れて行った。シュウは拳を握り締めて、彼の力が衰えず漲っている事を確認する。いざとなれば、この一帯を支配する土霊にも引けを取らず全力で戦える。そして稀人の肉体を得たシュウの実力は、ブルータル・デクテイターと対決するのでなければどの霊と対峙するにしても不安材料はない。

「気をつけろ、敵がどこにいるか分らないからな」


 シュウに続いて、ルカも静杖を構えたまま森の中に踏み入ってゆく。冷気と霧が立ち込めていて、ただならぬ気配を感じる。雪霊、凍結という現象を支配する自然霊のシュウは、吹雪を起こしたり雪を呼ぶばかりが能ではない。およそ自然界における水分子の結合を思いのままに操ることが出来る。地球上に生息する生物の生体の数十パーセントは水が占めている、つまりあらゆる生命の持つ命の水を彼は瞬時にして奪い去り凝結させる事も出来る。


 これは恐るべき能力だった。そして絶対零度を操る彼は、部分的にではあるが時間を止めることもできた。古典力学においてすべての分子運動が止まるとされている絶対零度、現代力学においては絶対零度でもわずかな分子振動があると言われているが、時間を司る自然霊が存在しない以上、彼が時間の流れを最も緩やかにできる自然霊であるという事には変わりがない。時間をすら意のままに操る彼の能力……彼は自覚していないのかもしれないが、ブルータル・デクテイターに対抗するには最強の切り札となりうるだろう。ルカが彼を欲していた理由だった。ルカは彼の能力において、シュウに信頼を寄せている。


 だが彼は精神年齢的には人間の少年とそれほど大差ない。いくらも歩かないうちに、前を進んでいたシュウは立ち止まった。会敵したのなら間もなく交戦する筈だが、彼はただ立ちすくんでいただけだった。怖気づいたとでもいうのだろうか、いや、そんな筈はない。彼が恐れるべき強敵はこの辺りには存在しない。格下ばかりだ。ルカは足早にシュウの元に駆け寄り、シュウの視線の先を見ると、腰の引けたターニャと一人の男が言葉を交わしているところだった。シュウはターニャの無事を確認してほっとした。


 ルカは疑問に思った。彼女は誰と話しているのだろう? そして男の足元に散る土霊の残骸は……? この男が自然霊を、やったのか? ルカの見たところ、知り合いの修道士や同業者などでは断じてない。疑いの眼差しを向けていると、男はルカとシュウの視線と気配に気づいたのか、ゆっくりと振り返った。ターニャも気づいてほっとしたように近づいてきた。

「シュウくん!」

「……シュウ? お前、雪霊のシュウか? 久しぶりだな」

『……! あなたは』

 シュウはとっくに封印した彼の記憶の扉から、少しずつ風が吹き込み始めたのを感じていた。シュウはこの男が”誰なのか”を知らない、だが確かに知っている。彼はシュウの失った長い時間を知る、唯一の人物だったということも……。



 ルカが注意深く男に歩み寄ると、男は黒い呪符を束ねてシザーケースの中におさめた。ルカはその呪符の紋様を見逃さなかった。見慣れない陣形に、見慣れない古代文字。ルカはこれまでも調伏任務中にエクソシストなどの同業者と会うことはあった。だが、彼らはキリスト教系ならば聖句と聖水を用いるものが殆どで、聖符を用いるのはライザ修道会だけだ。自然霊に対し呪符(聖符)を用いる宗教団体は、実はそれほど多くない。


 そこで、ルカは彼がこの大陸の宗教団体のものではないとすぐに見抜いた。アフリカを拠点とし、個人単位の呪術者組織であるダンバ(Danba)呪術協会の一員なのか? しかし彼の外見は明らかに白色人種のように見える。同族意識の強いダンバの組織に入会できるとは考えられない。ルカは男の正体を勘ぐりつつ、緊張感を持って話しかける。この呪術者は決定的に、他の術者にはできないことをした。

「はじめまして。ルカと申します。あなたは……どこにご所属の術士ですか」


「あんたは修道士さんか。俺は流れなもんで、別にあんたらのシノギを削るつもりはない、安心してろ」

 彼は黒い帽子を目深にかぶり直しながらそう言った。個人呪術者というわけだ。腕のよい呪術者は除霊から悪魔祓いから葬儀に至るまで、個人的に依頼を受けて生計を立てている。彼の腕には呪術者らしく、呪力を高めると見られる白い紐を幾重にも巻いており、月と星のレリーフのある銅色の不気味なネックレスをかけていた。ルカはひとまず男の親切に感謝し、そそくさと財布を取り出した。縄張り争いにならないためにも、この場はさっぱりと金で解決してしまうのがいい。ターニャが稀人だと気付いてのちのち大金をふっかけてきても困る。


「民間人の保護をありがとうございます。御礼はいかほど必要ですか」

 彼はぎょっとしたように修道士の財産らしからぬ札束を見つめて、片手を軽く左右に振った。

「代金はいい。この稀人、危ないからおたくの修道院にでも匿ってやりなよ。それで迎えに来たんだろ?」

 彼はターニャの背を押して、ルカの前につきだした。ターニャは再び稀人と呼ばれて、何事なのかと納得のいかない顔でルカを見る。

「稀人って何?」

 一人話題から取り残されているターニャは、一刻も早く誰かに説明を求めたい気分だ。ルカはターニャに、分かっているから何も言うなと手で制した。ルカは得体の知れない男がいる前で、稀人についての詳細な説明を始めるつもりは全くない。彼は何故、ターニャが稀人だと知っているのだろうと訝る。自然霊を駆っていない限りわからないことだが、男は自然霊を伴っていない。


「シュウとともに彼女を保護するよう、修道会から指示がありましたので」

「お前が修道士にコキ使われる羽目になるとはなあ……ドジを踏んだものだ」

 シュウはもどかしそうに俯いた。シュウに何も負うものがなければ、彼に縋り付いて自由になりたいと懇願するだろう。しかしシュウはその衝動に耐え、我慢した。世界中の自然霊の標的となってしまったターニャを自身の手で守らなければならない、それは自らの責任において、ルカとともに絶対に成し遂げなければならないことだ。そうでなければ他の自然霊は一体としてターニャの味方になどなってはくれない。ルカが以前から馴染んでいた3体の使役霊を捨てて、シュウのみを駆っている理由はそれだ。他の自然霊ならばルカの命令も聞かず、本能に従って食らい尽くすだけ――。

 修道士にこき使われるために、ルカに従っているわけではない。


「彼も納得しているので、お構いなく」

 ルカは毅然としてそう言った。これ以上、シュウに構うなという意思表示が言葉の端ににじみ出ている。

「納得ねえ……」

 シュウの複雑な心境を知ってか知らずか、男はこんなことを付け加えた。

「まあ、死にそうになったら今まで通り助けてやるよ」

 男は手を伸ばし、軽くシュウの頭を撫でたがシュウがそれを嫌がる様子はない。自然霊と呪術者という相反する存在が並んで冷静に話しているというのも珍しい光景だ。彼らは天敵のようなもので、目が合った瞬間から殺し合いが始まるというのに。何か特別な間柄なのだろうか? シュウをこの男に奪われては困ると思ったルカは、彼を片腕で引き寄せ、逃げられないように抱いていた。ルカの腕力の強さにシュウは囚われた身の無力を感じながら、去ろうとする男を目で追った。


「じゃあな。近いうちにまた、会うことになりそうだ」

『ま、まって! ……まだ聞きたいことが……!』

「駄目だ!」

 シュウは手を伸ばしたが、追いかけることもできずルカの腕の中で押さえつけられてしまった。その間に男は夜霧に紛れて消えた。周囲を見渡しても、深々と静まり返る森の気配があるほかは、もはや男の足音すら聞こえない。

 シュウにとって、あの男はいつもそうだった。彼は望まずともどこからともなく現れ、様々な疑問を残して消え去る。一度として満足に話をしたことも、正体が明らかになったこともない。彼はシュウに死の危険が迫ると決まって現れる。現れなかったのは、今回が初めてだ。単純に今回は彼よりもターニャに見つけられる方が先だったのかもしれないが、だからといって彼はシュウの理解者でも味方でもない。

 いつか彼に殺される――シュウはそう思っていた。


「何が、どうなってるの?」

 ルカはようやくターニャに向きなおる。シュウはまだ呆然としているが、彼を追いたかったに違いない。一方のターニャはといえば、膝の力が抜けてその場に倒れ込もうとしたので、ルカが彼女を抱きとめて支えた。

 稀人(The Rare Body)は自然霊の糧となるが、自然霊にとっての脅威でもある。稀人は自然霊から逃げ惑いいずれは喰われるのを待つ運命にあるのかというと、必ずしもそうばかりではない。稀人の肉体が自然霊にとって価値ある糧となるように、稀人は自然霊の霊体に強く影響を及ぼす。その媒体は彼らの“言霊(SPM)”だ。稀人が言霊を揮えば、あらゆる自然霊を従えるとの伝承がある。


 しかし稀人の中でも誰もが言霊を使えるようになるわけではない。ただ、幾多もの稀人たちが徒に喰い尽されたなかで過去にたった一人だけ……言霊を揮い自然霊を従えた稀人がいた。しかし……ターニャがそうなれる可能性は限りなくゼロに近い。


 意識を失ってゆく彼女の重みをルカはしっかりとその腕に刻み込む。ふと彼女の顔を見ると、改めて彼女の美貌に気付かされる。目鼻立ちのはっきりとした秀麗な顔立ち、真っ白な肌と、長い睫毛。結わえられたミルクティー色の毛から出た、おくれ毛がふわりと頬にかかっている。あまり化粧っけもなく、香水すらつけない彼女の肌。


 まさに自然霊の理想の糧だ。

 手袋もつけていない細く白い指はかじかんで青ざめ、体温を失いつつある。茶色の革のスカートの下から、黒いタイツに包まれた細い脚が形よく突き出している。彼女の首からずれ落ちていたマフラーを口元に巻きつけて、無防備な唇を隠した。彼女にはこれから、できるだけ露出のない服を着てもらわなければ。ここが北国であってよかった。柔らかそうな肌を一目見れば、シュウといえど本能を呼び覚まされる。彼女の命を、ルカは確かに預かった。


 彼は神に誓うように呟く。

「ライザ修道会 修道士 ルカ =ヴィエラ、只今より任務を開始する」


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