ソラニカエル
大学というところは面白い。
一言話すごとに笑いだす教授や、講義よりも小ネタの方を聞いてほしいという教授がいたり、礼拝が毎日行われることをキリストのせいにして「なんでキリスト死んじゃったんだよー」と泣き出す生徒もいれば、某夢の国のように踏むとうめくマンホールがあるなんて噂もあったり。
そして広いキャンパス内、飛び降り防止のためといって屋上が進入禁止になっていても、どこかしら警備の甘い場所はあるはずであって、主に講義が行われる館のてっぺんに、その男はいる。
屋上歴二ヶ月の私に対し、彼は高二のときから今までの四年間という屋上キャリアを持つ、ベテランだ。新入生オリエンテーションの後、壁の排水管を登っていったら、彼と会った。あの時、彼は驚いたように私を見、それから何かを言って笑っていたが、何と言っていたかはわからない。その後、排水管なんて危険なものを登らなくても、工事用の足場から屋上に来られることを教えてもらい、私は毎日、屋上キャリアを積んでいる。
「かえりてぇ」
「先パイ、またですか。屋上から落としてやりましょうか。そしたら」
「帰れますって?今時の若い子は怖いねぇ」
彼はいつも、ふとした拍子に「かえりたい」と言う。以前「それなら帰ればいいじゃないですか」と言った時、高二のときの、屋上に上り始めたきっかけを教えてくれた。
『授業中にさぁ、夢を見たわけだよ。俺と同じくらいの年のキレーな子が、おれの眼をじっと見て言うの。「あなたの瞳はコスモスのようね」コスモスぅ?あの秋になると咲くやつか?「違うわ、宇宙よ」そっちか!「あなたはきっと宇宙の申し子ね。あぁ、早く‘こっち’にかえっていらっしゃい」かえる?どこに帰ればいいんだ?「そらよ。宇宙に還るのよ」。あれから俺は少しでも空に近いところに居たくてな、こうして屋上に居るわけさ。家に帰りたいわけじゃなく、俺は宇宙に還りてぇんだ』
あぁ。
私は確かそうつぶやいたはずだ。何に対しての納得だったか、今となってはもう定かではないが、彼は宇宙に還るのかと、あまりにぴったりで、絶望した。
「先パイ、自殺は手っ取り早い還り方ですよ」
「それ、宇宙じゃなくて土に還るから。お前、そんなに俺を殺したいか」
「いやだなぁ。先パイのためを思ってアドバイスしてるんじゃないですか。愛の最上級です。熨斗もお付けしましょうか?」
「いらねぇ…。この「かえりたい」ってのは、お前が思ってるような後ろ暗い言葉じゃねーよ」
そういって、先パイは笑う。
六月の空は、私のようだ。じめじめとして、腹の底に何かを隠している。先パイと二人でそんな空を見上げていて、彼はふと言った。
「お前も暇人だなぁ。毎日朝から晩まで大学来てんじゃねぇか。お前、金曜は講義無い日だろ?なのに構内ふらついたり、屋上来たりして。…まあ、俺も人のこと言えんけども」
「…好きなんですよ、大学が」
あくまで、大学が。
宇宙に愛され、宇宙を愛している人に、好きという感情を抱くほど私は馬鹿じゃない。馬鹿じゃないはずだ。だから、宇宙ではないけれど、六月の空のような私を愛してくれないか、なんて、思ったりはしない。初めて会ったときだって、何といっていたか聞き取れなかったのは、人がいたことに驚いたからであって、笑顔に見惚れていたわけじゃない。
彼に会いたくて、毎日大学に来ているんじゃない。
ただ、大学というところが面白いだけだ。
お読みいただきありがとうございました。
※昔書いた小説を再投稿しています。