98話 なにこの展開
開戦して五日経ちますが、戦闘が生じたという一報はまだ届いていません。きっと王国軍側からの懸命な折衝がなされているのだと思います。
ミュラさんは日中に三回ほど緊急通信を受け取り、その場で返信していました。相手はリシャールかオリヴィエ様でしょう。午前中に外出もされていたので、もしかしたら在レテソルの現王党派の方と連絡を取っているのかもしれません。これまで考えたことがなかったんですけど、それぞれの領地に王党派の大使館みたいのってあるんでしょうか。いちおう国内だからないかな。もしあるのだとしたら、安全面から言っても美ショタ様をそちらに匿いたい気持ちはわかる。
「ソノコ。テオくんが寝てから……話をできますか」
夕飯を食べ終わってミュラさんといっしょに洗い物をしていたら、小声で言われました。キター! ですよねー。いろいろいろいろ話さなきゃいけないことありますよねー。わかるー。「それあたしもいっしょでいいのよね?」と食後のお茶を淹れていた耳ざといレアさんがすすすっと寄ってささやきました。ミュラさんはうなずきました。
リビングのローテーブルにレアさんがお茶を出していきます。美ショタ様は本を読みながらそれに手を伸ばしました。手をタオルで拭いながらミュラさんが奥の一人掛けソファに座って、深い息をついてから「みなさんにお話しがあります」とあらたまっておっしゃいました。えっ、なにそれこわい。わたしとレアさんが座って、美ショタ様が本にしおりをはさむと、ミュラさんは切り出しました。
「わたしは、リシャール王太子殿下、ならびに現国王ラファエル陛下の特命を受けて参りました。現在わたしの身分は一等書記官ではなく、弁理公使です」
レアさんが口笛を吹きました。わたしは「えっ、なんか偉そう」という言葉を飲み込みました。美ショタ様は「なんか偉そうだね」とおっしゃいました。
「外交官を偉い偉くないで考えるのはどうかと思いますが……現在マディア領に滞在している現王党派の官吏の中で、一番責任が重いと言うことはできます」
「えっ、まじですか」
「まじです。ということで、こちらの家を公使館として借り上げます。そしてソノコ、あなたを副理事官として、レアさん、あなたを一等理事官として任期つき雇用します」
すっと任命書っぽいものが差し出されました。そこに置いてあったのねキャメルのブリーフバッグ。あっけにとられてわたしはそれを遠目に凝視しました。レアさんは自分の書類を取り上げながら「つつしんで拝命いたします」とおっしゃいました。かっけえ。
「え、僕は?」
「君はまだ未成年じゃないか。貴賓としておとなしく守られてくれ」
「えー、なんかずるい。僕もなんかかっこいい名前ほしい」
「考えておくよ。君のお兄さんが許さないだろうけど」
わたしの副なんとかっていう名前あげてもいいんですが! えっ、なにそれわたし公務員? カチカチアルバイターから突然公務員になった? まじっすか? いろんな疑問が湧くんですけど、「こう、こう」とろくろ回しポーズしかできませんでした。なに質問していいかわかんない。とりあえずぜんぶわかんない。
「わたしは現在こう着が続いている現状を打破するために先遣されました。和平協議へ結びつけるための交渉と働きかけをマディア公爵へとしていきます。あなた方にはその手伝いをしてほしい」
「微力ながら」
「それは謙遜だな、レアさん。もしかしなくてもあなたはバズレール元領事のご親族ではないですか?」
「あらあ。パパを知ってるのね」
「もちろん。レギ大陸戦争戦後処理の陰の功労者だ」
レアさんパパすごい人なんですね。「レアのお父さんすごい人なんだ」と美ショタ様がおっしゃいました。ところでミュラさんて冬期休暇で来たんじゃないんでしょうか。なんか仕事するムーブなんですけど。ぜったい休めないっぽい特命ですけど。立っている者は親でも使え精神ですね。現地へ行くやつには責任持たせろと。最初から働かせるつもりで送り込んだな。そうかそうか、つまり君はそんなやつなんだなリシャール。解釈全会一致。
明日からこの『公使館』にも警備が入るそうです。本当は美ショタ様を連れてもっと警備がしやすい物件に移動したかったようですが、事情に明るいわたしたちを徴用し保護もできるからいいか、と。そこもうちょっとがんばってほしかったですね!
一階にはリビングのほかに部屋が二つあって、ひとつを美ショタ様が、もうひとつをミュラさんが使っています。二階のわたしの部屋にレアさんがいっしょになって、レアさんの部屋を美ショタ様が使うことになりました。一階の二部屋は完全に公使館としての機能を持たせるみたいです。ミュラさんが部屋を移動する話は出なかったので、この人仕事する気まんまんですね。冬期休暇だろう君。もう少し疑問を持ちたまえ。ベッドの移動とかは明日人手があるときにやるということで、とりあえずお開きになりました。
レアさんがわたしの部屋に来て、状況の説明をしてくれました。
「全権公使や大使じゃなくて弁理公使だというのは、きっと現状での一番いい策じゃないかと思うわ。一般的な大使や公使は、任命に相手国の承認が必要なの。でも今それをできる状況ではないし、なによりアウスリゼ国内で大使を派遣するなんて、マディア領をひとつの『国』として認めたも同じことだわ」
あー、なるほどー。そりゃ話がこじれますね。「でも、弁理公使であれば特命大使とほぼ同じ権限を持ちながら、任命権は陛下にある。和平協議を提案する外交官として身分も申し分ないから、マディア公爵へ最大級の敬意をも示せる。いい落としどころだと思う」とのこと。そうなんだー。なんかすごい。みんな頭いいなあ。
静かすぎるノックがありました。わたしもそっとドアを開けました。ミュラさんがいらして、すっと中へ。
「夜分に、女性の部屋へ押しかけてしまい申し訳ない。ソノコ、あなたのこれまでの話を聞きたい」
具体的な指示はされませんでしたけども、もちろんリッカー=ポルカでのことでしょう。その中でも、軍議のこと。思い切って、わたしも話しちゃおうとさっき歯を磨きながら思いました。折しも、軍議のあとに領境基地内であてがわれた部屋のときみたいに、わたしとレアさんはベッドに、ミュラさんは椅子に座っています。サルちゃんのことを考えて、ちょっとだけ気持ちが沈みました。
「クロヴィスさんの婚約者のメラニーさん。たぶん、死にかけてます」
ミュラさんもレアさんも、一瞬で鋭い視線になりました。
「もしかしてそうかも、と思って軍議で言ってみたんです。こんなこじつけみたいな理由で開戦を急ぐのは、クロヴィスさんがはやく王様になりたいからじゃないかなって。婚約したままずっと結婚していないのも変だなって思っていたから。メラニーさん、もしかして危ないんですかって。どうしてそれを知っているのか、と言われました。あてずっぽうなんですけど」
ミュラさんはあごを抑えるように口元に手をやって考え込みました。レアさんは無表情で虚空を見ていました。他に伝えるべきことはなにかあったかと、わたしはちょっと考えこみました。「……あなたはなぜ、軍議に参加できたのですか」ともっともな疑問をミュラさんが口にしました。そうですね。それですね。
「あの……なんか。ラ・サル将軍に気に入られちゃって……」
とてもとても残念そうな表情とため息で、レアさんが深く深くうなずきました。「本当にあなたは、男運がないのね、ソノコ」とありがたくない宣告を受けました。身に沁みます。
いくらか細かな点を話した後、考え深げなミュラさんは席を立ちました。「ありがとうございます。また質問ができたときにはお話しさせてください」と、そっと音を立てずに去って行かれました。レアさんともおやすみを言い合って、それぞれの部屋で床に着きました。
おはようございます。おうちが公使館になって二日目の朝です。玄関前には雇われた現地の警備員さんが二人、四勤交代で立っています。通いの経理と通信物を扱う方も一階の部屋のひとつに詰めていて、ミュラさんの部屋は公使室です。そっこーこれを組織できちゃうミュラさんすげーと思いました。はい。
わたしの部屋で話したあと、ミュラさんは夜なべして公文書を作ったみたいです。そのまま朝イチで自分の足で通信塔へ赴き、リシャールの許可をもぎとって帰って来られました。そして、その文書をクロヴィスへ。
どうん、と蒸気自動車の停車音が聞こえました。ミュラさんもレアさんもいらっしゃるので、すぐに来客だとわかります。なにかを感じたのか、美ショタ様が二階から降りて来られました。わたしもキッチンスペースでやっていた、地元新聞向けの広報文作成の手をとめました。
警備員さんがひとりいらして、マディア公爵家からの使者が来たことをわたしに告げました。すぐにミュラさんへ伝えます。そして指示通りリビングへお通ししました。
わたしは退室し、ミュラさんとレアさんが代わりに入ります。しかしすぐにレアさんから声をかけられ戻りました。ミュラさんはじっとわたしを見ておっしゃいました。
「マディア公からお招きいただいた。『ソナコ・ミタ』を同伴するように、とのことだ」






