90話 まじっすか
一次避難先はリッカー=ポルカより五十キロほど南下したところにあるナムコヴィレです。わたしたちが到着したときには深夜で、それでも交通局の方たちだけでなく、多くの方が待ってくれていました。避難してきたリッカー=ポルカのみなさんは、親類のところへ身を寄せたり、交通局や公民館みたいなところに一時滞在されたりといろいろです。
白髪マダムシューちゃんさんとご主人は、やきもきして待っていらした息子さん夫婦にすっごく叱られながら連れて行かれました。お嫁さんがぺこぺことわたしたちへ頭を下げつつ去っていかれます。わたしたちはそれに返礼しました。
シューちゃんさんが、ご主人といっしょに持ってきた白いワンピース。蒸気バスの中で聞きました。結婚式で着た服なんですって。「――そんなもん、とっといたのか、おまえ」とご主人がおっしゃって、シューちゃんさんが「あったりまえじゃないの。あんたが初めて褒めてくれた服だもん」と答えました。
なんでしょう、この。なんかエモい。
レアさんとアシモフたんに合流できました。ベリテさんは無事ご親族のところへ行けたそうです。ノエミさんたちは交通局へ。一度みんなでそちらへ向かいました。
リッカー=ポルカに残っていた方、五十四人。全員の避難が確認できました。
「ソノコ…………本当にありがとう」
事務所内で、ノエミさんがわたしの手をとっておっしゃいました。「あなたが来てくれてよかった。あなたが留まると言ってくれてよかった。こんな風に、だれひとり欠けることなく避難できたのは、あなたが車掌だったからだわ」と、うれしいお言葉をくださいます。
「ちょうど、一カ月よ。そしてこれが、最後の走行。あなたのお勤めは、ここで終わり。今、業務完了報告書を書くわ。それを持って、胸を張ってレテソルへ戻ってちょうだい。ありがとう。本当にありがとう」
「……ノエミさん、でも、この後が大変じゃ」
「それは織り込み済みよ。ナムコヴィレや他の街とも連携をとってある。見て。だれも寒空の下に放り出されなかったでしょう?」
わたしは深くうなずきました。受け入れ用意は万端だったようです。業務完了報告書を受け取りました。わたしの名前が記入された、リッカー=ポルカ交通局の印が入った書類です。わたしにとっては表彰状にも思えるものでした。だけどできなかった、為せなかったことを考えて、少しだけ泣きたくなりました。リッカー=ポルカ交通局の方、全員と握手をしました。みなさん「ありがとう」と言ってくださいました。わたしからも同じ言葉を伝えました。
ほかになにかできることはないかな、と思い巡らしながら、わたしはレアさんがすばやく確保してくれていた宿へと向かいます。
おはようございます。それなりに疲れていたみたいで、ぐっすりと夢も見ないで眠りました。それでも目が覚めたのは早い時刻で、わたしが起床した音に、レアさんも起きてこられました。
窓の外は、晴れています。昨日のうちに、目が覚めたらすぐにレテソルへ向かおう、とレアさんと話し合っています。開戦の一報が出れば、道が混雑して移動に長い時間がかかりそうですから。リッカー=ポルカの人たちと別れを惜しみたい気持ちもありましたが、わたしには他にできることがあると思ったから。
察したベリテさんが、宿の入口にいらっしゃいました。その姿を見てこみあげるものがあって、ちょっとだけ泣いてしまいました。ぎゅっと言葉なくお互いハグしました。
「またね」
「はい、また」
持たせてくれたのは、まだあったかいマフィンサンドイッチでした。「あの子には、これ」とアシモフたんのごはんもくださいます。レアさんもベリテさんとハグして、「本当にお世話になったわ、ベリテさん」「たのしかった。また来てね」と最後のあいさつ。
アシモフたんがちょっと寝ぼけていて、それでもベリテさんを見かけると大きくしっぽを振っていました。レアさんの自動車に乗り込んで、出発です。移動しながら、ありがたくマフィンサンドをいただきました。
南へ、南へ。雪景色が遠くなったころ、一度休憩で立ち寄った街にて、号外新聞が発行されていました。広場は我先にとそれを求める人たちで埋め尽くされています。手にした人から順番に嘆きの声を響かせ、あたりは騒然としていました。
心が静かに、絶望して行きました。あらかた人々がはけたころに、わたしも自動車から降りて号外を求めました。そこには軍議で話されていた宣戦布告の声明が、ほとんどそのままの形で載っていました。
開戦、しました。
お昼ごはんも自動車の中で食べました。見かけたパン屋さんで買ったサンドイッチでしたけど、やっぱりベリテさんが作ったものの方がおいしかったです。
夕方には、懐かしいレテソルのお家へ。ポストが中身ぱんぱんになっていて、レアさんとふたり半分こして持ちました。長距離運転をしてくれたレアさんには、リビングでぐでーとしていただいて、わたしはひさしぶりに立つキッチンでお茶を沸かします。
「ミュラさんに、ユーグなんとかさん。それにボーヴォワール宰相閣下からも来てるわ。ソノコもてもてね」
「えっ、まじですか、オリヴィエ様からも⁉」
「手紙は逃げないわ、落ち着いて」
運んでいるお茶をこぼしそうになったわたしへ、レアさんが笑っておっしゃいました。「――あら? これ……」と、ひとつの白い封筒を手にとっておっしゃいます。
「……ボーヴォワール? 宰相閣下のご親族から?」
わたしはお茶を飲むこともとりあえず置いておいて、オリヴィエ様からの手紙を慎重に開封することに取りかかりました。もし万が一封筒を破ってしまったら重要文化財を毀損した罪で死刑になります。オリヴィエ様直筆。わたしの名前。しぬ。死刑になる前にしぬ。封蝋、封蝋がかっこいい。これたぶんオリヴィエ様個人の封蝋紋。すてき。すき。なかなか時間がかかり、中身にたどり着けません。ああああああああもどかしい。でもここで仕損じたら自決する。
「……ねえ。ソノコ。たぶん、こっち先に読んだほうがいいわ」
目の前に封筒が出されました。差出人はテオフィル・ボーヴォワール。……ん? だれ? たしかにオリヴィエ様と同じ姓ですね。わたしは受け取って、さくっと開封しました。
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ソノコ・ミタさんへ
先日はレテソルの冬季リーグの詳細を教えてくださってありがとう。限定雑誌を送ってくれたのも良かった。
僕なりに研究してみたけれど、やっぱり自分の目で見るのが早いと思った。なのでしばらくそちらへお世話になりに行きます。よろしく。
テオフィル・ボーヴォワール
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……ん?
読んでもちょっと謎でした。だれ。レテソル冬季リーグの詳細データが載った雑誌は、たしかにオリヴィエ様宛に送りましたね! 弟さんがファピー好きだとおっしゃっていたので! 消印は三日前で、速達でした。首をひねっていると玄関ブザーが鳴ったので、ひとまず手紙をそこに置いて応対に出ます。
「はいー、どちらさまでしょうー」
ドアを開けると、わたしより拳ふたつくらい背が高い、赤毛に澄んだ水色の瞳の男の子がいました。だれ。
「こんにちは。ソノコ・ミタ? 本当に小さいね」
「はい、園子です。どちらさまでしょう」
「テオフィルだよ。手紙を書いた」
どうん、と道路側で自動車が止まる音がしました。そして通信社の制服を着た男性が早足で来ます。
「ソノコ・ミタ様へ、緊急通信です」
受け取りました。
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弟がそちらに行ってしまった。すぐに迎えに行くから、どうかそちらで預かってくれ。くれぐれもよろしく。
オリヴィエ・ボーヴォワール
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