88話 それぞれの分を果たすだけ
わたしのことなんかもちろんおかまいなしで、その後の軍議ではどんどん開戦へ向けての計画立案がなされていきました。宣戦布告の声明文もことこまかに決められていきます。むしろもう文章の大枠はできていて、現状に合わせた小さな修正案を出したような感じです。雪が晴れたらそれをすぐに中央のクロヴィスへと送り、そこで精査されて完成原稿にし、正式に全国へと、そしてリシャールへと届けられるのだそうです。わたしはそれを呆然とながめて聞いていることしかできなくて、なんでここにいるんだろう、とぼんやりと考えていました。サルちゃんはわたしが『シキイ』様をどうにかできるかも、なんて言ってここまで連れて来ましたけど、たぶんそうじゃない。きっと、わたしに現実を見せるために連れてきたんだ、と思いました。サルちゃんを止めたところで、なにも変わらない、と。
マディア北東部事変は、起こらなかったのかもしれない。だとしたら、戦争に関わる死傷者はまだないということです。でも、わたしは本当にそれだけしか考えていなかった。わかっていたのに。ここは現実世界で、二次元イラストではない生身の人たちが生きる場所で、物事が一方向だけに動くわけではないって。それなのに都合の悪いところには目をつぶって、グレⅡシナリオの型さえ崩せば万事丸く収まると思い込んで。バカだなあ、バカだ。本当にバカだ。でもじゃあ、他になにができただろう。
心が沈んでちょっと泣きそうになると、そのたびにサルちゃんが頭に手を乗せてくれました。察知能力すご。でももう意地でもここでは泣きません。やろうと思っていたことがだめだったなら、次の手段を考えなきゃ。想定していた状況にならなかったのなら、置かれた状況での最善策を考えなきゃ。サルちゃんと他のお偉いおじさんたち、そしてクロヴィスが戦争をすると言うのであれば、その状況でわたしがなにをできるかを考えなきゃ。たとえ焼け石に水なことであっても。全力で水をぶっかけなきゃ。そうやって今までやってきた。
会議は途中休憩を一度はさんでけっこう遅くまでやっていました。こんなときでもしっかりお腹はすくんですよね。配られた燻製肉みたいのを、話を聞きながらあむあむ食べました。見た目よりジューシーでした。ちょうど日付が変わったころに「もう、いいんじゃない。これ以上はその場になってみなきゃわからんさ」とサルちゃんが言って、みんなが賛同して解散です。
ノエミさんはもう休んでいるそうです。わたしはその隣の部屋をあてがわれて、中に入りました。そしたらノックがあって、ドアを開けたらノエミさんでした。
「待ってた。気になって……」
そりゃそうですよね。中に招じ入れたところ、またノック。「晩ごはん持ってきたよー。ノエミさん、一杯どうだい」とサルちゃん。「いただくわ、一杯だけ」と、珍しくノエミさんはおっしゃいました。
部屋は気を利かせたどなたかが、隅にある火鉢へ火を入れて温めてくれていました。息は少し白いけれど、朝まで過ごすだけなら十分。ノエミさんが「どうだった?」と尋ねられたので、「開戦するって」とわたしはつぶやきました。
ベッドと椅子が一脚。それにガタガタいう小さなテーブル。それだけの部屋。わたしとノエミさんはベッドに座って、なにも言えずにただ手をつないで、ちょっと泣きました。サルちゃんは一度だけ椅子をギシッと言わせて、ただちびちびと酒杯を傾けていました。
おはようございます。いけないかなーと思いつつ、コートを着たままベッドにもぐりこんで朝を迎えました。ノエミさんも起きていそうな音がしたので、廊下に出てドアをノックしてみました。たぶんおんなじ部屋に居たほうがあったかいと思うんですよね。わたしの部屋の火鉢の火がちょうど消えかけだったのでちょうどよかったです。ふたりでお手洗いへ行ったんですけど、当然ながら男性女性に分かれていない……のでかわりばんこに入って、ひとりは外で見張っていました。個室から出たら男性と出くわすとか避けたいし……。
換気口はありますけど窓がない部屋だったので、外の様子がわかりません。でも、もう開戦は避けられない事態だとわかったので、二人でこの後どう動くかの相談をしました。吹雪いていてもいなくても、ひとまず領境基地の南側、リッカー=ポルカからは南東にあるチダルス村へ。コブクロさんがふられてレアさんが子どもたちにきりきり舞いしたところですね。そこにはリッカー=ポルカから一次避難している交通局の職員さんがいます。拾って、リッカー=ポルカに残っている人たちの回収業務へ。そのために残っていたんですから。
そして、事態をふれ告げるためにリッカー=ポルカ市内を一周。各バス停に一時停止して伝声管を外部に向け、避難の準備を呼びかけます。そこで自力で移動できる方はそうするでしょう。けれど残っているのはほとんど移動の足がない方たち。なので、いつも通り日に三度、同じ時刻にバス停へ来ることも告げます。乗せられるだけ乗せて、順に有事の際の取り決めを交わしているもっと南方の街へと向かいます。蒸気バスは三台あるので。一日で済むでしょうか。わかりません。開戦後すぐに身の危険が迫るでしょうか。わかりません。わからないから、最悪の場合の最善を取るんです。そうしよう、とわたしたちは決めました。
朝ごはんの時間にもならないうちに、二人で部屋を出ました。通りがかった警備隊員さんに、リッカー=ポルカへ戻る旨をサルちゃんに言付けてもらおうとしたら、ひどくあわてて「少々お待ちください!」と言われました。待たないで蒸気バスへ向かいました。
外はまだ、雪が降っています。どのくらいの天候になれば通信が可能になるのかわたしにはわかりません。でも、晴れ間になって事態が決定的に動く前に、わたしたちにだってできることがあるはずです。
蒸気機関車は、その動力となる蒸気の一部を専用の管を通して客室へと行き巡らせ、暖房とするのだそうです。けれど蒸気バスはその大きさから、今のところ蒸気をすべて走行エネルギーにするだけの機材しか積めなくて、そのかわりにストーブが真ん中あたりにあるんです。あの、おばあちゃんちにありそうな円筒形のストーブ。燃料は石炭。火を入れて発進準備をしていると、「やあ、早いねお二人さん」とサルちゃんが来ました。
「もう行くのかい。ゆっくりしていけばいいのに」
「まさか。今のうちにできることをしなければ」
ノエミさんが答えた言葉に、わたしもうなずきました。なかなか火がつかなくて、蒸気バスの中は昨日と同じくまだ外気温のままです。「ほら、二人とも。これくらいは食べて行きなよ」と、サルちゃんが懐から紙に包まれたパンを出してくれました。お礼を言って受け取って、言葉なくわたしたちは食べました。そのうち炭火が赤くなって、じりじりと熱が放射されて行きます。わたしはそれを見ながら、サルちゃんとはここでお別れになるんだろうな、とぼんやり考えました。
「サルちゃん。元気でいてください」
「もちろん。たぶんじいさんになってもピンピンしてる」
「お酒は控えめにした方がいいです」
「それはなー。努力目標だなー」
ノエミさんが立ち上がったとき、サルちゃんも腰を上げました。わたしも座っていた席から立って、サルちゃんにぺこりと頭を下げました。なにも言わずにサルちゃんはわたしの頭をぐしゃぐしゃして、そして降車しました。お互いさよならなんて言葉は口にしませんでした。






