72話 すっと冷静になりました
まあとりあえず、下見の目的は果たせました。ので、しらーっとした視線なんてつらくありません。はい。ちょっと泣きそうなんてことはありません。はい。
「鮭……いませんでしたね」
見てみたかった気持ちはあるので、基地に戻りながらちょっとだけがっかりして言うと、「まあこの時期だしねー。暖冬だからいる可能性もあったけど」とサルちゃんがおっしゃいました。
「サルちゃんはリッカー=ポルカに住んでいるのです?」
将軍とか言われれる偉い人がなんで田舎のバーの常連なのか気になっていたので、尋ねてみました。「うん、二年くらい前からねー。住んでるよー」とのこと。
「まじですか。新参者のわたしに、地元の人と仲良くなる秘訣を教えてください!」
「いやいやいや、どう考えてももう仲良くなってるでしょ、ソナコちゃんは。びっくりだよ。僕なんか仕事もらうのも苦労して、一年くらいかかったのに」
「サルちゃんここでお仕事してるんだー!」
「うん、土建関係のねー。体動かしときたくて」
わたしたちの前を歩いてレアさんを護衛している三人が聞き耳立ててビビっています。そうでしょうね。将軍様が土建のバイトしてるとか聞いたら。生活たいへんなんでしょうか。てゆーかマディア公爵家騎士団って副業OKなんですね。
領境警備隊と騎士団は、連携取って動いているみたいですけど、別組織です。騎士団の中に領境警備隊っていうカテゴリーがあるっていうか。なのでお給料の出どころはどちらもクロヴィスからですね! これだけの人たち養うってたいへんですね。がんばれクロヴィス。
サルちゃんはなんでリッカー=ポルカに移住してきたのでしょう? やっぱり領境警備に関することでなんでしょうか。その割には、みんな居ること知らなかったっぽい反応でした。顔も知られていなかったみたいですし。地方公務員と官僚がおんなじ公務員でもぜんぜん違う職種で顔合わせることもなさげな感じと似てますかね。違いますかね。まあいいです、そんな感じで理解しておきます。
で、基地の裏通用口に戻って来ました。ここを通って事件発生現場まで行くのは警備隊員じゃないと難しいので、どうやってこの建物を迂回するか、できるか考えながら歩いていましたが、なにも思い浮かびませんでした。はい。どうしましょうね。
通用口を入ると、領境警備隊の制服に勲章みたいのをいくつかつけた黒いおひげのおじさんがいて、迎えてくれました。ここの偉い人でしょうね。
「やあ、ビギャール。ちょっと痩せたんじゃないか」
「そう言うあなたはお変わりなさそうだ、ラ・サル将軍。こんな領境くんだりまでお越しいただけるとは思わなかった。ご連絡いただければお迎えにあがったものを」
「んー、まあ。個人的に来てるだけだし? あんま仕事したくないし?」
さっき土建のバイトしてるって言ってませんでしたか、サルちゃん。
コラリーさんと旅籠のベリテさん、そしてノエミさん含むマダムたちは食堂でかしましくされていました。おじいちゃんがゆっくりとみんなの言葉にうなずいています。壁側に立って見張っている警備隊員さんの目が遠くなっていました。「お待たせしましたー。じゃあ、帰ります?」とわたしが声をかけると、「そうねー」とみなさん腰を上げました。
「ちょ、ちょっと待ってください、将軍」
おひげ勲章おじさんが、わたしたちといっしょに帰ろうとするサルちゃんにあわてて声をかけます。そりゃそうだ。「サルちゃん、残らないんです?」とお尋ねすると、「仕事したくないもん」ととてもとても率直な返答がありました。
「それに、ソナコとも話したいし。コリちゃん、夜開けてくれるかい?」
「もちろんよー。今日はこの服でお店出るわ!」
「うん、素敵だよ。いつもの地味なのよりずっとコリちゃんがかわいく見える」
「サルちゃん言うわねえ! お通しちょっといいの作るわ」
ということで、わたしは今晩バー・ポワソン・ド・テールにお邪魔して、サルちゃんから詰められることになったみたいです。はい。怖いですね!
サルちゃんを引き留めるおひげ勲章おじさんをガンスルーして、蒸気バスのところまで来ました。レアさんはしっかりアシモフたんを警備隊員さんに預けていったみたいです。お兄さんたちに遊んでもらえてよかったね、アシモフたん。そしてレアさんのかっこかわいい自動車、なんだか有名車らしくて。数名の警備隊員さんたちが村の子どもたちみたいに取り囲んで「すっげー」とか言いながらキラキラした目でいろいろな角度から見ていました。女王陛下に蹴散らされていました。
帰宅時はレアさんの自動車にベリテさんが乗って、そのままいっしょに旅籠に帰って。わたしは車掌さんとしてみなさんの帰りを見送ってから、ノエミさんと交通局に戻りました。サルちゃんも一度はお家に戻って、「じゃあ、あとでねー」と言われてしまったので、やっぱり行かなきゃならないみたいです。はい。さて、言い訳を考えなければ。
「ノエミさんもいっしょに行きましょう‼」
だれかといっしょならきっと詰められない、という一縷の望みをかけてお願いしてみました。でも「あたしねー、次の日に残るタチなのよー。明日運転あるからやめとくわー。たのしんできてー!」とのこと。つれない、ノエミさんつれない!
結局しらん顔でブッチすることもできなくて、てくてくとぼとぼ。するとどうでしょう。レアさんがやってきて合流してくれたのです……!
「あたしも、ソノコがなんであそこに行きたがったのか興味があるから」
……詰める側の人でした。怖い。ちょう怖い。たしゅけてだれか。で、どうにもならないままコラリーさんのバーに着いてしまいました。
開店札が下がっていたので、ドアを開けて中に入ります。ら。なぜか、先ほどの蒸気バスに乗っていたメンツのほとんどが、そこにいらっしゃいました。はい。旅籠のベリテさんがいらっしゃらないだけ。しかも、マダムたち三人の様子があきらかにおかしい。「こんばんはー」と言ってみましたけど、返事をしてくれたのはコラリーさんとサルちゃんだけでした。
近づいて……わかりました。みなさん、あのかわいい服がどこか破れていたり、髪の毛がぐちゃぐちゃになっていたり。白髪のマダムは、明らかにはれた頬をタオルで冷やしていて。
自分のことでいっぱいいっぱいになっていた頭が、事態を飲み込んで急激に心を冷やしました。そうか、そうだよね。みなさん、ご主人から蒸気バスに乗ることも、かわいい服も、禁止されていたんだった。






