55話 なにもなかった……いいね?
次の日、週末です! ファピー冬季リーグオープン戦のカチカチの日です。レテソルでは、交通局の制服は黄色と白のボーダーポロシャツみたいのだけでした。かわいい。スカートは自前ので、こちらで買ったジャージ生地っぽいベージュのやつ。今日も観戦してから帰るので、群馬で買った足が疲れないふしぎ黒ヒールにしました。
カチカチのやり方はルミエラ交通局のと変わりませんね。ただ、ルミエラ競技場はドームっぽかったんですけど、レテソルは完全にスタジアムって感じで入場ゲートもふたつだけでした。ちょっとだけ小さいハマスタって感じ。ハマスタ行ったことないけど。収容人数も2万2千人とのことなので、やっぱりルミエラよりは小さいですね。手分けしてカチカチります。
わたしのカチカチームの平均値は1082でした。もうひとつのチームと平均して、だいたい1万人弱来たみたいですね。オープン戦ですし!
さて、お仕事終わりました。植木のあたりにこそっと隠れていたレアさんと合流して、ファピー観戦、たのしんできます!
もらったチケットは外野の交通局がシーズンで買っている場所です。内野近くの席ももちろんいいんですけど、試合内容を俯瞰できる外野もすっごくいいですよね! だいすき! レテソル交通局のわたし担当の、波乗りロランス・デフォルジュさんもいらしていました。彼女さんといっしょ。本当に波乗りしているのかどうかは知りません。乗ってそうってだけです。
二人で席に着いたときには、オープン戦のセレモニーが始まっていました。今日プレイする二チームの中で冬季リーグ初参加選手の名前が読み上げられていきます。当該選手は小走りでマウンドあたりまで行って、四方八方に手を振りました。ずっと歓声と拍手と指笛が鳴っています。ティミー選手の名前が読み上げられたとき、わたしは「ぎゃああああああああああ」と言いながらめっちゃ拍手しました。レアさんが笑っています。
そして、この冬季リーグいっぱいで引退される、ラキルソンセンのチームから派遣されたバッテリーコーチの紹介がありました。すっごい歓声。ティミー選手は投手ですけど、このコーチが引退発表したので今回の冬季リーグに参加したとのうわさがあります。チームが違ったので教えを請う機会がこれを逃したらないってことみたいです。そこまで慕ってもらえるコーチってすごいですよね。
始球式です。オープン戦でもあるんですね。小さくてあんまりよく見えませんでしたけど、アナウンスによると地元の学校の成績優秀な女の子みたいです。遠目にもピンクのスカートで、おしゃれしているのがわかります。ワンバウンドしたところでバッターがおもいっきりスイングしました。転がったボールをキャッチャーが拾って、球審がストライクコール。女の子は深々と一礼しました。
試合が始まると、どこからか飲み物の差し入れがありました。販売員さんがいらして、お会計はもういただいていますって。レアさん目当ての方からだっていうのはわかっていますけどしっかりわたしもオレンジジュースをもらいました。差額でスナックも二種類。匿名だったので販売員さんに「よろしくお伝えください」とお願いしました。
三回裏、どちらも得点なしです。お手洗いついでにちょっとスタジアム見てくるーとレアさんに言って席を立ちました。奥さんとお子さん連れのおじさんばっかりだったし、レアさん個人に声をかける勇気あるメンズはなかなかいないのでだいじょうぶだと思います。
なんというか、わたしが住んでいた群馬がある世界はわりといろんな技術が発展している方だと思うんですけど。電気のことは置いといて、他はほとんど遜色ないんじゃないかなってくらいなんですよね、グレⅡ世界。とくに建築関連。このスタジアムだって、多くの人が集うこと前提で設計されているわけじゃないですか。わたしが行ったことあるスタジアムはレベスタくらいですけど、ほとんど変わらないです。本当に。ファピーできる作りなので形は違いますけどね!
お手洗い済ませてちょっと一階のお店とか見て回りました。お好み焼きとピザの中間くらいのものをみつけました。おいしいと思います。グッズの売店はちょっと遠いので、帰りに寄りたいと思います。
わっと歓声が上がりました。すごいどよめき。えー、なになに⁉ で、席に戻ろうと思ったんですね。ちょう急いで。なのでショートカットコース狙って、目の前の細い階段を上ったんです。たぶんここ上がって、右に真っ直ぐ行けば外野席。そしたらですね。なんかよくわからないところに出てしまいました。おやおや。もしかしなくてもプレミアムなお席のコーナーじゃないかい。お呼びじゃないので退散しようとしました。そのときです。
「たすけて‼」
歓声にまぎれてかすかに聴こえた声に、びくっと足が止まりました。反射的にぐるっとあたりを見回して、野球帽っぽいのをかぶった男性に女の子が抱きかかえられるところを目撃してしまいました。えーっ⁉
男の人は左肩に女の子を担ぎ上げるようにして立ち上がり、こちらに背を向けてわたしが上ってきたのとは違う階段を降りようとします。まずいまずいまずい! 観客は全員試合に集中し、女の子の声はそれにかき消されます。案内の係員さんもいません!
うわあああああああああああ! どうしろっていうのおおおおおおおおおおおお!
二人前のお好みピザを両手に持ったまま走りました。無我夢中です。階段にきて、駆け下りていく男の人の背を追いました。女の子がこちらを見ます。金髪ツインテの可愛い子。足を滑らせたかと思うような四段飛ばしを二回半して追いつくと、わたしは数段上から男の人の後頭部に右手のお好みピザを叩きつけました。
「あっち゛ぃ゛い゛いぁ‼」
女の子が必死に身じろぎします。とっさに後頭部を押さえようとした男性は女の子を取り落としました。男の人が起き上がってこちらを向いた瞬間すかさず左手のお好みピザを顔面へ。あつあつです。
騒ぎを聞きつけたスタジアム係員さんが数名走ってきて、階段を駆け下りて助けを求めた女の子が保護されました。わたしはそれを視線の端に確認して、階段を駆け上がります!
――三十六計逃げるに如かず!!!!
これ、じいちゃんがいっつも言ってたけど実践するの初めて‼ ぜったい適用間違ってるけど‼ ごめんじいちゃんと昔の人‼
何事もなかったかのようにわたしは席に戻りました。ええ、なにもなかったんです。いいね? レアさんから「ソノコ……すごい汗よ」と指摘されましたけど、「太陽がまぶしかったから」と答えておきました。はい。
あー、どっと疲れたー。オレンジジュースおいしー。






