45話 泣かなかったわたしをほめて
「美味しいですね。すべてバズレール嬢が作られたのですか?」
「あらあ、ソノコも手伝ってくれましたよー。ソノコ、あたしが知らないテクニック持ってて。『アクヌキ』してもらって作ったから、さらに美味しくなってるわ」
アウスリゼにはアク抜きやアク取り文化がないみたいです。だからなんとなくざっくり大味のが多いんですかね、もったいない。「これはエグみの成分だから取った方が……」と言ったときの、レアさんのキョトン顔かわいかったなあ……。せっかく延ばした寿命またノーカンかなあ……。
着替えてついでに顔剃りしてメイクもしてこようと思ったんですけど、レアさんにとっ捕まってむりでした。「ソノコ、あなたはそのままで十分かわいいわよ。自然体でいなさいな」と耳打ちされたんですけど、超絶美人に言われるのは自尊心回復しますが信憑性は薄いというか。とりあえず眉毛つながってないかだけ確認したいというか。スプーンで確認しました。よかった、だいじょうぶ。ちゃんとふたつ。
「それと『バズレール嬢』なんてよしてくださいな。レアでいいわ」
「わかりました、レア」
――なんとおおおおおおおお‼
ミュラさんが硬直した瞬間を見ました。手に汗握る展開です。なんと、なんとオリヴィエ様がレアさんを呼び捨てに‼ ミュラさんですらがんばって最近「レアさん」て呼べるようになったというのに、それを一足飛びで‼ まあわたしはそもそもオリヴィエ様にとってはレアさんが部下みたいなものだって知ってますけど。ミュラさんの心中やいかに‼ 他人事ながら複雑な気持ちです。ミュラさんがんばって‼
「じゃああたしは閣下をなんとお呼びすればいいの?」
レアさんが笑顔で言います。ミュラさんがフォークを持つ手をぎゅっと握りました。せつない! これはせつない! 目の前で他の男性と親しくなっていく意中の女性! いえわたしは最初からこの二人が旧知だって知ってるんですけど! なんだこの茶番!
「お好きなように」
「じゃあ、ソノコみたいに『オリヴィエ様』ってお呼びしようかしらね?」
……ぎゃああああああああああああああああああああ。なんでバラすのおおおおおおおおおおおおおおおおおお。
わたしの向い側に座るオリヴィエ様が吹き出して、「私をそんな風に呼んでいるんですか、ソノコ?」とおっしゃいます。眼差しがっ眼差しがあったかい! いやあああああああああああああああ。
「ミュラのことは? エルネスト様?」
「いえ……ミュラさんと……」
「オリヴィエ様はソノコの特別ですもの。ねーっ」
たのしそうに追い込んでくるレアさんがうらめしい。顔上げられない。ミュラさん、ミュラさんにどうにか話題を向けなければ……。と思ったけどこの場を切り抜けるブレイクスルーな妙案はないのでした。ただ、レアさんにオリヴィエ様への気持ちはないのがわかったのか、ミュラさんの顔色がちょっと良くなった気はします。はい。オリヴィエ様とレアさんの微笑ましげな空気感は消えませんが。はい。穴があったら入りたい。
イネスちゃん、とても賢くて優しい子です。ごはん食べ終わってアシモフたんとリビングでボール遊びしていたんですけど、ミュラさんの揺れ動く気持ちを読み取ったのか、とてとてと食卓テーブルまでやってきました。そしてミュラさんの足元へ。なんて思いやりのあるいい子なんでしょうか。アシモフたんは「なんでそっちいくのー!」みたいな感じで「わん!」と一声鳴きました。
食事が終わって、わたしとレアさんが片付けを始めるとミュラさんも手伝おうとしてくれます。毎回そうなんです。いい人。「今日はお客様がいらっしゃるから、お相手していて?」とレアさんがお願いすると、うなずいてリビングへ向かわれました。オリヴィエ様はずっとわんこが気になっていらしたらしく、今めっちゃ二匹をもふっています。オリヴィエ様犬派。解釈一致。やだうれしい。
「ソノコ、がんばってね!」
食器を下げてお湯を沸かそうとやかんに水を入れていると、にこにこ顔でレアさんにささやかれました。わたしはなにをがんばるんでしょうか。それはほどなく明らかになります。リビングで待ち受けているのは、ただのイケメン愛犬家ではなかったのです。
「――さて」
お茶を淹れてリビングに行き、ローテーブルに並べたところで、オリヴィエ様が低い声でそうひとことつぶやきました。じゃっかん体感温度が下がった気がしますが隙間風かな? まだ食器を洗っているレアさんのところへ戻ろうとしたら、「ソノコ。そこに座ってください」と言われました。はいよろこんでー。
指示通りソファに座ったら、なんと隣にオリヴィエ様が。ふおおおおおおおおおおおおお。何度体験しても慣れませんたすけてください主にしぬ。わたしの方に体を向けて、前傾姿勢でわたしをそのきれいな紫の瞳でご覧になります。しんだ。わたしのお墓には花の種を植えてください。できればキキョウかスミレがいい。
「せっかくですから。腹を割って話しましょうか、ソノコ。今ここにいるのは、あなたの状況をよく知る、身元のしっかりした者だけだ。なにを話されても誰も、どこにも漏らしません。必要なら誓約書を作りましょう」
――これは。
詰められてる。わたし、詰められてる。
ミュラさんがいつもお持ちのブリーフケースから書類一式をさっと出して「項目は」と一言。「イグレック式で」とオリヴィエ様。なにやら呪文めいたものをミュラさんがまるで定規でも使ったかのように速記して行きます。なにそれなにそれなにそれ。えっ、こわい。なにそれこわい。
「あのっ、そんな立派な書類とか必要ないんで!」
「あなたには黙秘する権利があります。あなたから聞いたことは次のいずれかに該当しない限り、あなたの同意なしに私たちは他言しません。すなわち、人の生命、身体や財産の保護のために必要な場合で、あなた自身の同意を得ることが困難である場合。国の機関もしくはその代理団体や個人が法令の定める事務を遂行するにあたりその情報が必要とされる場合に、あなたの同意を得ることにより当該事務の遂行が損なわれるとみなされたとき――」
「ええええええ、あの、同意します、同意しますから‼」
「よろしい。では署名を」
こっわ。ちょうこっわ。泣きそうになりながらミュラさんが即席で作った書類四通に署名しました。私の次にオリヴィエ様、ミュラさんが署名して、「なにー、なにしてるのお?」と手を拭きながらやってきたレアさんが最後に。こっわ。そういやわたしアウスリゼの要注意人物なんでした。
「では――ソノコ。あなたのお話を聞かせていただきましょうか」
わたしの方に体を向けたまま、オリヴィエ様が長いおみ足を組みました。






