39話 心の準備時間くださいません?
「で、ソノコはオリヴィエ・ボーヴォワールを狙っているの?」
ある日夕食中に前触れなくレアさんから尋ねられました。……オリヴィエ様を呼び捨てにするだけに飽き足らず、わたしをかの方と同等の価値ある動物として扱うとはなんたる胆力……! その圧にわたしはスプーンでラザニアを掘った状態のまま硬直しました。
「で、どうなの?」
「ないないないないないないないないないないないです」
「……なんでそこまで否定するのよ」
「そもそも! わたしと! オリヴィエ様を! 同列に! 扱うのが! 人としてありえないです!!!!」
「人として⁉ あたし人道踏み外した⁉」
アシモフたんがダイニングテーブルの端っこに手をかけてわふっとしました。同意とみなします。圧倒的多数決により本会議は可決されました。そうです、わたしとオリヴィエ様を同列に扱うのは人として(ry
「なによ、そこまで卑下することないじゃない。ソノコはかわいいわよ。あたしと同い年とか思えないくらい若くてうらやましい。ロリコンほいほいよね」
「いやあ……お国ではそんなこと言われたことなかったんですがねえ……」
こちらにはそもそも東洋系の顔立ちの人がいないんですよ、見かけたことないです。……そりゃこの凹凸のなさを考えたら幼く見えるでしょうて。
「ところで。今月末の仕事ってエボニーのコンサートでしょ?」
「そうですよー」
「バルコニー席取っておくね♪」
やっぱそうかー。そうなるかー。
バルコニー席ってあれでしょうか。席何個かある個室みたいな感じですかね。わたしはちょっとだけキューピッドな気持ちでレアさんへ尋ねてみました。
「それって、他にも人座れたりするスペースです? いつもお世話になっているので、ミュラさんもお誘いしちゃだめです?」
思ってもみない提案だったのでしょう。レアさんがきょとんとした顔をしました。あー、美人のきょとん顔うめぇ。そして満面の笑顔で「そうね、そうよね! わたしたちだけで満喫するなんて、もったいないわ! ねえ、あたしから招待状書いてもいい?」とのこと。
願ってもないことですね。ミュラさんそれ神棚に飾るんじゃないでしょうか。神棚あるか知らないけど。「よろしくお願いします!」と一任しました。よかったねミュラさん。
さて、当日です! 世界的歌姫の来アウスリゼコンサートの計測です! チケット半券数えた方が確実じゃね? と思ったのはないしょです。お仕事ですから!
歌い手はエボニーさんとおっしゃる四十三歳の黒人シャンソン歌手さんです。黒人はいらっしゃるのになぜ黄色人種はいないんでしょうかグレⅡ世界。制作チームになにかコンプレックスでもあったんでしょうか。そしてシャンソン歌手なのに黒人なのは新しい。そこはジャズじゃないのか。謎は深まるばかり。
約二十年ぶりの来訪らしいですね。ご出身はアウスリゼらしいですけど。昔よりも音響設備が整った国立歌劇場での公演とのことで、老いも若きもおめかしして列に並んでいます。思っていたより数えやすそう。そうね、この人数なら紙切れ後から数えるよりカチカチのが楽かも。
計測が終わったら、すぐ着替えられるようにってわざわざレアさんが着替えスペースまで押さえてくれました。そこで待っててくれるらしいです。「ミュラさんお待たせするの申し訳ないので、先に席へ着いていてください」と言ったんですが、「ソノコ、覚えておいて。女の着替えを待てないような男は、自分のことしか愛していないから切っていいわ」となんか意味深なことをおっしゃいました。承知しました。
レアさんは手回し蓄音機をお持ちなので、先日エボニーさんが二十代だったときの音源を聴かせていただきました。まじで鳥肌モノでしたね。知らない人の声がするとアシモフたんがキャンキャン言うのでそれ以来聴けていないですけど。あの声を生で聴けるとか、たのしみすぎる。
今回のカチカチは二人チームです。入り口もひとつで、座席数が2120とのことでした。ので、そのくらいの人数になりそうですね。なので五人一カチの計測方法なら424になるわけですが。なるといいなー。端数が出たらもちろんそれも実数として計測します。
今回のチームのお相手は、とても無愛想でちょっとやな感じでした。あいさつしてもしらんぷりされたし。まあこの現場だけのお付き合いだからいいんですけどー。
結局自分が計測した実数教えてもくれないで、ひとりで現場に自分の結果報告して帰っちゃいました。それわたしの計測が間違ってるって言ってるも同じですよね。なんなんでしょうか。世の中いろんな人がいますね。
そんなこんなで、ちょっとムッとするようなこともありましたが、わたしにはシャンソンを聴きながらミュラさんとレアさんを出歯亀るという特権があることを考えると、そんなことはささいなことでした。
「よぉーっし! さあ! 飾るわよ、ソノコ!」
実は昨日、お風呂でとんでもなく磨かれました。そんでサボっていたムダ毛処理も完璧にやらされました。顔なんかもう、こちら来て以来初のたまご肌です。なんか香りのいいシアバターみたいのも全身にもみこまれましたし、エステ行った気分です。まあそうですよね、ここまで気合い入れるタイミングなんてそうそうないし、たまのイベントだからキレイにおしゃれするのもアリですね。
レアさんから着るようにと渡されたのは、群青色のエンパイアっぽいドレスで、同色レースのボレロがついていました。かわいい。こんなの着られるとかうれしい。「ソノコ、この色ぜったい似合うと思う」とレアさんからのお墨付き。テンション上がるー。
サイズぴったりでした。さすがレアさん。椅子に座るように指示されて、髪をちょっとルーズな夜会巻きにしてくれました。しかもヘアコームに真珠がついてるの。それにお化粧も軽くしてくれました。「ソノコは粉おしろい要らないわね。うらやましいったら!」と言われましたけど、顔面取り替えてくれるならよろこんでー! て感じですね。
靴は、わたしの不思議黒ヒールを持ってきてくださいました。レアさん的には「こんないい靴、あたしが履けたらちょうだいって言いたいくらいだわ!」ってことみたいです。
レアさんは、黒のマーメイドラインドレスに、わたしと同じ夜会巻き。おそろいのコームです。ちょうかっこいい。すてき。そんなドレスを着こなせる足の長さが欲しかった人生だった。
ところでこの姿で仕事着が入ったトートバッグを持ち歩くのなんかちょっと、な感じ。「この部屋も貸し切ってるから、ここに置いといて大丈夫よ。誰も入らないようにしているから」とのこと。さすが。判断が早い。
で、すっごくうきうきしてレアさんといっしょにお部屋を出て、鍵を閉めました。鍵はクロークへ預けて。ではお待たせしているミュラさんのところへ行きましょう。待ち合わせの二階フロアへ向かいます。
「お待たせしました」
レアさんが声をかけると、ソファがたくさんあるのに立ってそわそわとしていたミュラさんがびくっとしました。わらう。「いっ、いえっ、ぜんぜん待っておりません、さっき来たばかりで!」とおっしゃいます。うそをつけ。さっきまでカチカチやってたわたしの目をごまかせると思うのか。そういやミュラさん通らなかったな? 裏口入場でしょうか?
「――お待ちしていましたよ。ミュラは私よりも先に来ていた」
聴こえたバリトンの響きに、わたしは硬直しました。あまりにも予想していなかったことで、頭が真っ白になります。
奥の方のソファからすっと立ち上がり、長いおみ足でこちらに向かって来られたのは。
まごうことなき我が最愛、オリヴィエ・ボーヴォワール様でございました。






