37話 ちょろい人はまじでちょろい
「で、ソノコはやっぱり、オリヴィエ・ボーヴォワールが好きなの?」
ある日朝食中に前触れなくレアさんから尋ねられました。……オリヴィエ様を呼び捨てにするとはなんたる豪気……! その圧にわたしはフォークでオムレツを刺した状態のままよろめきました。
「ええ? ちょっとだいじょうぶ?」
「問題ありません」
取り直して言うと、レアさんはいぶかしげに「そう?」と言いました。
「で、好きなの?」
「好きというか、崇拝?」
この会話アベルともした気がします。「なにそれ」とレアさんも同じ反応をしました。
「なにがいいの。紫の瞳?」
「え、すべて全部なにもかも?」
「わらう。なにそれ」
レアさん笑うと美人度が天元突破するんですよー……寿命が延びますわあ……。具体的に言うと約四年延びたわあ……。
なんでわたしがオリヴィエ様を崇敬しているのをご存じなのか尋ねたら、「あなた、部屋にポスター貼ってるじゃない」と言われました。せやな。完璧な推理ですね。さすが『グロリア』の構成員。
ちなみに球場で買った『コンバたん』ですけども。部屋のローチェストに飾ったらアシモフたんがくわえてひきずって、一階リビングの自分コーナーに連れて行ってしまいました。お友だちにしたみたいです。かわいいのでOKです。
単発の催事参加者計測は、またあったらお声がけいただけることになりました。今月は最終週にもう一回です。そちらはコンサートだそうで。グレⅡ世界観の文化レベルってかなり高いですよね。ちょっとびっくりしました。
午前中にアシモフたんのお散歩に行って、おうちに帰ってからも遊んでーってされたのでお庭でボール遊びして、お昼食べて。天気もいいし午後から図書館行ってみたいなあ、と思っていたら、来客ブザーが鳴りました。
「はいー、どちらさまでしょうー」
「……ミュラです」
はい、リシャールの書記官でわたしのお世話係になっちゃった、ちょろい丸メガネさんです。
「いらっしゃいませー。何用でしょうー」
「……相変わらず無礼な人ですねあなたは。新居に移ってからのあなたの実態調査に来ただけですよ」
「はいどうぞー」
毎週末の日記提出は未だにしているんですけどね。わざわざ来るとか書記官てヒマなんでしょうか。
リビングへお連れしたら、アシモフたんが助走をつけてわふっとミュラさんに飛びかかりました。
「うわあああああああ」
ミュラさんが叫んで尻もちをつきます。メガネがずれました。アシモフたんしっぽ振ってる。ちょう振ってる。めっちゃ振ってる。もふもふかわいい。お客さんぜんぜん来ないからね、うれしかったんだね、アシモフたん。
「いぬ、いぬがいるなんて聞いてないいいいいいい‼」
「あれ? 日記に書きませんでしたっけ?」
おかしいな。同居人としてレアさんとアシモフたんの名前書いたはずなのに。
よっぽどミュラさんが気に入ったんでしょう。アシモフたんはべろんべろんミュラさんの顔をなめていました。ミュラさん半泣きです。猫派なんですねきっと。かわいいのに。こんなにかわいいのに。
「なにー? どうしたのお、何事ー?」
あんまり何事かと思ってなさそうなのんびり声でレアさんがキッチン方向からやってきました。「アシモフたんがお客さまを歓迎しています」と簡潔に状況を報告すると、「あらあ、あはは」とレアさんが微笑みます。あー、寿命約半年延びたわあ……。
「ごめんなさいねえ、この子、これでも子犬なの。あまえんぼうで。許してね」
そう言いながらミュラさんからアシモフたんを抱き上げます。ミュラさんは体面を保とうと身を起こしてメガネを直しました。
「……まったく。しつけがなっていないですね。飼い主がしっかりし」
文句を言いながらミュラさんが顔を上げます。で、固まりました。
「そうねえ、あとで言って聞かせるわ。今お茶を淹れるわね。今日はそれで許して?」
小首を傾げてレアさんはおっしゃり、アシモフたんにちゅーしながらキッチンへ戻りました。ミュラさんの硬直が解けません。わたしの耳には「えんだーーーーーーー」という幻聴が聞こえました。
図書館行けなくて良かった。こっちのがおもしろい。
ローテーブルにレアさんが全員分のお茶を並べて、ソファのわたしの隣に座りました。アシモフたんはおとなしく自分のスペースに戻ってコンバたんを抱くように寝そべります。ミュラさんガッチガチです。わたしの面談だと思うんですけど「あとは若い二人で……」と席を外しそうになりました。ミュラさんも放っておいたらきっと「ご趣味は……」とか尋ね始めます。カコーンとししおどしの音も聴こえる気がします。がんばってねミュラさん。わたしはぐっと拳に力を入れて心の中で応援しました。
「ソノコとは、付き合いは長いんですか?」
レアさんが自己紹介して、ミュラさんがしどろもどろでそれに応えたあと、レアさんがそう話を振りました。「えっ、ええ、まあ!」とミュラさんの声が裏返ります。
「わたしがアウスリゼに来てから、ずっとお世話になっています」
助け舟を出すと、全力でそれに乗っかって「――ええ、ええ。わたしで助けになれるなら、と!」と言い、「立場の弱い人の支えとなるのは、わたしの使命のようなものですから!」と初耳学なことを言いました。めっちゃ嫌がってたやん。わたしの担当嫌がってたやん。おもろいわー。ちょうおもろいわー。
「あらあ、ソノコ、いい人に出会えて良かったわねえ! でも、ごめんなさいねえ。ソノコには心に決めた人がいるみたいよ」
ころころと笑ってレアさんが言うものだから、ミュラさん瀕死。たぶん息止まってる。イキロ。そうか、レアさんの笑顔は寿命を縮める効果もあるのか。用法用量を守り正しく服用してください。
「……いえっ、彼女とはなんの関わりもなくっ」
二言で矛盾。ミュラさんさすが。でもわたしもミュラさんと誤解されるのはたいへん御免こうむりたいので「ええ、なんの関係もないですねわたしたち」とうなずきました。完全同意です。
「あなたたち、仲良しねえ! 妬けちゃうわ」
ちょっといたずらっぽく言うものだから、ミュラさんがぐふうと鳴りました。ぐふうと。すごくおもしろいんですけどいつ聞くんでしょうか、「ご趣味は」って。せっかくのバックネット裏プレミアムエキサイトシートなのでここはひとつファインプレーが見たいところです。そわそわしてしまいます。
けっきょく普通の会話をちょっと普通じゃない感じでしただけでした。多少よろめきながらミュラさんがお帰りになります。
レアさんはアシモフたんをだっこしてその足で「ばいばーい」とお見送りし、わたしは玄関の外までお見送り。
外の空気で深呼吸してから、さっきよりずっとシャキっとして、ミュラさんがわたしを見て言いました。
「……今週末、お待ちしております」
なんでしょう、体育館裏に呼び出された感じですが。今日の日記はミュラさんのこと書こうっと。
10万文字超えましたー
わーい
そしてとうとうストックが尽きました
あした以降更新がなかったら「ははーん」とおもってください






