僕にできること
「レヴィ先生。びしょ……あの、オリヴィエ様の弟のテオフィルくんの、ことなんですけど」
とても綺麗に着飾った花嫁のソノコちゃんが、少し表情を陰らせて僕へ言う。後輩のリゼット・フォーコネといっしょに、式の前に挨拶へ行ったときに。
名を挙げられた少年とは、ソノコちゃんが実家への帰省を終えてアウスリゼへ戻って来た際に顔を合わせている。危うい美しさを持った赤髪の痩躯は、とても記憶に残るものだった。
オリヴィエ・ボーヴォワール宰相閣下の弟。グラス侯爵家の三男。今年十五歳で、先日その兄の手で創立された進学校『エコール・デ・ラベニュー』へ、一年飛び級し十年生として転学が決まったばかり。ソノコちゃんへほほ笑んで「どうしたの? なにか僕にできることがある?」と言うと、あからさまに彼女はほっとした表情になった。
「……あの、ずっと気になっていて。どうしたらいいかわからないんですけど。こういうのって、だれに相談したらいいのかわからなくて」
「うん? 言ってみて。たぶん助けになれるから」
じつを言うと、既に状況は把握している。ソノコちゃんからも、こうして話を振られることは想定していた。
「――たぶん……すごく、落ち込んでいて。その表現が合っているのかわからないんですけれど。表面上は、いつも通りなんです。でも、なんか、違和感があって」
座っているソノコちゃんの目線へ合わせるために、僕も置いてあった椅子を引き寄せて座った。フォーコネも。秘密を分け合うような円を描いて、三人で向き合う。
ソノコちゃんは、今日この日にはふさわしくない憂い顔になった。式へ臨む前に笑顔へ戻さなくては。前傾姿勢で手を組んだ僕の指先をちらりと見てから、ソノコちゃんは言葉を続けた。
「あの、わたしが帰って来たとき。三人で会ったの覚えていらっしゃいますか?」
「うん。とても綺麗な子だったね。さすが美形一族だと思ったよ」
「そうなんですよさすがオリヴィエ様の弟さんって感じで毛穴ないんじゃないかってくらいきめ細やかな肌で最高に美しいんですよ」
「毛穴はあると思うよ」
「冷静なつっこみありがとうございます」
ソノコちゃんの懸念は「上のお兄さんが亡くなったことを、気に病んでいるんじゃないかと、思って」とのことだ。
知っている。もう、誰かにその名を呼ばれることもなくなった男がいて、それはグラス侯爵家の長男だった。
ソノコちゃんはどこまで話していいのかわからないと言った表情ながら、それでも「こういうのって、わたしがなにかするより、同性の方のが話しやすいかなって」と言った。僕はうなずく。
「そうだろうね。最初ソノコちゃんに出会ったのがフォーコネではなくて僕だったら、今のソノコちゃんはなかったかもしれないしね」
これは実感だ。適切な機会に適当な人間が対応に当たるのは、臨床においてとても重要。……ときには、命を左右するほどに。
「あのね、ソノコちゃん。ひとつ報告があるんだけど」
僕がそう言うと、ソノコちゃんはなぜか背を正して「はい、なんでしょう?」と返事をした。
「僕ね、『エコール・デ・ラベニュー』へ、非常勤校医として雇用されたんだ」
「えっ、本当ですか⁉」
言いながら思わず立ち上がるソノコちゃんに、僕は笑った。そして種明かしをする。
「あなたの旦那さんにね。頼まれたのよ」
なにを、とは言わない。けれど彼女にはそれで伝わったようだった。脱力したようにもう一度腰を下ろして、ため息をつく。
「……よかったぁ……」
それは心底の言葉だっただろう。
「あのとき……テオフィルくん、わたしへ言ったんです。家族と別れるの、辛くなかったかって」
空を見つめて思い返すようにソノコちゃんは言う。僕も、フォーコネも、その言葉を遮らずに聞いた。ソノコちゃんは少しの後悔をにじませながら「わたし、そのときは思いつかなくって」と続けた。
「……ああ。テオフィルくんは、まだ悼んでいるんだな、って。亡くなったお兄さんのこと、納得できていないんだなって。でも、どうしていいのかよくわかんなくて。わたし、実家に帰って、兄たちと話して。それで理解できたこともあって。もし自分が、上の兄をあんな形で亡くしたら、どうするだろうって」
考えを結び合わせながら述べられる言葉には、同情よりも深い気遣いがあった。すっと目線を上げて僕を見たソノコちゃんは「どうか、わたしたちの弟を、よろしくお願いいたします」と頭を下げる。僕は「もちろん」と即答した。
式は、仰々しいものではなかった。なにせかの有名なアウスリゼ国の若き宰相の結婚式だから、昼間でも花火くらいは打ち上げられる可能性があると思っていたのだけれど。ソノコちゃんらしいとも思えたし、グラス侯爵家の人々の慎ましさや、哀悼期間を過ごしたばかりの心情を思うと当然だろうとも納得できた。それでも、多くの人に見守られるとてもいい式。
宣誓の言葉の後、夫婦となった二人は壇上から降りて来る。あっという間にあいさつの集団に取り囲まれたその姿を遠目に見て、僕は笑った。そして傍らにいたフォーコネへ言う。
「――どう思う?」
「かなり。すぐにでも心理相談へ」
「でしょうね。僕もそう思う」
新郎新婦の輪から少し離れたところで、グラス侯爵と夫人がやはり祝福の言葉を次々に述べられている。そしてともにいる美しい赤毛の少年。
笑顔で人々に応じているのは、その両親と同じだった。けれど、やはり違うのだ。それを見破れるのはきっと親しい者と、僕らみたいに多くの患者と接してきた専門家だけ。
なんて、美しい笑顔だろう。作り物みたいに。
あいさつの波は尽きないようだった。手が空いた者たちは室内へ行き食事にありついている。旧友と再会したフォーコネは一足先にそちらへ向かった。僕はグラス侯爵家の人々から少し離れたベンチに座って、全体の様子を眺めていた。やはり、ソノコちゃんの表情を見ているのが一番おもしろい。笑ったり、驚いたり、キリッとしたり。
「――いやあ、ウチには他にも息子がおりましてな。家督については安泰ですよ。はっはっは」
喜色に満ちた声、と言っていいのだと思う。僕には虚勢に思えたけれど。グラス侯爵が、誰かからの質問にそう答えた。声を張り上げて。
その手は赤毛の美少年の肩にかけられていた。期待に応える仕草で、少年は人々へその魅力的なほほ笑みを振りまく。ひとしきりそんな場面があってから、軽く首を振った彼はその輪から抜けて歩き出した。少しだけ心配そうなソノコちゃんの視線がその背を追う。
「さてー。かわいい友人たちのお願いを、叶えに行きましょうかねえー」
伸びをしてから僕は立ち上がった。そして、少年に追いつき並んで言った。
「こんにちはー、美少年くん! おひさしぶりですー!」
「……なんですか、その呼び方」
声をかけたら、胡乱な瞳を向けられた。歩きつつ僕は身をすくめてみせる。
「やだぁ、そんな他人行儀な話し方しないでー! ジョズエ・レヴィでっす! ソノコちゃんが帰って来たときに、お会いしたわ!」
「わかってます。あなたはその話し方をやめてください」
嫌そうな声色の言葉に、僕は笑った。本音を言ってもらえている。悪くない。
「こーれーはー、僕を僕たらしめているものでー! 譲れないっ!」
「自己認識の歪みどうにかした方がいいですよ」
「美少年しんらつぅ!」
「テオフィルです。その呼び方やめてください」
僕は笑って「テオフィルくん。この度は佳き日に与ります」と述べた。礼儀正しく彼は「ありがとうございます」と頭を下げた。
「あのねえ、僕、宰相閣下のお言いつけで、『エコール・デ・ラベニュー』へお勤めすることになったの」
「そうですか。よかったですね」
「テオフィルくんったら、なんか僕に冷たくない? いっしょの学校へ通う者どうし、仲良くしましょうよぉ!」
「他を当たってください」
けんもほろろにそう返される。僕はその反応に少しだけ笑って、これからの彼のことを想った。
おひさしぶりです! またお会いできてうれしいです!
本日より喪女ミタスピンオフ作品の投稿を始めるため、その前話をこちらへ投稿しました
今回の作品の主人公は美ショタ様、もとい、オリヴィエの弟のテオフィル・ボーヴォワールです
わりとシリアスな話になるとは思いますが、よろしければまたお付き合いくださるとうれしいです
真冬の逃げ水 Mirage d'hiver
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よろしくお願いいたします!






