246話 手を取り合えた人とともに、私は
黄色い花弁のラキアンサが、控室内に飾られている。丸みを帯びたその姿は、彼女が好む花と知ってからはとてもかわいらしく思えて、庭にも植えようと提案したばかりだ。
うれしそうにほほ笑んで「黄色だけでなく、白も、赤も!」と述べたその言葉は、もしかしたら彼女から私への初めての願い事だったかもしれない。冬を越して、春になったら。共に植えようと約束した。
その花を見ては泣き、鼻をかみ、私を見てはまた泣くことを繰り返している男がいる。とてもうっとうしい。だが、いくらか浮足立ちそうな私の気持ちを冷静にしてくれるには十分の働きをしている。私は「――ウスターシュ、いいかげんにしてくれ」と、多少うんざりとした気分で礼服姿の私の首席秘書官へ述べた。彼はもう一度鼻をかんだ。
「これを、今日という日を、泣かずに過ごせるわけがない! あなたが、オリヴィエ・ボーヴォワールが! ルミエラで! 式を!」
「声が大きい。ソノコの部屋に聞こえるだろう」
花婿介添人がこれでは、まるで意味がないのではないだろうか。そも、介添人へ熱烈に立候補してきたのは本人だというのに。実際、先ほど花嫁側からレアがやって来て「なにごと?」と尋ねたほどだ。
扉を叩く音がした。さすがにそれには私よりも先に反応する。入室して来たのは年長の友人で、急いで来たのかしきりにハンカチで汗を拭いながら「やあ、オリヴィエ! 佳き日に与るよ!」と笑顔で言った。
「ありがとう、シリル。ひさしぶりだ。遠くから来てくれたんだろう」
「今、サンカイム公国に拠点を作っている真っ最中でね。行ったり来たりだよ!」
「事業が軌道に乗っているようでよいことだ」
「まさかまさか。ここのところ、商売上がったりだ! だから手広くやるんだよ」
長年、アウスリゼだけでなく数カ国を股にかけている商社を運営しながらなにを言っているのだろう。立ち上がって迎え、握手をした。彼は苦笑いで「君が、まさか、あのソノコとねえ!」と言う。
「あなたの意表を突けましたか、シリル?」
「もちろん。レテソルで、二人が親密なことは知ったけれど。彼女には意表を突かれて、突き通されたな!」
ひとしきり笑ってから、彼は「しかも、国政に残るそうじゃないか。若き智の宰相を喪うことなく、アウスリゼの未来は輝かしいものだな」と言い私の肩を叩いた。なぜか介添人の男が得意げな顔をして「そうでしょう」とそれに返す。
「じゃあ、式をたのしみにしているよ」
介添人に連れられて先に会場へと向かう背中を見送る。すると背後から「佳き日に与ります」と、聞き慣れた声があった。振り返りつつ私は「ありがとう」とほほ笑む。
一応、男は礼服を着ていた。赤毛にメガネという変装をしているが。この男が祝福をしに現れてくれたことを、私はうれしく思う。
「おまえには、祝ってもらえないかと思った」
「なんでですか。そこまでひねくれちゃいないですよ」
「おや。ひねくれているからこそ来たのでは?」
「……そうっすね。その通りですよ」
私が差し出すよりも先に、男が手を出した。私はそれを取り、堅く握って言った。互いに真っ直ぐその目を見る。男の飴色の瞳は、力強く、柔らかかった。
「――私がもらうぞ。アベル」
私の言葉に、男は笑った。これまで見たどんな表情より、幸せそうに。
「はい。……泣かせたら、かっさらってくんで。それはお覚悟を」
私も笑った。この男の心の底を、初めて見た気がしたから。
手を放して「おまえなら、いろんな女性が名乗りを上げるだろうに」といくらかの本心をつぶやくと、男は「はーっ、はーっ? なんすか、なんすかそれ。振られまくってる俺への当てつけですかー、そうですかー」と言う。その言葉で察して「それは、すまなかった」と私は返した。
「うっわー。余裕しゃくしゃくっすねー。いーっすよいーっすよ。どーせ俺なんて『うわべのやさしさで人当たりよく見せているだけで本音では自己中』な男ですよーっだ」
「……レアが言ったのか、それは」
「えー、えー。しっかり振られましたよ。『同情で寄り添われるほど安くない』『罪悪感を解消するのにあたしを用いないで』『結局自分だけがかわいいのねえ』って。あーきっつー。あんなにキツかったっけ、あいつ」
目が泳いでしまった。……そうか、そこまで言ったのか。男はぶつぶつと「……俺だって。けっこう真剣に、悩んだのに」とつぶやいた。
「それはレアもわかっているだろう」
「……かもしんね」
部屋を出ようとするその姿に、かける言葉を探した。おそらく、しばらくはまた会えなくなるのだろう。けれどなんと言えばいいのかわからずに「ジル」とその名を呼んだ。
「――ひさしぶりに聞いたなあ、それ」
扉を開けて。こちらを振り向いた表情は穏やかだった。そして言う。
「ソノコ、幸せにしてやってください」
「もちろん」
「――それに、あんたも幸せになってくださいよ」
思わぬ言葉を受けてとっさに反応できなかった。瞬いた間にその姿は既になく、私は残滓に「ありがとう」と告げた。
介添人が戻って来る少し前、扉が再び叩かれた。応答すると「閣下ぁ、そろそろだけど。介添人くんどこ行ったのお?」とレアが中を覗き込んで言う。
「シリル・フォール氏を会場へ案内しに行ったのだが」
「あらあ。きっとまた、だれかを捕まえて閣下の自慢話をしてるのね」
「レア。ジルの申し込みを断ったのか」
私が言うと、面食らったようにレアはこちらを見た。そして「あー、やだやだ! おしゃべりな男! 振って正解だった!」と顔をしかめた。私は彼女の今後のことに、それを想った男のことを考えた。
「真剣に考えていたと言っていた」
「それはそうでしょう。じゃないと殴っていたところよ」
「『うわべのやさしさで人当たりはいいが、自己中な男』だと言ったそうじゃないか」
「もー! そこまで言っちゃったのお⁉ あたしが性格わるいみたいじゃない!」
戸柱を男に見立てたのか、レアは何度かそれを叩いた。そしてだれに聞かせるでもなく「……しっかり振らないと、ずっと心配するじゃない。あの人」とかすかにつぶやく。
それから私を見て「本人にはぜったい言ってあげないけど」と、つんとすまして言った。
「――そんなところも、好きだったのよ。若かったのね、あたしも」
私は少し笑った。今日はやけに、本音を聞ける日だ。レアは「いい男にたくさん会いすぎて、目が肥えちゃったわ」とおどける。
ミュラとの件は、ミュラ本人から報告された。彼は、レアの状況を知っていたらしい。
マケトスの病院にレアが入院していたとき、付き添いとして医師の説明をともに受けたのだと聞いた。それを置いたとしても、思いを告げるつもりだったと。そして彼女が国外に出されることも想定し、なにもかもを受け留めるつもりだったのだ、と。――二人はきっと思い合っていたと思う。
私には、レアの気持ちがわからない。その選択が最善なのかも。きっと、わかるのは多くの時を経てからなのだろう。だれの手を取り、だれとともに歩むのかは、それぞれが選ぶことだ。
私も、そうであるように。
介添人が戻って来た。レアが「ちょっとお、本番なんだからちょろちょろしないで!」となじる。なぜかレアへの対抗心を持っているらしい介添人は「私がヘマをするわけがないでしょう。まだ八分も時間がありますよ」と引き締めた表情で言った。
「――では。参りましょう。花婿殿」
介添人としての手袋を男がはめた。私はうなずき、その先導に従って部屋を出た。
晩餐歌聴きながら書きました
次、29(月)で完結です!!!






