235話 あー、オタク語りたのしー
朝食後、ミュラさんがお仕事へ向かうついでに王宮の外郭まで送ると言ってくれました。そして歩いている間ずっとそわそわもじもじされていたので、とりあえず「なんですか、ミュラさん」と尋ねてみました。
「――えーっと。あの。ソノコは……心当たりがあるのですか」
「なんのです?」
しらばっくれてみました。ミュラさんはちょっと周囲の様子を伺ってみせてから「あの……ボーヴォワール宰相閣下の、件の……」と言葉をにごして言いました。わたしも「うーん、どうでしょう?」と言ってから、リシャールがミュラさんを同席させた意味を考えました。
「たぶん、わたしより、ミュラさんはリシャール殿下へ直接尋ねた方がいいです」
「ええっ」
なんか目に見えて腰が引けていました。なんででしょうか。わたしは思った通り「殿下は、きっとそうしてほしいと思いますよ。わたしならそう」と言いました。ミュラさんはなにかを長考する表情になりました。
ミュラさんに連れられて建物の外へ出たら、日勤の方が出勤される時間みたいで、いろいろな方向へ流れができています。各省庁を含む敷地なんだろうな、ここ。昨日お披露目会があったホールはどこにあるのかさっぱり。建物内移動して外に出ると方向とかわからなくなるよね。蒸気自動車が出入りして、通勤者を吐き出して去って行きます。それを遠目にながめながらミュラさんと歩いていたら、ちょっと高級そうな自動車が停まって後部座席のドアが開きました。すっと長い脚が出てきて――オリヴィエ様でした。
助手席から降りて来られた男性がすごく早いオリヴィエ様の歩行速度に合わせて隣りを歩き何事かを話しかけつつ書類を手渡しています。オリヴィエ様はノールックでそれを受け取り一言二言なにかおっしゃっていました。すてき。びっくり。オリヴィエ様の出勤風景。完全お仕事モード。その間十数秒程度。かっこいい。進む方向がわたしたちに背を向ける感じだったので、こちらには気づかれず、あっという間に小さくなっていきました。よかった。眼福。今のだれか動画にしてわたしにちょうだいよろしくお願い。
昨日着ていたドレスは家に届けてくれるとのことでした。ミュラさんは考え深げな表情のまま手を上げ指を鳴らし、自動車を一台止めました。そして運転手さんへすっとなにかを渡して「彼女を家へ送ってくれ」とおっしゃいました。
「じゃあ、ここまでで。気をつけて帰って」
「ミュラさんはまだ帰れないんですね?」
「今日はね。イネスを預けっぱなしだから、そろそろ帰らなきゃな」
ミュラさんもお仕事モードの表情に切り替わっていました。自動車に乗り込んで手を振って別れます。
わたしは運転手さんにお願いして、自宅とは違うところへ向かってもらいました。本当はルミエラへ戻ったらいの一番に行きたかったんだけれど。なかなか時間が取れなくて延び延びになっていたんですよね。はい。――新聞社の、ラ・リバティ社です。
「たのもー!」
朝刊の作業が終わったこの時間なら、みなさん一息ついているって知っていたんですよね。なので今なら捕まるはず。わたしが中に入ると、何度かお会いしたことのある男性が「おお、ひさしぶり」と声をかけてくれました。
「どうした? トビなら、先週末で終業したよ」
「おぉあ⁉ 本当ですか⁉」
「本当本当。あいつがいなくなるの、正直こっちはキツいけどさ。みんな祝福して送り出したよ」
ふつふつとうれしさが湧き上がって来ました。ということは、オレリーちゃんも定食屋さんのお仕事辞められたのかな。ふたりとも学校へ、通えるようになったのかな。
わたしは「おめでとうございます‼」と言いました。男性は「おお、ありがとう!」と自分ごとのように笑っていました。そうだよね、みんなうれしいよね。トビくんががんばっていたの、みんな知っているもんね。
思わぬ良い報告を受けほっこりしながら、わたしは「ピエロさんはご在席です?」とお尋ねします。二階のいつものお部屋にいらっしゃるとのことだったので、おじゃましました。
「……おはよーございます」
開けっ放しのドア付近から声をかけてみました。前に見た記憶のまま、雑多な部屋の中は書類の山だらけでした。わたしが「ピエロさーん」と声を投げかけると「――その声は、我が女神‼」というセリフとともに、ピエロさんが分厚いメガネをきらめかせて立ち上がります。書類なだれが起きました。はい。
「聖典回収に参りましたー」
「――わかりました」
なにかを思い詰めたような、覚悟をしたような。そんな表情に見えます。書類の中からいくつかの束と、オレンジ純先生の御手による聖物を取り出し、原稿や新聞の海をかき分けてピエロさんはわたしの元へ来られます。
「……我が女神。僕は、いただいた啓発を正しく用いることができるだろうか」
書類束の上に、聖典を乗せて。震える手でピエロさんはそれを差し出されました。わたしは受け取りつつ「どういうこと?」と尋ねました。啓発ってなに。グレⅡ? いいよ、語るよ? 語っていいの?
書類束は……スケッチ? たくさんのイラストが描かれていました。オレンジ純先生の聖典の中身を模写したものもあれば、オリジナルのものも。とてもお上手。たぶんこれで食べていけるレベル。
「すっごーい! これ、ピエロさんが描かれたんですか⁉」
「……はい。どう思われますか?」
新聞に埋もれがちな応接用ソファへ腰掛け、わたしはそのスケッチをすべて拝見しました。すごいすごい。そういえば、ラ・リバティ社の新聞ってときどき風刺画が入ったりしていたんですよね。ピエロさんはああいうのを描かれていたのかな。それを確認すると肯定の言葉が返って来ました。
そわそわしながらピエロさんがわたしへと視線を送ってきます。なにかコメントを求められているようです。えっ、どうしよう。コミケとかの出張編集部ごっこになってしまった。それっぽくわたしは「聖典から、なにか学べることがありましたか?」と尋ねてみました。
「もちろん‼ ――たくさん、たくさん‼」
コマ割りの練習みたいのと、コマに絵を配置するのと。そういうのを中心に練習されたのかな。わたしは絵描きではないので、なにかアドバイスとかはもちろんできないんですけれど……たぶんですが、アウスリゼに来てからマンガの形態の本や雑誌を見たことがないので、それを模したのかもしれません。
ピエロさんは挙動不審な感じでわたしの前の席に座って両手を握ったり離したりしています。そして「質問したいことが、たくさんあるんです、女神よ」とおっしゃいました。
「はいなんでしょう。女神じゃないです」
「これは――この聖典は、なんという技法を用いたものなのですか?」
「技法というか。この形態は『マンガ』と言います」
「マンガ……」
「はい。区切られたひとつひとつの空間は『コマ』と呼ばれていて、そこに風刺画よりもずっと簡略化した絵を描き込んだものです。コマを順番に見ることによって、お話を読み取ることができます」
ピエロさんはわたしをじっと見て、わたしが言ったことをじっくりと咀嚼しているようでした。そして「この、この、『マンガ』とは――」と声を絞り出すようにおっしゃいます。
「ああ、なにから、なにを質問したらいいのかわからない。僕にとって未知の世界だった。こんな見せ方……いや、魅せ方があるのだと。――この『マンガ』には『奥行き』があった」
わたしはピエロさんが描かれたイラストを見ました。あー、なるほど。オレンジ純先生がコマの中で人物と背景を平面的に描かなかったことをおっしゃっているのか。その点を練習された跡があります。
日本のわたしたち世代では立体的というか、背景と人物がしっかり描き分けられたものをマンガだと思っていますけれど。戦前とかだと四コママンガや一コマでの表現でしたよね、きっと。アウスリゼの風刺画はたしかにそれに近い。背景がのぺーとしている感じの。それはそれで味があると思うんですけどね。
「僕は――『マンガ』を描きたい」
まるで告解をするかのように――苦悩の表情でピエロさんはおっしゃいました。おっ、そうだな。がんばれ。……えっ、待って。もしかしてオレンジ純先生の聖典……まじでピエロさんにも聖典になっちゃった……?
新しい文化の幕開けの音が、聞こえた気がしました。その後ピエロさんとマンガ・カルチャーについて熱く暑苦しく語り合ったのは言うまでもありません。
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