230話 まだってなに
ちょっと多いの
ホールに進み出たのは、クロヴィスとメラニー。そしてオリヴィエ様とわたし。……だけ。
いや聞いてはいました。はい。聞いてはいたんです。最初に一番身分の高いカップルが踊るって。リシャールはまだ婚約者がいないので、そもそもカップルとして踊ることはできないんです。ファーストダンスとラストダンスは、必ず意中の人とするんですって。こんな公式の場所で踊ったら既成事実になっちゃうからね!
で、本当だったらクロヴィスとメラニーのカップルのみでまずは踊るんでしょうけれど。公爵と伯爵家令嬢のカップルだから。……でもこの前届いたメラニーの長い長いお手紙にはね、わたしへの嘆願も含まれていてね……。
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ソナコと皆さまのお陰で、今はこうして穏やかな日常を取り戻すことができました。感謝に堪えません。ありがとう。
体調も軌道に乗りました。このたびのお披露目はそのことを皆さまに知っていただくにもよい機会だとクロヴィス様はおっしゃいます。わたくしもそう考えております。
しかし、不安なのです。きっとソナコならわかってくださると思うの。わたくしは長い間病床にあり、ひとときは死を覚悟しておりました。体力も、本来の通りかと問われれば、否、と答えるほかありません。
そこに、舞踏ですって! 在りし日のたしなみとして、一通り手習いを受けたこともございます。けれど、それはもう何年も前のことですし、習得したわけでもありません。今の時代の社交に、前時代の文化が必要になるだなんて思いもしなかった。クロヴィス様といっしょに何度も練習に励んでおりますけれど、及第点とは言えません。どうしても、動きがぎこちなくなってしまうの。
そんなありさまで、わたくしたちだけでプレミエール・ダンスだなんて!
どうかソナコ、助けてください!
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――わかる、わかるよメラニー……。たぶん読んでいたときわたし血の涙流してた。でも、できることなら巻き込まないでほしかった。状況的に、メラニーが巻き込めるのはわたしたちだけみたいで。
オリヴィエ様は、暫定とはいえグラス侯爵家の跡目になりました。それに社会的立場としては、宰相職についているという時点でトップクラスです。なので、クロヴィスと列べる人物なのですよ。すごいね。パートナーのわたしのへっぽこ具合いで目減りしないかな、社会的立場。
わたしへの嘆願だけではないです。クロヴィスから正式にリシャールやオリヴィエ様へもお伺いがあったそうで。クロヴィスもいやなのね。わかる。いくらみんな踊れないって言ってもねえ。
そんなこんなで、ファーストダンスならぬプレミエール・ダンス。クロヴィスたちだけでなく、オリヴィエ様とわたしもいっしょに、ってことになりました。
音楽は、グラス侯爵邸での練習でかけてもらっていたのと同じです。前奏が終わる前にホールの真ん中へ。クロヴィスたちと列びました。メラニー、すごく顔色がいい。それに健康的な細さになった。前は、危機感を覚える細さだったけれど。白地に薄い黄色のレースが重ねられたプリンセスラインドレス。すごく似合ってる。
二人と目が合って、お互いほっとしてちょっと笑いました。それでちょっとだけ肩の力が抜けて。
オリヴィエ様と向き合って、その顔を見上げました。オリヴィエ様もちょっと笑っていらっしゃいました。
わたしは、アウスリゼに飛ばされて来た最初の日のことをふと思い出しました。あのときのわたしに、こんな日が来ることを想像できたでしょうか。
所持金はゼロで、身分証もなくて。
たくさんの人に助けられて。――今こうしてここに、立っている。
少し手を引かれて。次の小節へ入ったときに、オリヴィエ様とクロヴィスが動きます。わたしとメラニーはそれに添いました。楽団の生演奏がホール全体でわたしたちを包んでいるようで、気分が高揚して衆目が気にならなくなりました。もういいや、やっちゃえ。きっと間違えても、みんなわからないし。
この曲は八分くらい。わたしはオリヴィエ様のリードに合わせて、習った通りに動くだけ。いちにさん、いちにさん。そのことだけにずっと集中していたら、最後のパートに突入していました。
示し合わせたように、クロヴィスカップルとわたしたちは中央へ。ゆったりとした曲の終わりと同時に、そっと足を止めます。
そして、オリヴィエ様と合わせて、一礼。わたしたちと背中合わせに、クロヴィスたちもそうしていると思います。一拍後に、盛大な拍手が巻き起こりました。
そして、ホール中央はお披露目参加者たちで埋まりました。いちおう、わたしたちはお手本ダンスだったんです。はい。生まれて初めて踊るっていう方もいらっしゃるのでね。招待状には、みんなに迷惑がかからない感じで自由に踊ってねー、みたいな但し書きはあったんですけど。まるで見たことなかったら、まねっこもできないからね。
みなさんおっかなびっくりで、でもたのしそうです。オリヴィエ様に手を引かれて、わたしたちは美ショタ様とレアさんのところへ戻りました。レアさんはまだ、思うように足が動かないから。踊るのは難しいんです。
「ちょっとソノコぉ、すごくすてきだったわよお!」
「ほんとですか? あー、心臓バクバク言ってる……」
終わってからの方がなんか、実感がいっぺんに来ました。あー、あー、高一のとき勝手にばあちゃんに応募されたNHKのど自慢予選会より緊張したああああああああああ!!!!!
「テオくん、ソノコと踊ってきなさいよ」
「僕のパートナーはレアだろ」
「あらあ、うれしい言葉ありがとう。せっかくだけど、ムリよ」
「だいじょうぶだ」
美ショタ様が出入り口の方向を見ました。受付の執事さんと警備さんの中間っぽい制服を着た男性が、レアさんの車椅子を押してこちらへ来ていました。
「――座ってよ、レア。これで踊ろう」
……美ショタ様、かっこよすぎません? なにこのイケショタ。お姉さんびっくりしてしまったよ。
とてもきれいな笑顔で車椅子に座って、レアさんは美ショタ様といっしょにダンスの輪へ。基本美ショタ様が音楽に合わせて動いて、レアさんがときどきくるっと回って。その姿を見てなんでもアリだと思ったのか、まだ踊りに出ていなかったカップルたちが次々にホール中央へ向かいました。
すごく、すごくいい会でした。憂いなくみんな笑顔で。……最高の気分です。
しばらくしてから、レアさんたちとパートナー交換で踊りました。美ショタ様のリードは完璧でした。なにこのイケショタ。
音楽がまた変わって、今度はスローテンポの曲になりました。踊り終えてぱらぱらと人が引いていきます。美ショタ様と戻ろうとしたら、わたしの前へすっと手が差し伸べられました。
「――お嬢さん。よろしければ、僕と一曲」
美ショタ様がさっと一礼し、引きました。……リシャールです。まじかよ。
えーと、この曲はどうしたら、と悩むまでもなく、リシャールのリードでどうにかなりました。伊達じゃなかったな王子様。そしてここで会ったが百年目。
「――君とはゆっくり話してみたかったんだ」
「わたしもです」
「へえ? そう言ってくれてありがとう。嫌われていると思っていた」
ええ、まあ。そんなに好きなキャラではなかったです。はい。でもそれはそれ、これはこれ、で。
いい感じに踊っている人たちの人数が減って、音楽もちょっと静かなので会話ができそうです。わたしはなんて切り出そうと思いながらリシャールの足を踏まないように気をつけていました。
「――まず、僕から質問していいかな」
「はい、どうぞ」
「行方不明になった後、君はオリヴィエの夢へ現れたそうだ。報告によると、それは本当にあったことらしい」
「はい。夢の内容は伺いました。わたしにあった出来事でした」
「そして、ちょうど一カ月前になるかな。君は僕とオリヴィエの前に落ちて来た」
「はい。その節は失礼しました」
「あれはいったいなんだったんだろう」
最後の問いかけは、自問みたいな響きでした。わたしもドタバタとしていて、しっかりとオリヴィエ様へ説明できていません。なんて説明していいかわからなくて。オリヴィエ様も、わたしが言葉を見つけられるのを待ってくれています。やさしい。すき。
でも、今はリシャールです。いくら響きが柔らかくても、それは返答を必要とするわたしへの尋問でした。これまで選ぼうとしても選べなかった言葉なんだから、ラッピングして変な疑惑を生むよりずっといいと思い、わたしは単刀直入に言いました。
「ぜんぶ、王杯のせいです」
「ん? なに? なに言い始めたの、君?」
だって王杯のせいなんだもん。それ以外どう説明しようと思いながら、わたしは「わたしが、最初に殿下とお会いしたときのこと、覚えていらっしゃいますか?」と尋ねました。
「もちろん。とても印象的な出会いだったよ」
「たぶんあのときにお調べいただいたと思うのですけれど、あのときわたしは、王宮の敷地内にいたところを捕縛され、外に放り出されたことを証言しました」
「そうだね。よく覚えているよ。その記録も確認した」
「わたしは、生まれも育ちも、この国ではありません。日本と呼ばれる国の、群馬という土地で暮らしていました」
「うん、そういう設定だったね」
リシャールがわたしをくるっと回しました。わたしはされるがまま回りました。
「――設定ではなくて。本当なんです。オリヴィエ様がご覧になった夢は、わたしが日本で過ごしたときのことです」
「君もしかして小説とか書いてる?」
「ほんとなんですってば」
どう言えばいいのかなあ。まあ、オリヴィエ様よりもリアリストっぽいもんな、リシャール。でも、王杯なんていうふしぎコップがある文化で、それで聖別とかされて王様になる身分なんだから、ちょっとくらい夢見がちでもいいと思うんですよ。はい。
曲が変わります。リシャールは「もう一曲」と言いました。口で言うよりはちゃんとわたしの言葉を考えてくれているのかもしれません。
「……わたしがコッ……王杯から接触されたのは、マディア領から王国直轄領へ移動するときです」
リシャールは笑顔のまま黙って聞いていました。じゃっかん怖い。あのときのふしぎ体験を思い出しながら、わたしは言葉を続けます。
「……王杯は、わたしを使って自分の目的を果たそうとしていたみたいでした。わたしは予想外なこともしたけど、おおむね王杯の望み通り動いた、みたいに言われました。その報酬として、故郷の国へ飛ばされたんです」
「おもしろいね」
「……『選ばせてあげる』と、言われました。わたしがどちらの国で生きるか。わたしは、アウスリゼを選びました。なので、今ここにいます」
また回されました。さっきより一回転多かったです。リシャールは「うーん」と笑顔でうなりながら「僕は、君の言葉をどこまで本気にすればいいんだろう?」とつぶやきました。
「君が、マディア領で多くの働きをしてくれたことは、本当に感謝するよ。公にできないことがほとんどだから、こうして非公式なあいさつになってしまって申し訳ないね」
「いえいえ、かえってありがとうございます」
「でも、それとこれは、別。――君は未だに怪しさの点でこの国随一なんだ。わかる?」
「はい。ぶっちゃけなんで殿下がわたしと踊ってくださっているのかわかりません」
「うん。秘書たちにとめられた」
リシャールはちょっと喉を鳴らして笑いました。美形なんで絵になります。そして「でも君は僕の『友人』だからね?」と言いました。
「君は、今後自分の怪しさを払拭できるかい?」
「うーん。どうでしょう。でも、それに関してお願いがあるんですけど。言ってみていいですか?」
「聞くだけは聞いてみようかな」
「王杯に、会わせてほしいんです」
しばらくの間リシャールが黙りました。そしてもう一度曲が終わるころに「わかったよ。連絡しよう」と言いました。
「それと――ごめんなさい、もうひとつ」
オリヴィエ様が袖から近づいて来ました。次がラストの曲なのかな。リシャールは「なに?」と優しげな声で言いました。
「――サルちゃん――ラ・サル将軍は」
手が離れました。オリヴィエ様が隣にいます。リシャールはやさしい笑顔のまま、口元を動かさずに「いるよ。まだ」と言いました。
短編書きました
お時間のあるときにでもどうぞ
深窓の令嬢、ご当地令息に出会う。
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