222話 TPOって言葉知ってる?
おいしいはずなのに不味い朝ごはんをいただいています。おはようございます。部屋の中はしんっ……と静まり返っていて、食器が触れ合う音がちょっとするだけです。たすけてください。帰りたい。ルミエラのお家に帰りたい。いえ、承知の上でわたしがこの部屋に乗り込んだんですけど。
わかりますかね、こう、こう。ただの哀悼食卓とは違う静けさ。とても怖い。お部屋の外では機嫌よく声をかけてくれたノエルさんも、入ったらだんまりになっちゃいましたし。
大きな円卓なんですが。わたし含めて、席に着いているのは五人。わたしは入り口に一番近い席へ座りました。哀悼客のホストはそこが定位置ですので。……ジゼルさんは、わたしの正面の席に座られました。なんなら、ちょっと椅子をずらして正面に来るように執事さんに申しつけて。で、ずっとわたしのことをじーーーーーーーーーっと見ています。はい。ごはん食べろよ。哀悼餐を拒否する姿勢って、これ、問題あるんじゃないの?
とても、こわい。とてもとてもこわい。壁際に控えている執事さんたちにも緊張が張り詰めています。もしかしなくても男性三名が一言も話さないのって、哀悼食卓だからとかじゃなくてこの異様な空気によるものではないでしょうか。さすがに、わたしもなにか言おうかと悩んでいると、ノエルさんじゃない男性が「――ジゼル。さすがに、食えよ。哀悼餐だぞ」と言ってくださいました。それにもうひとりの男の人と、ノエルさんが賛同してくれました。ありがとう。わたしは詰めていた息をそっと吐きました。
「――あたしがもてなしを受けるべきは、ボーヴォワールの人間だわ。こんなもの、哀悼食卓でもなんでもない」
吐き捨てるように言って、ジゼルさんがテーブルナプキンをぱっと目の前の食事に投げつけました。ノエルさんがぴゅーと口笛を吹きます。わたしはあまりにびっくりしてしまって、いっしゅんなにが起きたのかわかりませんでした。でも事態を把握して、かっとなって「なにするんですか!」と自分でもびっくりする大きな声で言いました。ノエルさんがおもしろそうな顔をしました。
「――このお食事は、ブリアックさんを悼むためのものです。いったいなにをしたか、自分でわかっているんですか⁉」
「……そもそも、あんただれよ」
わたしから反論があると思わなかったんでしょう。多少ひるみながら論点をすり替えてジゼルさんが言いました。それにノエルさんもここぞとばかりに乗っかって「そうだねえ、わたしたちは、お嬢さんがだれなのか、知らないんだよなあ」とおっしゃいました。まあべつにこちらの味方だとかは思っていないですけど。
わたしは「ソノコ・ミタです。はじめまして」と席に着いたまま頭を下げました。ノエルさんが「変わった名前だねえ、やっぱり外国の方なのかな」と、質問か独白かわからない声色でおっしゃいました。答えなくていいやと思ったので黙っていました。
「ボーヴォワールの人間じゃないあなたに供されるものが、ブリアックの哀悼になるわけがないじゃない」
「わたしは今、こうしてこの席に着いています。その事実で十分でしょう」
真っ向からジゼルさんとにらみ合いました。そしてジゼルさんは「……そもそも、その席はあたしが座る場所よ!」とおっしゃいます。
ノエルさんが、にやにやしてわたしたちをながめていました。他の男性たちは肩をすくめて、ひとりは「ま、そんな気にもなるわな」とつぶやきました。
わたしは、ジゼルさんとブリアックがどんな関係だったのかは知りません。もしかしたら結婚を約束していたのかもしれないし、だとしたら、ジゼルさんの言葉も当を得てはいるんです。
でも。
わたしはこの席を、この女性にだけは譲れないと思いました。だってこの人、ぜんぜん悲しんでいないんだもの。
ブリアックがもうこの世にいないこと。悲しんでいないんだもの。
「……お引き取りくださいませんか。ブリアックさんのことを悼む気持ちのない方に、哀悼餐はもったいない」
ジゼルさんが立ち上がってグラスを手に取り、中身をわたしへとぶっかけました。わたしは動きませんでした。ぜったいに。ノエルさんが「ジゼル、さすがにやりすぎ」と言いました。そう思うなら止めてほしかったです。
「――でもさ、ソノコ・ミタ嬢? あなたはボーヴォワール家との付き合い、それほど長いわけではないよね?」
「……はい」
「だよね? わたしが今回初めてお会いするくらいだもの」
ノエルさんがのんびりとした口調でフォークを置いて、わたしへ言いました。そして少し考えるようなしぐさで「あなた、その席に座っているけれど、そもそもブリアックがどんな人間だったか、知っているの?」と続けます。
「――グラス侯爵ボーヴォワール家の、ご長男です」
「そんな、幼稚園児でも答えられることじゃなくてさ。どんなやつだったか。悼む気持ちって言うけどさ」
ノエルさんはやんわりとした口調でおっしゃっていますが、言い逃れを許さない、といった意志を感じました。ジゼルさんが勝ち誇ったように口の端を上げて笑いました。
「――わたしたちは、ブリアックとはとても長い付き合いだった。だから、いなくなったって聞いて、びっくりして、こうして来たんだよ」
ノエルさんのその言葉は本当だと思います。なんだかんだ言って、ブリアックの友人を名乗る人でいの一番に来てくれたのはこの方たちなので。
「病気だったってことすら、新聞報道で知ったくらいだった。最後に会ったのは、あいつが仕事で他領に行く前だからもう一年も前だけど。あんなにぴんぴんしていたのにさ。お嬢さんは、ブリアックとはどこで知り会ったの?」
「……その、お仕事で、出かけられた先です」
それは、ブリアックが中央からマディア軍へ変節したことです。――ノエルさんは、そこらへんの事情を把握している。そう察しました。他の方の顔色は、読もうとしてもわかりませんでした。
「――いやあ、それは大変だったねえ! わたしらはさ、できることなら、あなたといっしょに悼みたいんだよ。あいつのことを」
「はい」
「でもさ、ジゼルの気持ちもわかるわけ。よく知りもしない赤の他人が、そこに座っているんだとしたら、バカにされてるのかなって、思っちゃうのよ」
「そんなことは、ありません!」
控えていた執事さんのひとりがそっと隣に来て、タオルを差し出してくれました。ありがとう。わたしはそれでとりあえず顔を拭いてから「バカにするだなんて、とんでもない! わたしは、みなさんとブリアックさんのことを悼みたくてここにいます!」と言いました。
「あなた、ブリアックのなにを知っているの?」
ジゼルさんが立ったまま言いました。あくまで、わたしがホストの哀悼食卓には着かないっていう意思表示でしょうか。言葉を続けて「なにも知らないくせに、よくそんなでかい口叩けたわね」と吐き捨てるようにおっしゃいました。
わたしは、なにも言えませんでした。
「……まあさあ。せっかくだし。昔話でもしようや」
「そうだよなあ。哀悼席だしなあ。あいつのこと話そう」
ノエルさんじゃない二人が場を取り持つように言いました。ノエルさんは「ジゼル、座れよ。これくらい付き合え」とおっしゃいました。ジゼルさんは鼻を鳴らして座りました。
「あいつと知り合ったのっていつよ、ブリュノ?」
「あー。俺はあれだ、親にぶち込まれた矯正院、十九んときだな」
「ぶっは、とんでもねーな!」
「そういうおまえはどーよ、アナトル」
「聞いて驚け、由緒正しいモキセトアだよ」
「なーに鼻高々言ってんだよ、賭場じゃねえか!」
なにがたのしいのか二人は爆笑しました。ノエルさんはそんな二人をにこにこしながら見ていて「わたしは、中等科でいっしょだったんだ」とわたしへ目を向けてからおっしゃいました。
「……いやあ、それにしても。殺しても死ななそうなやつだったのになー」
「ほんとだよ。病気かー。まじかー」
ちょっとしんみりとした空気になりました。そして、一息後にブリュノさんと呼ばれた方の男性が「でもまあ、いろんな恨みは買ってただろうしな。一番後腐れない死に方だったんじゃね?」ととんでもないことをおっしゃいました。
アナトルさんが「違いない」と同意しました。
え、なに。この人たち。
「お嬢さん、あんた、ブリアックとは付き合いが浅かったんだろう。よかったね」
「……おっしゃることの意味がわかりません」
「お手つきになる前にあいつが死んだんだろ? よかったじゃん。キレイなまんまでオリヴィエにかしずける」
「うっはっはっは、それはそう。なあ、ジゼル?」
「うっさいわね」
ジゼルさんが聞きたくないという感じで手を振りました。ノエルさんは口元に静かなほほえみを浮かべています。アナトルさんとブリュノさんは、なにがそんなにたのしいのか、声を張り上げてわたしへ聞かせるための会話を繰り広げました。
「あいつさー、まじで弟に嫉妬しまくってて」
「なー。なんでも取り上げてたよな。クラヴァットから女まで、一通り」
「ばっかだよな、まじで。あの真面目一辺倒で面白みのない弟を、なんであんなにかまってたんだか」
「跡目は自分に決まってんだから、放っときゃいいのにさー」
「ほんと謎。意味わかんね」
ちょっと、信じられなくて。あれ、この人たち、ブリアックの友だちじゃないのかな。
わたし、今なに聞かされてるんだろう。
「あんな、書類書くくらいしかできない弟、さっさと見切りつけりゃよかったのに」
「中央まで追っかけてったの、あれ笑えたよな。王宮勤めになったって、騎士と役所じゃぜんぜんちがうっつーの」
「まあ、あいつバカだったしな? とりあえずルミエラ行けば同じだろって思ってたんじゃね?」
「うははははは、っぽい、すげーっぽいな!」
あの、なんでしょう。話の内容が。まだ、愛がある仕方でいじる発言なら、百歩譲って理解できたと思うんです。でも、二人の語り口はそうじゃなかった。
哀悼する者の、言葉じゃなかった。
「――やめてください」
まだなにか語ろうとしていた二人の言葉を、わたしは遮りました。不愉快で。






