217話 えっと、謹んで?
「あなたの灯火が明るくありますように」
哀悼日に入って三日目です。なので、哀悼客をお迎えして二日目です。本日何度目かちょっとわすれてしまった言葉を聞いて、わたしは「謹んで」と膝を軽く曲げました。言われた言葉は『気を落とさずに前へ進んでくださいね』という意味合いを持つ言葉で、日常的にも用いられるけれど、哀悼日では定型句なのだそうです。それに対してわたしが言ったのは『恐縮です。ありがとうございます』の古語、みたいな。
膝を曲げるのはあれです、カーテシーみたいなもの。リヴェォンスって言うらしいです。りゔぇぉんす。やり方や意味合いもほとんど同じなんですけれど、あんまり深くしません。深いからどうこうって基準もないみたいです。だから付け焼き刃でもできます。よかった! わたし、アウスリゼに来たばっかりのときにリシャールの前でめっちゃ深いカーテシーしたんですけど、あの努力は半分ムダでしたね。はい。まあ合ってたからよし。
それにしても、弔問者がぜんぜん途絶えません。一般市民が弔問に訪れた場合は、敷地の外にある献花台へ。それ以外、直接ブリアックとの親交やボーヴォワール家のみなさんとつながりのある方たちは屋敷の中まで。わたしはそうした、屋敷を訪問された方たちのあいさつを玄関先で受ける役割、ということです。こういうのは、家主ではなくてその妻やパートナーがやることなんですって。
……妻やパートナー……ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああ。
仕立て屋さんは急ピッチでお仕事をしてくださって、わたしの哀悼服は公示日の夜には一着届きました。そこからまた毎日一着ずつ届く感じで。今は昨日届いた三着目を着ています。わたしは他の方たちより体が小さいので縫う面積が少ないのと、夏服なのでこんなに早く納品できているらしいです。なんかすみません。もうこれだけあれば十分着回せるんですが、まだ必要なんですかね。
わたしにあいさつをしてくださった方は、ちらりとわたしの顔を覗くようにご覧になってから、立ち去られました。うー。この。この。哀悼日なので、故人を偲ぶことが優先されるため、余計な詮索や質問が飛んで来ないのは救いです。でも明らかにこうやって「だれ?」という視線を全員から受けるのは……なんともしんどいですね。
……まあ、気持ちはわかるんですけれど。わたしの左手には、わたしとお揃いの哀悼服を着込んだオリヴィエ様がいらっしゃる、ので。わたしもあいさつする側だったら見る。ガン見する。ちょう「だれ?」って顔する。しかたがない。
――オリヴィエ様の右隣に立っている女性は、オリヴィエ様のパートナーとみなされる、ので。だから、みなさんわたしへ哀悼のあいさつをされるわけです。
わたしのことを正式に発表するのは、哀悼日が明けてからとのことです。その前にわたしの存在を静かに周知させたいっていうのが、オリヴィエ様の横にくっついている狙いみたいでした。……たぶんなんですけれど、そうして今後オリヴィエ様へ飛んでくる縁談話を少なくする効果とか、期待しているんじゃないかな、と。全部なくなるっていうことはないでしょうけれど。
――ブリアックが、亡くなったので。……オリヴィエ様が、次期グラス侯爵ということ。……なので。
それについては、昨日の夕飯時にドナシアンお父様から言及がありました。ちなみにお父様、お母様、とお呼びするようにとの厳命が下されました。はい。
ドナシアンお父様は「国政からは、いつ退く?」と単刀直入におっしゃいました。オリヴィエ様の指がきゅっとナイフを握り込むのをわたしは見ました。
少し間があってから……「今は、まだ考えられません」とおっしゃったオリヴィエ様。それはそう。すぐにどうこうできることじゃない。ただ、お父様がおっしゃる通り……侯爵業と国政を二足わらじするなんて、できるわけがない、です。哀悼日が終わってからまた改めて話し合おうということになりました。わたしは、オリヴィエ様の気持ちを考えました。
もちろん、他のお仕事や事業を回しながら領治をされている方も、世の中にはいらっしゃるはずです。でも、オリヴィエ様は話が違います。国内で三名しかいない、宰相職のひとり。その生命が戦争の引き金になりうるだけの重責を持たれる方。……兼務は、おそらく無理だろうな。わたしでも、そう思いました。
それに、ひとつの地方の領主が国政に携わるって、そもそもおかしな話というか。どの方向からも公平性が求められる公務員と、自領のことを最優先に考えるべき当主業務って両立できないと思います。もちろん、わたしが日本的な観点で考えている公務員とは事情とか違うんでしょうけれど。
国務大臣と各都道府県知事を兼任された方っていらっしゃいましたっけ。ちょっとわたしの記憶にはないんですけれど。立場としてできたとしても、明らかにオーバーワーク。一般市民的視線で考えると、どっちかに専念してくれってなる。当然。オリヴィエ様に、そんな無理をしてほしくもないですし。
どうするのかな。どうしようもないのかな。ちょっと聞けずにいます。
午前中の弔問者は十八人。午後からはもっと多くて二十四人でした。事前に来そうな人リストを見せていただいていて、オリヴィエ様から都度小声で「あれはどこそこのだれだれで」という説明を受けるのですが、さっぱりさっぱりでした。あんまりお話ししなくていい状況でよかったです。
そのままお帰りになられる方もいらっしゃいますが、午後の遅い時間に来られる方はそのまま留まって、遺族とともに亡き人を偲ぶ時間を持つ方々です。それだけ故人や遺族となかよしってことらしいです。三名の男性が連れ立っていらっしゃって、オリヴィエ様とわたしをびっくりした表情でご覧になりました。何度もわたしたちを見比べられます。
「……えっ、なにそれ? えっ」
「まあ、とりあえず灯火灯火」
「あ、はい。お嬢さん、初めまして。あなたの足下を明るい灯火が照らしますように」
「――謹んで」
ていねいにあいさつをしてくださった方に手を取られそうになりましたが、オリヴィエ様が無言でそれを払いました。……いいんですかお客様にそれやって。
哀悼日の印として紺色の腕章をした執事さんに連れられて、そのお三方は別室へと連れて行かれました。歩いて行かれる間もずっとこちらをご覧になっていました。オリヴィエ様はその方たちについて「……覚える必要もない者たちだが。アナトル・スーラージュ、ブリュノ・ミヨー、ノエル・ビュファンです」と早口におっしゃいました。
「……ご友人ですか?」
「まさか。……ブリアックが、親しくしていた者たちです」
ちょっと声色が怖かったので、それ以上はつっこんで聞けませんでした。うーん。明らかに悪友。騎士って感じでもなかったけれど。いかにもな放蕩息子感。なにしてる人たちなんだろうね。放蕩か。
そして、夕方の十六時過ぎごろ。公示していた弔問可能時間は、朝十一時から夕方の十六時半でした。献花台はずっとだいじょうぶなんですけれど。
そろそろお開きで、控室に残っていらっしゃる方たちへの接待に移りますかねーと思っていたところへ、その方はいらっしゃいました。すっと玄関を入って来られた姿を見てわたしはそちらに向き直り、リヴェォンスをするため膝を折りやすい体勢を取りました。ら、オリヴィエ様が右腕でわたしを引き寄せてぎゅっとされました。……ふぎゃあああああああああああああああああ。相変わらず力強いいいいいいいいいいいいいい。
「――あなたの灯火が、なによりもだれよりも、明るくありますように……オリヴィエ」
女性でした。濃灰色の帽子に、同色のレースで目元を隠していらして。豊かに波打つ栗色の髪の毛が印象的でした。哀悼服は、マーメードラインのすてきなドレス。すごい。このためにあつらえたのかな。わたしはしげしげとその装いを見てしまって、いっしゅん気づくのが遅れました。
――あれ。あいさつ、オリヴィエ様へしたな。この人。
オリヴィエ様はなにもおっしゃいませんでした。一言も。そしてぎゅっとわたしを抱きすくめたまま、踵を返して邸内の奥へと向かわれました。はい。






