213話 気になって夜しか眠れない
オリヴィエ様と美ショタ様のご実家であるグラス侯爵邸は、ディルゼーの街の外れあたりに位置していました。その周囲にはお家を建てちゃいけないみたいな決まりがあるのかもしれないですが、マディア公爵邸のように門の近場まで市街地が迫っていたりはしませんでした。それもあって、景観がとても美しいです。横長の、白亜の豪邸。四階建てくらいかな。
「グラス侯爵家は、私の父で十一代目なんだ。この館は六代目のアリスティドのときから使っている」
「あっはい、びしょ……テオフィルくんから聞きました!」
「――ふん? 気を利かせるようになったね、あの子も」
あっ、ちょっとうれしそう。ツンデレ! 兄ツンデレ! ごちそうさまです、いただきます!!!
お屋敷の前のロータリーを回って、自動車が停まりました。すぐにドアを若い執事さんが開けてくださいます。――美ショタ様から教わった『淑女らしい自動車の降り方』を披露する日が来たようだな! 椅子に座って何回も練習したんだぞ! どうだ! ……だれも見ていなかった!
「ソノコ――こちらへ」
オリヴィエ様がわたしへ手を差し出してくれたので、自動車をぐるっと回ってその手を取りました。ら、エスコートじゃなくて手つなぎになったんですが。これいわゆる恋人つなぎってやつじゃないでしょうか。え、待って、いろいろな準備が、準備が整っていないの。手汗すごい。心拍計振り切る。ごめんなさい、とりあえず生まれ直して来ていいですか?
――マディア公爵邸に何度もおじゃました経験は、たしかに豪邸への免疫をくれました。なので、身の丈に合わない場所へ赴くことについては、きっとだいじょうぶです。はい。そこじゃないんです。それじゃないんです。この心臓を吐き出しそうなドキドキは、別種のもの。オリヴィエ様による相乗効果で川向うのばあちゃんが棒高跳びで迎えに来そう。世界新出しちゃうね。おまえがナンバーワンだ。どうしよう親族としてインタビュー答える用意しなきゃ。ばあちゃんならやれると思いました!
混乱の極みだったので、オリヴィエ様がなにかをおっしゃっていたのに聞き逃しました。生まれ直して来ていいですか? わたしがそのご尊顔を仰ぐと、とてもやさしい笑顔で「両親です、ソノコ」とおっしゃいました。えっ。
「――はじめまして、あなたのことはオリヴィエからよく聞いています。ぜひゆっくりとしていらしてね」
とってもきれいな銀髪で紫瞳の女性が、たおやかにおっしゃってわたしの手を取りました。えっ。
「息子が本当に世話になっている。滞在中不便があれば、遠慮なく申し付けてくれ」
そうおっしゃったのは、おひげが立派なダンディイケおじ。えっ。えっ。
混乱って突き抜けると無風になるんですよ、知ってました? わたしはとても穏やかに「よろしくお願いいたします」とひとこと言いました。はい。無我の境地。はい。
泊まらせていただくお部屋に案内していただきました。無我の境地。とても眺めのいい部屋。すばらしい。広い。すてき。もう語彙力がどっかいった。元からないかもしれない。
――ご両親に、会っちまったああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!
わたしは部屋でひとりくずおれました。なんかこう、なんかこう、たのむ、もう一度やり直させてください。具体的に言うと生まれるところから。すみません、本当にすみません。次の人生では善良に生きて行こうと思います。たぶんわたしたくさんわるいことした。うん、きっと知らずにありんことか踏んだことある。それに羽虫は瞬殺してた。ごめんなさい、出来心だったんです許してください。いろいろチャラにしてくださいお願いします。
「――ソノコ⁉」
オリヴィエ様の声が聞こえて、両肩をつかまれました。あわてた様子のオリヴィエ様もすてき! 「どうしましたか、具合が悪いのですか?」と尋ねられて「いえ、どちらかというと頭が」と素直に告白してしまいました。はい。
「――移動が堪えたんだね。すぐに侍医を呼ぼう」
完全厳戒態勢での看病が始まりました。わたしのばか。やっぱ頭が一番わるいじゃん。
とりあえず、その日はお部屋での食事とかになったため、ボロは出ませんでした。はい。でも付け焼き刃のお作法とか、すぐにバレるに決まってるんだよなあ……。美ショタ先生も最善を尽くしてくださいました。しかし、限度が。
わたしのお部屋にもメイドさんがついてくださいました。すんごい至れり尽くせりしてくださっています。マチルドさんっておっしゃる方。で、そのマチルドさんがかしこまって「……奥様がお見舞いにみえました。お通ししてもよろしいでしょうか」と。……ふぉおおおおおおおおおおおお。
「――起き上がらなくてよろしくてよ、ソノコさん。おかげんを伺いたかっただけですから」
そう言われても! そう言われても! ほぼ仮病なので! ぴんぴんしてるので! ベッドから降りようとしたところをやんわりと止められました。えっ、どうしよう。病人っぽくしなくちゃ。
「……あのね、わたくし、あなたに謝りたいことがありますのよ」
「えっ」
それってうちの息子にふさわしくないから今すぐ出て行ってもらうことを謝るわね、とかそういう……。じゃなかったです。マチルドさんがベッド脇へ持って来られた椅子に座って、オリヴィエ様そっくりのお母様、ブランディーヌ様はゆっくりとおっしゃいました。
「――オリヴィエのことで。あの子は、とてもいい子なのだけれど。こうと思い込むと、それしか見えなくところがあって。きっとあなたにもたくさんの迷惑をかけたでしょう」
「いえそんなぜんぜんです問題ないですだいじょうぶですとてもすてきです最高です」
「あら。そう言ってくださってありがとう。わたくし、あなたに会えるの、とてもたのしみにしていたの」
それって美味しいから秋茄子はあなたには食べさせるつもりはありませんとか、そういう……。じゃなかったです。ブランディーヌ様はオリヴィエ様そっくりなのに印象が違うほほえみで、わたしをご覧になりました。
「……あの子がね、結婚したい女性がいるって連絡をくれたとき。とても、心配だった。また……あの子を傷つけるようなお嬢さんだったらどうしようって。だからね、ちょっとだけ、あなたのことを調べさせてもらったの」
怖。え。侯爵家の影とかそういうのですか。そういうの使って身上調査したんですか。わたしはくわしいんだ。ちょっと身構えたのを、ブランディーヌ様は小首をかしげて「子を想う母の気持ちよ。許してね」とおっしゃいました。はい許しました。はい。
「――とても、朗らかで、いいお嬢さんだと思ったわ。外国の方だけれど、それだって、わたくしも外国から嫁いで来たのですもの。問題にはならないわ」
あ、そういえば、オリヴィエ様のお母様はラキルソンセンのご出身なんですっけ。紫の瞳は、そちらの方の特色なんだとか。わたしはとりあえず「ありがとうございます!」と言いました。
「……わたくし、娘がほしかったのよ」
そう言って、ブランディーヌ様はわたしの頬にかかった髪の毛を手ぐしで直してくださいました。そして「突然おじゃましてごめんなさい。オリヴィエにはないしょにしてね? 怒られてしまうから」とおっしゃいました。はい承知しましたー。
退室されて。わたしはぼーっとしてから、ぼふっとベッドに沈み、布団を頭からかぶりました。ブランディーヌ様の言葉が、頭の中をぐるぐるします。
またってなんだ。
――『また』ってなんだ⁉






