210話 どうしたらいいだろう、なにができるだろう
午前のルミエラ駅。ちょっと曇りの晴れ。いつも通り人がたくさんで、二十あるらしい改札口も長蛇の列でした。わたしたちはいわゆる特別車両っていうやつに乗るため、そこへは並ばずに済みましたけれど。よかった。駅員さんに案内されて車両へ。前から三番目でした。
アシモフたん、マディア公爵領へ移動したときのことを覚えているみたいです。帰りも蒸気機関車だったらしいけれど。すごくそわそわしながら、ふんふん匂いを嗅いでいろんなところを点検していました。
乗ったのはわたしと、美ショタ様。美ショタ様のお付きの人。それに警備として派遣されてきた男女がひとりずつ。もちろん男性はアベルでした。
特別車両って、サロンみたいなくつろぎスペースと、個別のお部屋が三つあるんです。わたしは女性の警備さんといっしょのお部屋。アシモフたんもね。美ショタ様はお付きの人と。アベルはひとり部屋ってことになりそうです。
「うわあ、すごい」
荷物を部屋に置いてからくつろぎスペースへ行くと、すでに美ショタ様が自宅のように寝椅子の上で足を投げ出されていました。レアさんがいらしゃるマケトスまでは一晩で行けるんですけど、それでもこの空間はありがたいなあ。給仕の女性がメイドさん服でいらして、「なにかお飲みになられますか?」と尋ねてくださいました。えっ、どうしよう。なにが飲めるんですか。
よりどりみどりのお茶の缶をながめたり説明を受けたりしていたら、こんこん、とどこかでノックがありました。ふっと見回したら、車窓の下のところにミュラさんのメガネ。と頭。びっくりして近づいて、窓を開けました。
「あれー、ミュラさん! お見送りに来てくださったんです?」
「……同行させてください」
「えっ⁉」
たしかに旅装でした。それにいつものキャラメル色のブリーフバッグ。ぴーーーーーーーーーー! 警笛鳴っちゃった!
「はやく、はやく、入り口から!」
言ってわたしもそちらへ走りました。美ショタ様の「やっぱ来た」という声が聞こえました。えっ、すごい予測してたの。さすがコップのモデル!
ぴっぴーーーーーーーーーーっぴーー!
ミュラさんが乗り込んだところで、ガシャンガシャンと、それぞれの車両の出入り口が閉められて行きました。息をついたミュラさんに、わたしはWindowsっぽく「ようこそ」と言いました。Windowsっぽいってなんだ。
「お休み取れたんですねー! よかった!」
「……取れていないです」
「えっ」
深く聞いていいんでしょうか。ミュラさんはちょっとクラバットを緩めながら「……同僚にすべて丸投げして来ました。戻ったら殺されます」と真顔で言いました。
「ええー⁉ いいんですか⁉」
「まったくよくないです。……初めてですよ、こんなことをするのは」
アベルが部屋から顔を出して目をまんまるにしました。わたしは「同室者ができたよ、よかったね」と言いました。アシモフたんがめっちゃはしゃいでミュラさんにのしかかります。ちなみにイネスちゃんは、住んでいるマンションの管理人さんに預かってもらったそうです。はい。
ということで、はい。みんなでレアさんのお見舞いです。
ひとり増えてもとりあえずなにも言われませんでした。ミュラさんちゃんと切符買ってあったし、わたしたちもそれなりのお金積んであったし。はい。ごはんもちゃんと人数分出てきました。よかったです。で、車内で寝て起きたら、マケトスの街です。
急行列車の停車駅で乗り換え中継点でもある街というだけあって、とても栄えているところでした。さすがにルミエラ駅の規模には迫らないけれど、線路が六本もあるの。すごくない?
マディア行きの蒸気機関車に乗ったときも、停車はしたんですけどねー。下車してまで周りを見たりはしなかったので。完全にお上りさん気分でわたしはきょろきょろしました。
ミュラさんはさすがにまだ宿を確保していなかったです。この計画性のなさよ。ミュラさんでも。ちょっとびっくり。そして全員が客車から降りたとき、ひとりの男性が近づいて来ました。
あ、はい。緊急通信の配達員さん。はい。お疲れ様です。
「エルネスト・ミュラ様はいらっしゃいますでしょうか?」
「はい、わたしです」
ちょっと覚悟が決まった顔でミュラさんが応じました。受け取って、その場で読まれます。そして隣りにいたわたしへ渡してくれました。
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君の勤労意欲には胸を打たれたよ。たっぷり仕事しておいで。八日後に戻ること。
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はい。たった今、ミュラさんは出張ということになりました。はい。
わたしたちは四日ほどマケトスに滞在します。ミュラさんは問題なくわたしたちと同じホテルを取れました。というかわたしたちがホテルに行ったら普通にミュラさんのお部屋も同じフロアに用意してありました。七日分。こわ。ミュラさんが動じていないことにはもっと戦慄を覚えますが。
チェックインって日本の感覚だと午後なんですけれど。お高い部屋なので用意万端ですぐに入れました。とりあえず、着替え類を入れたバッグを置いて。いつものトートバッグを肩にかけて。よし。
アシモフたんと部屋を出たら、美ショタ様とミュラさんも出て来たところでした。まあね。みんないっしょのこと考えるよね。
面会時間は十時から。移動時間を含めたら、きっとちょうどくらいです。示し合わせたようにわたしたちは無言でホテルを出ました。蒸気自動車のタクシーを拾って、マケトスで一番大きい総合病院へ。もちろん、護衛目的のふたりもいっしょなので、二台に分かれました。
行くよーということは、病院側に伝えてありました。なので受け付けの方に声をかけたらすぐに通してくださいます。アシモフたんは、守衛さんにちょっとだけ預かってもらって。二階の奥のお部屋。ノックをしたら返事があって、看護婦さんと思しき方がドアを開けて「どうぞ」と言ってくれました。
ベッドに半身を起こして。レアさんがいました。わたしは早足でその傍まで行きました。
「――おひさしぶり、ソノコ。……無事でよかった」
「それ完全にわたしのセリフなのでとらないでください!」
出してくれた手を両手で握りました。指先が冷たくて、あたためようとぎゅっとしました。レアさん、元々細かったのにもっと痩せちゃった。それでもとてもきれいだけれど、目が少し落ちくぼんで陰になっている。顔色も真っ白。髪の毛は、根本が元の色に戻っていました。「お化粧して待っていようと思ったのに、止められちゃった。見苦しいけど許してね」って言われて、「レアさんはどんな状態でもきれいなので飾る必要ないんです」とわたしは言い切りました。
「テオくんも、ミュラさんも、ありがとう。顔を見られてうれしいわ」
「……よかったよ。起き上がれるようになったんだね」
「ええ、おかげさまで。ごめんなさいね、あたしが寝ている間に来てくれたんですってね。寝坊が過ぎてしまったわ」
美ショタ様がつぶやいた言葉に、レアさんはほほえみました。きれいなのに、どこか前と違うように思えるその笑顔がちょっとだけ悲しくて、わたしはほっぺの内側を噛みました。
病棟長さんの許可を得て、お庭へ出ようかってなりました。アシモフたんに会わせてあげたくて。病室へ車椅子が運ばれてきたときに、飲み込みたくなかった事態の重さが喉につかえました。ゆっくりとベッドから降りることはできるけれど、自力で歩くのは難しい。それがレアさんの今の状況。
夏だから寒くはないけれど。病室にあったひざ掛けをレアさんにかけて、毛布もぐるぐる巻きにしようとしたら「おおげさよ!」と笑われてしまいました。だって。ちゃんと重しをつけてつなぎとめておかなかったら、レアさんがどこかに行っちゃいそうで。
車椅子はミュラさんが押してくれました。一階へ下がるのに、専用のスロープがあって、みんなでそれを歩きました。無言でした。なにも言えなくて。アシモフたんだけが変わらずにいつものテンションで、ご主人のレアさんに飛びつきました。レアさんも、すごくうれしそうで。
しばらく、レアさんとアシモフたんが戯れる様子をみんなでながめていました。
なにも言えなくて。……でも、泣いたりしない。






