206話 これが寒冷化現象か
一日足らずで手早くご実家のグラス領へと戻るための手はずを整えたオリヴィエ様は、次の日の朝、メッセージを遣いの方に託して届けてくれました。
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親愛なるソノコ
今日の昼、ともに国立ルミエラ植物園の中にある料理店で食事をしませんか。もしよければ、十一時ごろ迎えに伺います。
あなたの返答を聞きたいのです。
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そのメッセージが指す返答とは。――もちろん、レテソルの公使館のお風呂場で話されたことへの。わたしは便箋にひとこと『承知しました。』と書いてお返ししました。
さて。気合い入れてしたくをしなければ。
迷った末に、一希兄さんが買ってくれた黄色の七分袖カットソーに、それと合わせた紺地に黄色とオフホワイトのストライプが入ったミモレ丈スカートにしました。靴は、白のオープントゥのやつ。バッグはどうしよう。……もう、モアイこけしが入っていない、黒のリクルートバッグで。夏真っ盛りだから、きっと上着は必要ない。アクセサリーは……勇二兄さんがくれた、シルバーのタグペンダント。
低い位置で髪の毛をポニテにして。日本製化粧品のチートを借りて。……よし。たぶんモンドセレクション銀賞あたり。たぶん。
アシモフたんには、今日はおでかけするので帰るまで遊べないことを言い聞かせました。言っていることを理解してくれて「んん~ん」と非難の声をあげながらマディア父さんをくわえてレアさんのお部屋へ立てこもりました。ごめんよ。なんておりこうになったんだ、アシモフたん……。
三十分以上前に用意ができてしまって、リビングでバッグを肩に掛け両手でつかんでいる状態でソファに座っていました。浅く。モアイ家族と向き合って。
「……いってきます」
決意をこめて言いました。ぜったい動いていないんですけど、でも親指を立てられた気がしました。はい。
時間よりもちょっとだけ早くお迎えの車が来ました。自動車の停車音にびくっとして、立ち上がります。すぐにブザーが鳴ったので急いで玄関へ行きました。
「――迎えに来ました、ソノコ」
オリヴィエ様はいつも通りかっこよくて、でも少しいつもより憂いを帯びていらして、でもそれはそれですてきで。黒に近いチャコールグレーの夏物っぽい素材のスーツに水色のシャツ。そしてネイビーブルーの細めのクラバット。黒い石がはまったシルバーのラペルピン。すてき。お似合い。かっこいい。すてき。最高。そういえばはやくオリヴィエ様専属カメラマンを雇わなければ。
「……素敵だね、ソノコ」
ため息をつくような静かな声でオリヴィエ様がおっしゃいました。え、なにが? ちょっと家の中を振り返ってみると、アシモフたんがおすわりしてしっぽを振っていました。……なるほど? 笑った声で「あなたのことだよ」とオリヴィエ様がおっしゃいました。
「これまでももちろん素敵な女性だったけれど。……今日はとびきり、かわいくて、きれいだ」
「ふぎゃあああああああああああああああああ!!!」
思わずしゃがみこんでしまいました。引きづられるように自動車に乗せられました。はい。お家の鍵はオリヴィエ様がかけてくださいました。ありがとうございます。
運転手さんの腕前がいいのと自動車の性能がいいのとで、まったく揺れがなかったです。二十分もしないで国立ルミエラ植物園へ到着しました。同じ区内だったので。ルミエラ大学の研究施設も併設している、国内最大規模の公園です。一度来てみたいと思っていたところだからうれしい。大きいとは言いつつも一般公開されているのは全部ではないので、わりとさくっと見て回れました。温室で栽培されていた、でっかいユリみたいなお花がすごかった。食べられるかと思った。
お昼になったことを、研究施設の鐘が報せてくれました。オリヴィエ様が「じゃあ……行こうか」とわたしを促しました。
どきどきしています。でも、どこか冷静に状況を見ているわたしもいて。とりあえず左の手のひらに人という字を五回書いてオリヴィエ様の目を盗んで飲み込みました。あんまり効果はなかったです。
なごやかな空気感でした。温室と同じ造りのレストランで、ガラス越しにたくさんのきれいな植物が見えて、空調も効いていて。
オリヴィエ様は、わたしがこれまでどうしていたかの細かな点をあれこれお尋ねになって、わたしはオリヴィエ様からわたしの夢を見たことを聞きました。説明したり言い訳したり、笑ったりあわてたり。ちょっと表情筋が忙しかった。とくに一希兄さんといっしょにショッピングしたときのことを念入りに聞かれました。兄であることは四回くらい口にしました。はい。
「――たのしかったんだね、ソノコ」
「はい。……とても」
――オリヴィエ様はやさしいな、と思いました。「悲しかったんだね」とはおっしゃらなかった。
少しだけ沈黙が落ちて。オリヴィエ様が指を鳴らしてウェイターさんを呼びました。すっと来られた男性は、オリヴィエ様が「食後茶を」とおっしゃると、一礼して去って行かれました。
いよいよかー、と思いました。なんて言えばいいんだろう。とりあえず流れに任せよう。いつも通りなにも考えられないから。
「ソノコ。あなたの回答を聞かせてほしいんだ。――私が、レテソルで、あなたへ告げたことへの」
ウェイターさんがお茶を提供されて去ってから、オリヴィエ様は単刀直入に「私は、あなたへ『家族になりたい』と、告げた」とおっしゃいました。その表情は、あの頭ぐるぐる巻きのときと同じく、ちょっと緊張していらっしゃいました。わたしも同じ表情をしている気がします。今なら、その言葉の意味がわかる。家族ってなにかって、知ってる。わたしは、深呼吸をしてからすっと頭を下げました。
「――よろしくお願いいたします」
しん、と静まり返ったような気がしました。痛いような数秒。そして、どっと歓声と、たくさんの拍手。
「――え? えっ⁉」
周りをウェイターさんやウェイトレスさんたちが丸く取り囲んでいます。にこにことみなさん拍手。拍手。中に運転手さんも。いたのかよ。他の席のお客さんたちがわけもわからない感じでこちらをみていました。でもノリで拍手されていました。調理人さんがひとり、大きなお皿を持って来られます。
「おめでとうございます! 当店からのプレゼントです!」
オレンジが敷き詰められためちゃくちゃおいしそうなタルトで、真ん中には『ご婚約おめでとうございます!』という言葉が書かれた、プレートがありました。はい。
――サプライズはずかしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!
おいしくいただきました。はい。
これほどまでに上機嫌のオリヴィエ様には会ったことがないというくらい、にっこにこのオリヴィエ様に手を引かれて、自動車へ戻りました。なんとなく空気も周囲の視線も生暖かい気がするのはなぜなんだぜ? 寄り道することなく、家まで送ってくださいました。そして、家の前で別れるときにオリヴィエ様が自動車のドアを開いてくれて、おっしゃいました。
「――あなたもいろいろ準備があるでしょう。なので、出発は明後日にしましょうか。アシモフも連れていくように手配しますので。汽車の時間が決まり次第、また遣いをやります」
わたしが降りながら「……えっと、えっと、それは」と言うと、オリヴィエ様はにこっと「私の実家の領へ向かう時間です」とおっしゃいました。
――頭が、真っ白になりました。ご実家。ご実家訪問。
わたしがその場に立ち尽くして固まると、オリヴィエ様はちょっと首を傾げて「ソノコ?」とわたしの顔を覗き込まれました。なにその表情すてき尊い愛おしい。開けわたしの心のファインダー。
「どうしましたか?」
ちょっとびっくりした声でおっしゃるオリヴィエ様に、わたしは向き直って「あの」と声をあげました。
「……それって、わたしもいっしょに行かなきゃ、だめです……かね?」
アウスリゼでは真夏でも気温って氷点下になるんだなって思いました。






