204話 どうかずっと、私の元にいて
新章です!!! よろしく!!!
ソノコが消えてから、一カ月が経過した。
最初の三週間、彼女の痕跡についてなんの手がかりもなく、すべてが絶望的なまま捜索結果の報告を受けていた。じりじりと精神が削られて行く中、私は私の職務を全うしつつそれを待つ他になかった。
ただ後悔、後悔、後悔。――あのとき、ソノコの手を離してしまった。そのことを。
ソノコが進言してくれた言葉に沿ってとった帰路だった。それが悪かったわけではない。むしろ、あのときの言葉を無視して蒸気機関車を用いてルミエラへ戻っていたなら、私は今ごろこの世になかったかもしれない。
私を狙ったと思われる刺客は本当に現れて、私の姿をしたおとり役に襲いかかったのだ。――そしてそれをとっさにかばったレアが、刺された。
レアは、わかっていたはずだ。おとり役は、刺された程度で死ぬような男ではない。刺客は走る蒸気機関車から身を投げて逃げたという。そちらにも捜索隊が組まれているが、生きているかどうかもわからない。刃には致死性の毒が付着していた。心得のあるおとり役がその場で処置をしなかったなら、レアはそのまま死んでしまっていたことだろう。ルミエラより自動車で一日ほど南にあるマケトスという街へすぐさま搬送され、現在は入院加療をしているが、これまで通りの生活に戻れるかは五分五分といったところだった。
ソノコが、そうなる可能性もあった。――私が標的とされるよりも、それがただ、恐ろしい。
浮かされるように私は、彼女のことを考えている。ふとした瞬間に、ずっと、ずっと。それは心配であるからだし、重い責任を感じているからでもある。
私は彼女のことを好いている。その自覚はある。そして、もう会えないかもしれない可能性に思い詰めていた期間、やり場を失くしたその気持ちは、私の中で熟れてしまった。
まるで、日ごとにただれ、膿んで行く病のようだ。今日もまた、彼女がいない。どこにも。どこにも。抱いた願いは切実で、手を伸ばせば指先から降り落ち、まばたきすらも重たくそれを私へと自覚させる。会いたい。もう、その一心だ。来る日も、来る日も、彼女のことを繰り返し想う。
ある日兆しと思えることがあった。浅いままだった眠りのさなか、ソノコの、夢を見た。
それは彼女が、アウスリゼではないどこかに居て、いろいろな土地と友人知人を訪ねている夢だった。紙芝居小屋の見世物のように、数十秒ごとに場面が切り替わる。あるときは道を歩き、あるときはだれかと語らい、あるときは物憂げに汽車の窓から風景を眺めている。音声は途切れとぎれで、すべてを把握できたわけではない。けれど、それはたしかにソノコの現状であり、私に必要な情報はその夢によって私に届いたという、根拠のない確信があった。
リシャール殿下と、ミュラへそのことを告げた。両人とも私と同じように、疑問に思うことなくそのことを受け入れてくれた。ありがたかった。けれど捜索の規模を縮小することはしない。おとり役を任せた男にも夢について告げる。男は舌打ちで私に応じた。
「――なんすかそれ、なんすかそれ、なんすかそれ。夢でソノコと通じ合ってるとか、そういうやつっすか。なんで元彼の俺んとこにはその夢来ないんすか。……こんなに未練たらたら思ってんのに」
ぶつぶつと苦情を並べる男に、私は「通じ合っていないからだろう」と答えた。「うっわー! なにその余裕しゃくしゃく顔! ムッカつくー」と言う男の言葉に、本当にしばらくぶりに声を上げて笑った。安堵からにじんだ涙を、男は見ぬふりをしてくれたように思う。
ソノコは、無事だ。
本当に、よかった。
ミュラと、彼女の夢について話したとき。私は彼女が帰ってくると断言した。けれど内心は、そうではなかった。……彼女がどちらを選択するか、私にはわからなかった。
彼女が無事であった安堵と、私の元から去ったまま、戻らぬかもしれない不安と。
眠れぬ日々は終わらなかった。先延ばしにされる期待は、やはり私の心を病ませたし、どうしたって嫌な想像ばかりが思い浮かんでしまう。仕事に打ち込むことで、それをごまかした。
「オリヴィエ、君に休暇をやろうと思う」
さきほど、私の執務室へやってきて「座ったままでいい」と前置きし、リシャール殿下がそうおっしゃった。私は驚き、腰を浮かせてそのご尊顔をまともに見た。
「――君の兄の処遇について、お父上のグラス侯爵と話してくるがいい」
私の兄……次代のグラス侯爵であるブリアック・ボーヴォワールは、マディア領で鎮圧された反乱の首謀者のひとりとしてルミエラへ護送され、現在収監されている。その反乱の件はただちに箝口令が敷かれ、一般の人間は知り得ないものだ。
――すべからく、死刑。反乱者たちへ……法の示す道筋は、ただひとつだ。
私は恐れを成した。それは私にとって受け入れ難いことだ。いやだ、やめてくれ。お願いだ。
「それに君は、最近……いろいろ思い詰めているようだ。息抜きも必要だろう。君の秘書官たちも、とても心配している」
「必要ありません」
「自覚のない仕事人間は、みんなそう言うんだ。そもそも、君はまだ怪我が完治しているわけでもない。療養したまえ。これは僕からの命令だ。――休め、オリヴィエ」
眼の前が、暗転したかのようだ。いやだ、どうか私に考える時間を与えないでくれ。仕事に打ち込んでさえいれば、なにも考えずに済むんだ。ソノコのことも、兄のことも。そんな言葉が胸に上ったが、口へ出る前に喉へつかえた。
リシャール殿下は、机に手をつき穏やかな表情をされていた。五つ年下の殿下は、いつでも私より物事を見通している。私の気持ちさえもきっとご覧になっているのだろう。なにか言い訳をしたいような、まとめてすべて認めてしまいたいような、妙な気分だ。命令をされて、私が拒否できるわけもない。
多くの逡巡を経て、私は首肯した。
「――避暑だと思えばいい。君の実家の領地は北東部だし、今一番過ごしやすい時季ではないか」
「……ご配慮、感謝します」
我ながら弱々しい声の返事だった。リシャール殿下が薄くほほえんだ。
そのときだった。
――どん、という、なにかが落ちた衝撃音。それに続いて「――ぃっっっっっったああああああああい‼」という女声。私は思わず立ち上がり、リシャール殿下は驚いて振り向いた。応接のための長椅子。そこに。
「……ったたたたた……コップぅぅぅう!!! もうちょい配慮しろー! なんだこれ! てゆーかここどk……」
目が、合った。
声が、出なかった。けれど思うよりも願うよりも早く体が動いた。私はその元へ駆け寄り、膝をついてその顔を見た。眼鏡を通して。裸眼でも。涙が出た。何も言えず、ただ掻き抱いた。
「――……ぎゃあああああああああああああああ」
ひさしぶりに聞いた新鮮な悲鳴だ。とめどなく涙が出て、けれどその声が心地よくて私は笑った。――ああ、いる。彼女が、ここに。私は彼女の名をつぶやいた。
「……ソノコ」
「――はぃいいいいいいいい……ソノコでございますぅぅぅぅぅぅ……」
「ソノコ、ソノコ、ソノコ」
腕の中で、小さな体がさらに小さくなっている。抱き潰してしまいそうだ。腕に力を込めてその感触を確かめながら、私は指の腹で自分の涙を拭った。そして、腕を解きもう一度彼女の顔を見る。たしかに、ここにいると、確認するために。
「――おかえり、ソノコ」
私がそう言うと、彼女は少しだけ目を見開き、私を見た。そして相好を崩して言ったのだ。
「ただいまです、オリヴィエ様」
もう一度腕の中に閉じ込めて口づけた。ソノコが「ギュッ⁉」という奇妙な音をあげて硬直し、背後からは「オリヴィエー僕がいることわすれてないかーい」というリシャール殿下の声があがった。






