163話 まさか
「元気じゃねえかああああああああ‼」
「はいすみませーーーーーーーーん‼」
コンビニから出てきたお客さんと改札から歩いてこられた方たちがびくっとして避けていきました。すみません。痛い。
「――じゃあとりあえず、あたしんちで、もう一度事情を聞こうか?」
「その前に! 愛ちゃん!」
連行されるところを止めました。はい。わたしは背中をピンと伸ばして、愛ちゃんに向き直りました。愛ちゃんもすっと真剣な表情になって、「なんだよ」と言いました。
わたしはバッグを探って、福岡にてすでに準備万端で用意していたものを手につかみます。明太子の保冷剤はぐにゃっとしているけれど、まだ冷たい、だいじょうぶ。そして、それらをいっしょにして両手で差し出し――おもいっきり腰を曲げました。
「――三千円……ありがとうございました‼」
しん……と周囲がいっしゅん静まり返りました。ざわざわがちょっとだけ。歩いていた方もいっしゅん止まりました。場内アナウンスが、次の東京行き列車の改札開始を告げます。
……そっと。わたしの両手に、愛ちゃんの両手が添えられました。わたしが顔を上げると、慈愛に満ちたほほえみの愛ちゃん。――赦された……!
「――もっと他に言うことあるだろうがああああああああああああああああ!!!!」
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
チョークスリーパーをかけられました。しぬ。しんでしまう。通行人のジェントルメーンが止めに入ってくれました。ありがとうございますジェントルメーン。明太子とポチ袋を取り落とさなかったわたしをほめてくれ。
愛ちゃんは高崎の駅チカワンルームマンションに住んでいます。去年の春くらいに引っ越したんですよね。防音とネット回線めっちゃしっかりしてるとこに。音楽されているからね、愛ちゃん。歌い手さんなんです。はい。
駅ナカコンビニに寄っていただいて、晩ごはん調達しました。夏野菜がいっぱい乗っかってるやつ。それにお茶。緑茶二リットル。ひさしぶりだね日本の心。愛ちゃんはキレイな緑のデザインの缶チューハイをたくさん買っていました。「明太子には翠ジンソーダだろ」とのことです。はい。よろこんでくれたみたいです。よかった。
セキュリティしっかりしすぎていて、ひとりで訪ねてきたときは必ず挙動不審になってしまう入り口の顔認証を家主の愛ちゃんがパスしてくれたのでよかったです。はい。……ひさしぶりにおじゃましたお部屋は、前とぜんぜん変わらなくて。
「……ノリタケさーーーーん! おひさしぶりでーーーーす!」
愛ちゃんに続いて中に入り、そこで出迎えてくださった方にごあいさつしました。推定年齢十歳の、たぶんレトリバー系ミックスのノリタケさんです。覚えていてくださったみたいで、わたしがしゃがむとゆっくりとしっぽを振りながら匂いを嗅ぎに来てくださいました。うれしい。
ノリタケさんは、元保護犬です。違法にブリーダーをしていたお家で飼育崩壊があって、そこから保護されたんですって。声帯が切られてしまっていて、ささやくような声しか出ません。リハビリをしてだいぶん歩けるようになりましたけれど、今でも走るのは難しいです。愛ちゃんのところに来られて本当によかった。
愛ちゃんに「さっさと食っちまって」と言われたので、手を洗ってからお弁当をいただきました。コンビニ弁当おいしい。まじおいしい。愛ちゃんは椅子に座ってなんとかソーダを開缶して、明太子を割り箸でつつきながらPCをいじり始めました。あっと思って、わたしは早食いでごちそうさまをします。「そこまで焦らんくてもいいって」と苦笑いされましたけど、邪魔したくないですし。
愛ちゃんは、わたしのスマホとイヤホンを渡してくれました。うっわ、おひさしぶり、文明の利器。電源ボタンを押したら、ずっと前に一目惚れした絵師さんへお願いしてSkebで描いてもらった、オリヴィエ様のイラストの待ち受け。パスコードをスワイプする指も、問題なく動きました。メッセージとメールとSNSの赤い通知の数字が、それぞれとんでもないことになっていて。わたしはイヤホンジャックをスマホに挿して、両耳に装着しました。そして、YouTubeアプリを立ち上げます。登録チャンネル一覧から、見慣れたアイコンを探し出して。『LIVE』表示が出ている枠を開くと、CMが流れました。
「――よお。今日は配信しないって言ったな。あれはうそだ」
画面にスライドして映っているのは、数年前にいばらきフラワーパークで撮った風景写真。ノリタケさんも連れていっしょに行きました。愛ちゃんの声がイヤホンを通して、ちょっとだけ遅延して届きます。同時接続人数がどんどん増えて、あっという間に120人を越えました。コメントが書き込まれて流れて行きます。
『こんばーん』
『ゲリラ歓迎』
『俺はやると思ってた』
『ライブ初見です、こんばんは』
愛ちゃんはSONYのヘッドホンをかけています。そして、「ゲンさん」と呼んでいるアコースティックギターをかまえて、弦を弾いて音を確認しました。
「今日は祝い枠。スパチャONにしてあるからな。いくらでも投げろ」
『なになにー、なにあった?』
『給料日前だが』
『えーなに。彼女できた?』
いろんなコメントが書き込まれて、愛ちゃんはそれに笑いながら「ちげーよ」と言いました。
「S美が、帰ってきた。今ここにいる」
コメント欄に叫びがあふれて流れました。『まじかーーーーーー!!!』『S美ちゃーーーん、おかえりーーー!』『無事でなにより』『おめでとおおおおおおおおおおおおおおおおお』『マジで祝い日じゃん。俺今クレカ止まってるんだけど』『S美is誰』『ニワカはアーカイブ3年分ROMれ』……同時接続数がどんどん伸びて行きます。300人越えた。ビビりました。それと、色付きのコメントも。青、緑、オレンジ、ピンク……赤。えっと……『S美ちゃんおかえり』という赤いコメント枠に五万円て書いてあるんですけど……。
「つーことで。……今気分いいんだわ。歌う。聞け」
弾幕みたいにコメント欄が8と絵文字の拍手で埋まりました。愛ちゃんが最初の音を爪弾いて、「……じゃあ、すいちゃんの、ステラーステラーで」と言いました。伸びやかで、たのしげで、愛ちゃんは歌うために生まれて来た人なんだろうなあ、とあらためて思いました。わたしはイヤホンを外して、ノリタケさんといっしょに生の愛ちゃんの歌声を浴びました。
わたし、ときどき愛ちゃんの歌ってみた動画で、ハモリパートやらせてもらってました。というかやらされていました。それでS美っていうのは古参リスナーさんの中では知られた存在で。たぶん、わたしがいないということは、言える範囲で説明していたんでしょうね。コメントで『生S美コーラスはよ』みたいなの散見しましたがスルーしました。生はダメだ、生は。と思ったら二曲目でやらされましたけど。思いっきり一カ所音程外したし。また赤スパ飛んだ。
――愛ちゃんが、よろこんでくれているのが、すべての音を通して伝わりました。それが、うれしかった。
三十分くらいで配信は終わって。愛ちゃんはヘッドホンを外して、なんとかソーダをぐいーっと飲みます。余韻に浸っていたら、目の前に愛ちゃんが来ました。ヤンキー座りでにっこり。
「はい。ではあらためて。――いろいろ話そうな?」
しっかり詰められました。はい。
おはようございます。結局お互いベッドと寝袋に入りながら、電気を落とした暗い中、朝までぼそぼそ話していました。ノリタケさんはわたしの隣で寝てくれました。うれしい。日が射し込んできて、カラスが一匹けたたましく鳴いたあたりで眠気の限界で一度寝落ちました。二時間くらい。
起きたら愛ちゃんがうまかっちゃんを作っていました。「ちょうどできるときに起きるのな」と笑われました。ひさしぶりのうまかっちゃん……うまかね……。泣ける……。
今日は、とりあえず前橋にあるわたしのマンションに行きます。愛ちゃんのマンションみたいにハイテクじゃない、それどころか築五十年選手です。はい。その前に大家さんへごあいさつとかいろいろ思ったんですけど、すでに愛ちゃんが連絡してくれていて、落ち着いてから本人といっしょに行きます、と話をつけてくれていました。……本当にありがとう。
職場のこととかも考えなければなりません。普通にクビになっていることは前提として、どうやって謝れば。謝罪の言葉が見つからない。
行く前に、と愛ちゃんがあらたまってわたしに向き直りました。
「これまでの家賃とか、もろもろなんだけど」
「うん、ありがとう。貯金崩して、返すね」
「いらない。あたし一銭も払ってない」
「えっ?」
愛ちゃんは真剣な表情をしていました。そして、言葉を選ぶように、ゆっくりとわたしへ告げました。
「あんたの実家に、連絡取った」
はっと、わたしは息を飲みました。愛ちゃんは視線を逸らしませんでした。そして、一語一語をはっきりと区切るように「あんたの捜索も、ぜんぶあんたの実家で手配してる。あたしは、あんたが帰ってきたときのために、環境整えていただけだ」と言いました。
わたしは、「そうなんだ」と言いました。ちょっと自分の声に聞こえませんでした。
「ありがとう。いろいろ、迷惑かけて、ごめんね」
「あのね、あたしは迷惑してない。心配はしたけど。なんであたしが、あんたの実家に連絡したかわかる?」
ちょっと考えて、わからなかったので首を振りました。
「――あんたはね、実家に迷惑かけていいの。あんたの実家はね、あんたを守るべきなの。あんたのことだから、あんたの実家が、親族が、ぜんぶやるべきだと思った。だから連絡した」
わたしは、うなずきました。その通りすぎて、なにも言えませんでした。
「あんたのお兄さんが、窓口っていうか、なんか、ぜんぶ取り仕切ってる。あんたと連絡とれたこと、まだ言ってないから、あんたから連絡して」
「わかった。なにからなにまでありがとう。一希兄さんの連絡先、教えてもらえる?」
「いや、そっちのお兄さんじゃない」
「え?」
愛ちゃんは、壁のコルクボードにプッシュピンで留めていたカードを外して、わたしに手渡してくれました。
『ミタ・ロジスティクス・マネジメント 株式会社
Managing Director
三田 勇二』
驚いて、声が出ませんでした。真正直に言うと、名前すらも今見るまで忘れていたくらいで。なんでこの人が、と思いました。
四つ年上の、二番目の兄でした。
原曲
Stellar Stellar / 星街すいせい(official)
https://youtu.be/a51VH9BYzZA
わたしがすきなバージョン
星街すいせい - Stellar Stellar / THE FIRST TAKE
https://youtu.be/AAsRtnbDs-0
「これ愛ちゃんじゃーーーん」と思って聴いていたカバー曲
Stellar Stellar covered MZM
https://youtu.be/URKDBu7862k