147話 お兄ちゃんに言いつけてやります
朝の蒸気機関車の駅舎は、早い時間だからか行き交う人々がだれも彼もどこか早足で、自分も急いでどこかへ行かなければならないというような気持ちにさせられました。
三十分後くらいに発車する汽車に乗って、美ショタ様がルミエラへと戻られます。じつは先週のうちに、グラス侯爵家の執事さんが二人お迎えに来られています。公使館には滞在されなかったんですけどね。お二人とも美ショタ様の姿を見たとき涙ぐんでいらっしゃいましたし、ちょっとだけお小言おっしゃっていました。そりゃそうだ。美ショタ様もそれにはおとなしく耳を傾けて、「ごめん」とひとこと謝っていらっしゃいました。
本当に身ひとつで来られたので、荷物は少ないかと思いきやそうでもなかったです。ぱんぱんになった大きいバッグ三つ。自動車から降りるときにぜんぶ自分で持とうとした美ショタ様から、駅で待っていた執事さんたちが取り上げていました。公使館に詰めていらした警備の方が他に二名、美ショタ様を警護しつつともにルミエラへ。この警備さんたちは、王様とリシャールへ現状報告をする役目も担っています。
見送りに来たわたしには、美ショタ様に似た落ち着いた色の赤毛を束ねた警備制服の方が少し離れて着いています。わたしは美ショタ様といっしょに売店へ向かって、見るともなしに商品を見ていました。美ショタ様は雑誌数冊と新聞を買っていらっしゃいました。執事さんたちが、入り口からはじめてのおつかいを見るような顔でご覧になっていました。成長したでしょう。今ではお洗濯だって自分でできちゃうんですよ。わたしはなんとなく、マディア父さんのキーホルダーみたいのを買いました。なんとなく。
構内のベンチに、美ショタ様と並んで座りました。美ショタ様はさっそく新聞を広げてご覧になっています。目の前をたくさんの忙しそうな人たちが行き交っています。センチメンタルジャーニーな気分ひとしおで、わたしは「美ショタ様、お元気で」と言いました。
「は? あんたこっちに永住する気?」
「いえ、べつに」
「じゃあなんだよ、その今生の別れっぽい言葉。どうせすぐ戻ってくんだろ」
美ショタ様はこちらにいらして、お買い物のしかただけでなくちょっとお上品じゃない話し方も覚えてしまわれました。なんてことでしょう。わたしじゃない。わたしじゃないぞ。乗車される予定の蒸気機関車が、切り替えポイントを抜けてゆっくりと線路に入って来ます。美ショタ様は新聞をご覧になりながら「うげぇ」と一言おっしゃり、嫌そうな顔でたたんでわたしへと押しつけました。なに。
「あとで見なよ。四面」
立ち上がって乗車口に向かわれます。すっと執事さんと警備さんたちがそれに続きます。わたしも立ってお見送り。そのときです。
「――待ってください!」
ホームに女の子の声がひびきました。振り向くと、カヤお嬢様。あのピンクなスカートはきっとそう。改札で見送りの人用切符を切ってもらっていました。そしていっしょうけんめい走ってこちらに向かって来られます。かわいい。
「――あのっ、あの……っ」
息を整えるのにちょっと時間がかかって、その後もなんて言っていいかわかんない感じでした。美ショタ様が「やあ、カヤお嬢様。見送りに来てくれたんだ、ありがとう」と外面スマイルです。カヤお嬢様はちょっと泣きそうな顔で、白いふわふわのかわいいポシェットからなにかを取り出しました。
「……あの! お手紙書いてきたんです! 読んでください!」
美ショタ様はちょっと驚いたような表情を作って「ありがとう、汽車の中で読むよ」と受け取られました。
「あの! また、お手紙書いてもいいですか?」
「もちろん」
「あの! ……あの! お返事もくださいますか?」
「そうだね。気が向いたら」
なんだか外面良くそっけない美ショタ様です。ファンは大事にするんじゃなかったのか。「先日は手袋もいただいたね、気にかけてくれてありがとう」と、右手を差し出されます。カヤお嬢様はびくっとして、スカートでこっそり手を拭いてから握手されました。
「いろいろお世話になって感謝しているよ。元気でね」
美ショタ様がキレイな笑顔でそうおっしゃると、カヤお嬢様も笑顔を作りました。
「テオフィル様も……お元気で」
「ありがとう。じゃあ、そろそろ行くね」
すっと手を引っ込めて、美ショタ様が「じゃあ」とこちらに目線をくださいます。わたしの後ろの方もご覧になった気がしました。わたしは手を振って、汽車に乗り込んで行くその背中を見送ります。執事さんのひとりはすごく面白そうな表情でカヤお嬢様をご覧になって美ショタ様に続きました。もうひとりの執事さんに叱られていました。そして、警備の方たち。
客車を一両借り切っての移動です。進行方向とは逆の左手側の窓がガコッと鳴ったのでそちらに向かいました。窓を開けて美ショタ様がちょっと顔を出されました。
「あのさ、あんたに言っとこうと思うんだけど」
「はいなんでしょうなんなりと」
ぴぃゃーーーー! ホイッスルが鳴ります。乗車口が順番にガシャンガシャンと閉められて行きました。カヤお嬢様はちょっと離れて立っています。美ショタ様は面白くなさそうな表情でわたしをご覧になって、「なんかさ、いろいろ考えすぎ」とおっしゃいました。
「普段あんなになんにも考えてないのにさ、なんで深いこと考えようとしてんの。ムリでしょ」
「え、美ショタ様なにをご存じなんですか」
「あんたが野良猫相手に朝まで人生相談してたこと」
「ぴゃーーーーーーーーーーーー」
やめてーなんで知ってるのー! みんな寝静まってからにしたのにー! どこから見てたのー!!!
ガコン。汽車が今にも動き出しそうな一声を上げました。美ショタ様はちょっとだけ笑って、「――あんたが家にいる生活……わるくはなかったよ。……だから、まあ。いいんじゃない」とおっしゃいました。――デレた! ガコンガコン。ぴーーーーーーーーー!
動き始めます。すっと美ショタ様は窓から離れました。わたしも車体から距離をとります。美ショタ様がついに! わたしにデレた! 少しずつ離れていく窓を、そこから見送りました。カヤお嬢様は、ぎゅっとスカートを握っていました。そして、汽車はあっと言う間に走り去って行きます。わたしは手を振って見送り、カヤお嬢様はじっと汽車が去って行った方向をご覧になっていました。
「行っちゃいましたねえ」
隣に並んでカヤお嬢様へそう声をかけました。
なんとなく、それ以上なにか言えない空気感で。でもずっとそこに立っていたら邪魔になってしまうので「ちょっと移動しましょうか」と言いました。カヤお嬢様はうなずかれましたが、動きませんでした。
……わたし、カヤお嬢様の年のとき、どんなんだったかなあ。その呆けたような姿を見ながら思いました。ちょっとアホの子だったから、クラスの他の女子が話すだれかが好きっていう話についていけてなかった。それに中学受験のための塾に通ってたからそういうのに思いが向かなかった。ということにしておこう。だから、カヤお嬢様が、今どんな気持ちなのか、ちょっと想像が追いつきませんでした。
「……カヤお嬢様。なんか甘いもの食べませんか。ケーキとか。パフェでもいい」
そう言ってみました。とりあえずなんか、ストレスかかるときはやっぱり甘いものだと思うので。そしたらカヤお嬢様ははっとしたようにわたしをご覧になって、そしてそのまま、ぽろぽろと涙をこぼされました。
「……あのね、あのね、ソノコ様、あのね」
「はい、なんでしょう」
わたしは向かい合って、他の人からお嬢様の顔が見えないようにしました。たぶん、だれかに見せたいなんて思わないだろうから。
「あのね、わたし、お手紙書いたの」
「はい」
「テオフィル様に」
「はい」
「あのね、あのね、テオフィル様帰っちゃって」
「はい、帰っちゃいました」
ぼろぼろ泣きながら、カヤお嬢様は両手で目をこすりました。何度も、何度も。バッグから、お気に入りの水色のタオルハンカチを出して渡しました。カヤお嬢様は顔を隠すように、目元にそれを当てられました。
「……お返事、くれるかなあ」
「くれますよ、きっと」
もし書かなかったら、わたしがとっちめてやりますから。ぜったい。