141話 その後もいろいろありましたが後生ですから聞かないでください
さて、クロヴィスと話し合いを持ってから、数日経ちました。おはようございます、早朝です。これまでの間、オリヴィエ様のところへお見舞いに行ったり行かなかったり……いえ、毎日行って。ました。はい。……いろいろありました。はい。多くは語りません。ええ。聞かないでくださいお願いですから。後生ですからって言葉生まれて初めて使ってみますから。意味よくわかんないけど。後生ですから。
今日、オリヴィエ様は退院して来られます。人気のない早朝の時間を選んで。まだ右腕を吊っている状態ですし、抜糸も終わったばっかりなのでもうちょっと入院しておいた方がいいのでは、と思うのですが。さすがに世の中がオリヴィエ様の姿が見えないことに勘づき始めているということで。これでもギリまで粘ったみたいです。
クロヴィスが話していた調印は、わたしも見守る中でしめやかに執り行われました。ということで、停戦議定書が、オリヴィエ様の手元にあるわけです。それで公使館へ戻るのを急いだという背景もあります。
早朝なので、出勤してきているのは調理のヤトさんだけです。毎朝恒例の静かなるキッチン戦争が繰り広げられています。わたしも、目が覚めてしまった体を装って皮むき後方支援に回りました。はい。
静かながらも、耳をそばだてていると聞き取れるくらいの自動車の走行音が聞こえました。すっと玄関前に停まった気配があります。だれもかれも黙していますが、公使館の中も外も、警備さんがそこいら中で厳戒態勢をとっています。たぶん全員で。空気がひりついていて、怖いくらいです。
そんな中、静かにオリヴィエ様が戻られました。わたしの顔を見て、「ただいま」とつぶやいて微笑んでくれました。
ぐーたらされればいいのに、「入院で体がなまった」とかおっしゃりながら即リビングでお仕事を始められました。ひょっとしなくてもワーカホリックだと思います。ミュラさんから手渡された書類に目を落としながら、これまでの報告に耳を傾けられています。キッチンからその姿が見えます。ちょっとうれしくて、ちょっとどころでなく心配で、でもうれしいです。サトイモっぽいおいものぬめり取りをしながら、ずっとその気配を感じていました。
今日は、午後から、カヤお嬢様が都合してくださったチケットでファピー観戦です。じつはオリヴィエ様も行くことになっています。警備さんをわさっと連れて。取っていただいたのがボックス席で、観戦しながらバーベキューみたいのができる場所なんです。いや観戦しろよと思わないこともないです。なので、警備しやすいというのと、公の場所にいかにも『オフです。レテソルを満喫しています』みたいな感じで姿を現しておきたいのだそうです。はやく議定書持って帰れよ、という非難はあがるでしょうが、一週間強の間オリヴィエ様が不気味な沈黙を保っていることへの目くらましにはなるだろう、と。
「それに……ソノコも行くんでしょう?」
「えっ、はい。いちおうお目付け役なので」
「じゃあ、私も行きます」
となりました。はい。ええ。はい。
カヤお嬢様始め、ディアモンの方たちは当然オリヴィエ様が怪我をされたことも入院されていたことも知りません。宰相閣下も行っていいですかー、とお伺いを立てたら即とてもていねいな『もちろんでございます』という内容のすてきなお手紙が届きました。お願いしたのが直前だったのもあったからか、あの帰宅拒否症のパパさんは来られないそうです。出張に出ていらして、すぐ戻っても間に合わないだとか。よかったです。まあカヤお嬢様的には、パパさんとファピー観戦できる絶好の機会だったでしょうけども。オリヴィエ様に接待仕事させないでほしいのでね!
ということで、午後。わたしはレアさんが見繕ってくれた薄い緑の春物スカートと、ブラウス。それに黄色のカーディガン。いちおう以前購入した背番号二十四番のリュシアン・ポミエ選手のユニフォームをバッグに入れました。せっかくだし。
美ショタ様は白いフードつきパーカーに黒いキャップ。おお、観戦スタイル。最近このおぼっちゃまは、庶民服を理解されていますね。こちらに来たばかりのときとは大違い。成長したな、美ショタよ。
そしてオリヴィエ様なんですが。吊っている右手の布は外していらっしゃいます。でも右手がいまだ不自由なことは変わりないんですよね。なのでそれをごまかすためにか、薄い黄色の上着を、肩へ引っ掛けるように羽織っていらっしゃいます。これあれだ、下手に真似したら「ちゃんと着なさい」ってお母さんに怒られる系コーデだ。もちろんオリヴィエ様だからめちゃくちゃかっこいいんですけどね! さすがですね! そして、髪はゆるく結っていらっしゃいます。それにメガネ。すてき。かっこいい。
カヤお嬢様とは別口で球場に向かいます。お迎えにあがりますーみたいな申し出はあったんですけどね。警備上の問題でーとお断りしました。実際そうですし。うん。
球場にも、宰相閣下が観戦することは伝えてありまして。急きょ警備が補強されるようです。お忙しいところすみません。で、VIP扱いなもので、一般出入り口ではなく関係者出入り口から入るわけですが。
「――えっ、オリヴィエ・ボーヴォワール⁉」
「まじで? ……えっあっ、まじ……」
たくさんの警備の中自動車から降りたら、なにごとかと遠巻きに観察していた一般の方たちから声があがりました。もちろん黄色い声も。オリヴィエ様的にはもう慣れっこなんでしょうか、一顧だにされずすっと入り口へと向かわれます。かっこよ! ……左手でわたしの右腕をさっと取られなかったらわたしも一般人ポジできゃーきゃー言えたんですが! 言いたかったです! 私服オリヴィエ様を遠巻きに堪能したかったです!
球場のお偉い方に先導されて、カヤお嬢様がとってくださった席へと向かいます。位置的には一塁側のバックネット裏、みたいな感じです。半個室みたいな。めっちゃ座り心地良さそうな二連シートがみっつあります。六人座れる仕様ってことですね。これいくらしたんだろう。カヤお嬢様はもう先にいらしていて、とてもていねいな礼で迎えてくれました。
「こんにちは、カヤお嬢様。今日はお招きありがとう。僕の兄を紹介していいかな?」
美ショタ様が外面+ファンサ笑顔でそうおっしゃると、カヤお嬢様はめちゃくちゃ緊張した表情でうなずきました。
「先日はお宅におじゃまして、ていねいなもてなしをいただいた、ありがとう。今日はお父上のジョシュア氏とお会いできず残念だ。よろしく伝えてくれるかい?」
「はい、お伝えします。今日は来てくださってありがとうございます!」
オリヴィエ様が微笑んでおっしゃると、カヤお嬢様はめっちゃ礼儀正しく返事をされました。かわいい。執事のルークさんが控えていらっしゃいますね。とりあえず、うながされて一番バッターボックス側にわたしが座りました。そして流れるようにその隣のシートにオリヴィエ様が座られます。さらにまるでそれが当然かのように手をつながれます。――あのですね、あのですね、あのですね、観戦できないです本当にありがとうございました。
警備の方はわたしたちの背後に三人立たれました。この半個室席の上方の応援席の一部は、だれも入れないようにしたみたいです。すみません、そこのチケット取っていた人たち。たぶんもっといい席で補填あったとは思うけど。
「――あのっ、食べ物や飲み物、すべてディアモンで、調べているので! よかったら、たくさん食べてください!」
カヤお嬢様がおっしゃいました。なんかがんばってる。かわいい。食材等は公使館側の人間もチェックしているのでだいじょうぶだと思います。まあそもそも、観戦目的ですからそんなに食べること考えなくても。むしろ考えられないというか。たぶんカヤお嬢様もそうだろうな。ホストだからそうはおっしゃっているけどね。すごい親近感。がんばろうね、お互い……!
で、試合始まったんですけど。
「以前来たとき、ここではなにを食べたんですか、ソノコ?」
「……えっと、お好み焼きピザを……」
正式名称がわからないので、めちゃくちゃたくさんチーズが乗っていてー、とか説明しました。そしたら「では、それを」とオリヴィエ様がおっしゃいます。可及的速やかに熱々のが来ました。はい。で。
「食べさせてください、ソノコ」
にっこーとすごくいい笑顔で言われました。しぬ。えっ。しぬ。……えっ? あっ。えっ? あっ。






